[Theme 02]2年生編
56
「おい、こいつ動かねえぞ!大丈夫か!?」
「それ標本だよ」
正也と渚が──というか主に正也が──水槽や展示ケースに大騒ぎしているのを、ぼんやりと眺める。
周りも瑛たちのように友人と連れ立って見ている生徒がほとんどだが、中には男女二人きりで歩いている姿もいくつか見られた。
今日は修学旅行2日目。できれば1日目の夜に時間が欲しいと言った女子生徒の意図が今更ながら分かった気がして、溜め息がこぼれた。
「お前も標本か?瑛」
「んなわけねえだろ」
「あからさまにつまんねー顔してんなよ、ほらこの魚ちょっとお前に懐いてるぞ!」
正也が指さしたのは、こつんこつんと水槽を叩く小さな魚。
真ん丸の瞳がなんとなくはるかに似ていた。
「あ、笑った」
「俺…こいつが今何考えてるか分かる気がする…」
微笑む渚と、対照的に苦々しい顔をする正也と。
──未来と同じくらい、今しかない時間も大切だよ。しっかり楽しんでおいで。
出発の前日に聞いたはるかの言葉を思い出すと、確かにこの時間も悪くない気がしてきた。
「こんなんいたか…?」
ショップのぬいぐるみコーナーで、正也が首を傾げる。
その手には水槽の中には見当たらなかった生き物のぬいぐるみが握られていた。
「まあ、あるあるだよ。あ、このマナティーかわいい」
「なんだそれ、キャベツ?」
「うあー!」
正也の間抜けな発言を咎めるかのように聞こえてきた声。
瑛のすぐそばで、父親と思しき男性に抱きかかえられた赤ん坊が瑛を指さしていた。
「うー!」
もとい、お目当ては瑛の頭上に並べられたサメのぬいぐるみのようだ。
「ええ、あれ?お父さん届かないよー、店員さん…」
「ううー!!」
今すぐ手に入れたい、そんな気迫のこもった声が上がる。
瑛はその視線の先へ手を伸ばし、ふんわりとデフォルメされたサメを赤ん坊の手元へ運んだ。
「ああ、すいません!ありがとうございます!」
「ぴゃー!」
赤ん坊はすっかりご機嫌だ。
「修学旅行かな?お兄さん大きいねえ」
「あ、はい」
「ああ、こらこら!」
ぐん、と袖を引かれる。
片手にサメを抱きかかえた赤ん坊が、もう片方の手で瑛の肩口をしっかりと掴んでいた。
赤ん坊の力はこんなにも強いのかと驚かされる。
「この兄ちゃんはこわいから危ないぞ!ほら、ぴろぴろぴろー」
それに気づいた正也が、赤ん坊に渾身の変顔を披露した。
「やー!」
「え、うそ…こんな不愛想なヤツに負けるの?俺…」
「あはは、ごめんね。人見知りなんだ」
二、三会話を交わした後、親子はレジへと歩いて行った。
なんとなくその姿を目で追っていると、店を出たところで母親らしき女性と合流していた。
──なんだ、母さんいたのか。
「日坂君は?」
ふいに飛び込んできた声に、どきりとする。
「月城先輩にお土産、買わないの?」
小さなぬいぐるみとクッキーの箱を手に、渚がこちらを見上げていた。
「…ああ、そうだな」
眼下に広がる青を写真に収めながら、正也は唸るような情けない声を上げた。
「せっかくの沖縄なのに、なんでこんな真冬なんだよ!沖縄は夏だろ夏!」
「夏だったら高原君たち来れないでしょ」
「た、確かに…!!」
この漫才ももうすっかり見慣れてしまった。
正也はその後もさんざん騒いでいたかと思うと、突然電池切れでもしたかのように眠りはじめた。
あの赤ん坊に嫌がられたのは、精神年齢が同じだからではないかと思えてくる。
「あのさ…ちょっと気になってたんだけど…」
そんな正也の姿を通路越しに眺めていた渚が、隣の瑛を見上げた。
「こないだ、吉村さんの呼び出し断ってたよね…?」
周りに聞こえないようにしているのか、機内の騒音にかき消されそうな声だった。
「吉村…?ああ、あいつか」
「…」
言われてみれば、前の席の女子生徒は確かそんな名前だった気がする。
「いつも、あんなかんじなの…?」
「“あんなかんじ”って?」
「なんかもう、門前払いみたいな…」
おぼろげな記憶を辿ってみる。
瑛の生活といえば専ら練習をするか試合に出ているかで、わずかな時間を見つけてはるかと会って、会えなければメッセージのやり取りをしたり電話をしたりして、それを除いた残りの時間は、もはや記憶にすら残らないほどのもので。
それでもなんとか思い出そうとしたところ、吉村のような話を持ち掛けてきた何人かの女子の声が浮かび上がってきた。顔や姿までは無理だったけれど。
そして、そのどれに対しても、自分が応じた記憶は見当たらなかった。
「そうだな」
数分かけて導き出した結論を言葉にすると、渚は笑顔を引き攣らせた。
「月城先輩しか眼中にないのは分かるけど、さすがにかわいそうだよ…」
「いや、時間の無駄だろ。答え決まってんだから」
「その答えをちゃんと聞けるのと、それすら聞けずに終わるのじゃ全然違うんだよ」
──卒業前に言えてよかった
文化祭の日に聞いた、晴れやかな声を思い出す。
「…なんでそんなのに、付き合わされないといけねえんだよ」
「うう…血も涙もない…」
この話は終わりだ、とばかりに機内誌に手を伸ばす。
渚も空気を読むタイプなので、それ以上何も触れてはこなかった。
「おい、こいつ動かねえぞ!大丈夫か!?」
「それ標本だよ」
正也と渚が──というか主に正也が──水槽や展示ケースに大騒ぎしているのを、ぼんやりと眺める。
周りも瑛たちのように友人と連れ立って見ている生徒がほとんどだが、中には男女二人きりで歩いている姿もいくつか見られた。
今日は修学旅行2日目。できれば1日目の夜に時間が欲しいと言った女子生徒の意図が今更ながら分かった気がして、溜め息がこぼれた。
「お前も標本か?瑛」
「んなわけねえだろ」
「あからさまにつまんねー顔してんなよ、ほらこの魚ちょっとお前に懐いてるぞ!」
正也が指さしたのは、こつんこつんと水槽を叩く小さな魚。
真ん丸の瞳がなんとなくはるかに似ていた。
「あ、笑った」
「俺…こいつが今何考えてるか分かる気がする…」
微笑む渚と、対照的に苦々しい顔をする正也と。
──未来と同じくらい、今しかない時間も大切だよ。しっかり楽しんでおいで。
出発の前日に聞いたはるかの言葉を思い出すと、確かにこの時間も悪くない気がしてきた。
「こんなんいたか…?」
ショップのぬいぐるみコーナーで、正也が首を傾げる。
その手には水槽の中には見当たらなかった生き物のぬいぐるみが握られていた。
「まあ、あるあるだよ。あ、このマナティーかわいい」
「なんだそれ、キャベツ?」
「うあー!」
正也の間抜けな発言を咎めるかのように聞こえてきた声。
瑛のすぐそばで、父親と思しき男性に抱きかかえられた赤ん坊が瑛を指さしていた。
「うー!」
もとい、お目当ては瑛の頭上に並べられたサメのぬいぐるみのようだ。
「ええ、あれ?お父さん届かないよー、店員さん…」
「ううー!!」
今すぐ手に入れたい、そんな気迫のこもった声が上がる。
瑛はその視線の先へ手を伸ばし、ふんわりとデフォルメされたサメを赤ん坊の手元へ運んだ。
「ああ、すいません!ありがとうございます!」
「ぴゃー!」
赤ん坊はすっかりご機嫌だ。
「修学旅行かな?お兄さん大きいねえ」
「あ、はい」
「ああ、こらこら!」
ぐん、と袖を引かれる。
片手にサメを抱きかかえた赤ん坊が、もう片方の手で瑛の肩口をしっかりと掴んでいた。
赤ん坊の力はこんなにも強いのかと驚かされる。
「この兄ちゃんはこわいから危ないぞ!ほら、ぴろぴろぴろー」
それに気づいた正也が、赤ん坊に渾身の変顔を披露した。
「やー!」
「え、うそ…こんな不愛想なヤツに負けるの?俺…」
「あはは、ごめんね。人見知りなんだ」
二、三会話を交わした後、親子はレジへと歩いて行った。
なんとなくその姿を目で追っていると、店を出たところで母親らしき女性と合流していた。
──なんだ、母さんいたのか。
「日坂君は?」
ふいに飛び込んできた声に、どきりとする。
「月城先輩にお土産、買わないの?」
小さなぬいぐるみとクッキーの箱を手に、渚がこちらを見上げていた。
「…ああ、そうだな」
眼下に広がる青を写真に収めながら、正也は唸るような情けない声を上げた。
「せっかくの沖縄なのに、なんでこんな真冬なんだよ!沖縄は夏だろ夏!」
「夏だったら高原君たち来れないでしょ」
「た、確かに…!!」
この漫才ももうすっかり見慣れてしまった。
正也はその後もさんざん騒いでいたかと思うと、突然電池切れでもしたかのように眠りはじめた。
あの赤ん坊に嫌がられたのは、精神年齢が同じだからではないかと思えてくる。
「あのさ…ちょっと気になってたんだけど…」
そんな正也の姿を通路越しに眺めていた渚が、隣の瑛を見上げた。
「こないだ、吉村さんの呼び出し断ってたよね…?」
周りに聞こえないようにしているのか、機内の騒音にかき消されそうな声だった。
「吉村…?ああ、あいつか」
「…」
言われてみれば、前の席の女子生徒は確かそんな名前だった気がする。
「いつも、あんなかんじなの…?」
「“あんなかんじ”って?」
「なんかもう、門前払いみたいな…」
おぼろげな記憶を辿ってみる。
瑛の生活といえば専ら練習をするか試合に出ているかで、わずかな時間を見つけてはるかと会って、会えなければメッセージのやり取りをしたり電話をしたりして、それを除いた残りの時間は、もはや記憶にすら残らないほどのもので。
それでもなんとか思い出そうとしたところ、吉村のような話を持ち掛けてきた何人かの女子の声が浮かび上がってきた。顔や姿までは無理だったけれど。
そして、そのどれに対しても、自分が応じた記憶は見当たらなかった。
「そうだな」
数分かけて導き出した結論を言葉にすると、渚は笑顔を引き攣らせた。
「月城先輩しか眼中にないのは分かるけど、さすがにかわいそうだよ…」
「いや、時間の無駄だろ。答え決まってんだから」
「その答えをちゃんと聞けるのと、それすら聞けずに終わるのじゃ全然違うんだよ」
──卒業前に言えてよかった
文化祭の日に聞いた、晴れやかな声を思い出す。
「…なんでそんなのに、付き合わされないといけねえんだよ」
「うう…血も涙もない…」
この話は終わりだ、とばかりに機内誌に手を伸ばす。
渚も空気を読むタイプなので、それ以上何も触れてはこなかった。