[Theme 02]2年生編
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──わたしの気持ちも、なめないでいただきたい!
そう宣言してくれたはるかのおかげで、瑛の心はずいぶんと軽くなった。
“打つと見せかけてヒッティングだ”
ラベルの上の文字に笑いがこみ上げることも、もうなくなるんだと思っても、前を向いていられる。
それでも、怖いものは怖いし──不快なものは不快だ。
その日は夕食後の食堂で、千景とともに練習試合のスコアを眺めていた。
ドラフトで指名を受け、年明けには球団の寮に入ることとなった拓真は多忙で不在がちになり、先輩の教えを乞うならば千景に声をかけることが増えた。
かくいう千景も大学から声がかかったらしく、進学はほぼ決定しているらしい。
夏の県大会決勝や甲子園でなかなかヒットが出ず、リードオフマンの役割が果たせなかった責任と悔しさを強く感じており、打撃を徹底的に強化したいと意気込んでいる。
「あの…チカさん、ちょっと聞きたいことがあって」
そんな二人のもとへ、1年生の部員が近付いてきた。
「うん?」
千景がスコアブックから顔を上げる。
よく見ると、他にも何人かの1年生たちが集まってこちらをちらちらと気にしていた。
「月城さんって、チカさんと拓さんと同じクラスなんですよね…?」
「うん、そうだけど」
強烈に嫌な予感がした。
「あの…付き合ってるんですか?チカさんか、拓さんか…」
カチ、と意味もなくボールペンをノックする。
耳障りな音がいやに響いたが、へし折るよりはマシだろう。
「…ううん、違うよ」
千景がそう答えると、1年生はあからさまに安堵した様子だった。
離れたところにいる集団も。
「そうなんですね。すいません、ちょっとそれ聞きたくて」
「そっか。まあでも、あの子最低でも打率5割ないと男として見れないって言ってたよ」
「えええっ!?」
すごすごと集団のもとへ戻っていく1年生の背中を見送る。
「…マジでそんなこと言ってんすか、あいつ」
「いや?余計なことされたら目障りだから」
あっけらかんと言い放つ千景は、やっぱりいつものこの笑顔だ。
「俺昨日、アルプスで月城さんに会った!」
翌朝もまた食堂で聞こえてきた声に、今度は何だ、と顔をしかめる。
ちなみにアルプスというのは、鷺嶋高校から車で20分ほどの距離にあるスポーツ用品店である。
「お前ん家あのへんだっけ」
「そう!野球のコーナー行ったらそこにいて、まさかの俺のこと認知してくれてたわ…」
やけに高揚している様子だが、残念ながらそれはお前に気があるということではまったくなく、彼女が相当な野球バカだからだ、と心中で唱える。
「私服めっちゃかわいかった…ちょっとピタッとしたニットと、なんか大人っぽいスカート着ててさ」
「はあ?なんだそれ。記憶分けろ!」
「いやー、やっぱ月城さんてさ…でかいよな」
めき、と鈍い音を立てて、手の中の箸が軋む。
「それなー。細いのにな」
「いやマジで。あれはでかい」
野球部員たちのほどんどが大柄であることを抜きにしても、囲まれるとかわいそうなほどに小柄なはるかに“でかい”という言葉が当てはまる要素。
そんなものは、一つしかない。
「お前ら」
自分でも聞いたことのないような低い声が、転がり出ていた。
「…くだらねえこと言ってる余裕あんのかよ。一生レギュラー入れなくてもいいのか」
ひい、と1年生たちの声が漏れる。
はじめから、そんな1年生たちと瑛を交互に見てはソワソワしていたらしい2年生や3年生もこちらを見ていた。
たいへんやかましい眼差しで。
「あと…あいつ、はるかは俺の彼女だから。二度と汚ねえ目で見てくれるなよ」
いつの間にか、軋んだ箸はそのまま真っ二つに折れていた。
その破片がテーブルを転がる音が、静まり返った食堂に響き渡る。
次の瞬間、1年生たちが血相を変えて立ち上がる音と、2、3年生が笑い転げる声がこだました。
チャイムと同時に、教室には分かりやすく浮足立った空気が充満した。
担当教師が回収していった、期末テストの問題用紙。
クラスメイトたちの思考は、一週間後の修学旅行へまっしぐらだ。
瑛としては、また今年もオフシーズンになってしまうことの方が重大だった。
学内での練習はいくらでもできるが、やはり試合でしか得られないものはある。
それに、修学旅行ともなれば普段の練習すらできなくなるのだ。
そんな状態が一週間近くも続くなら、対して興味もない旅へ赴くよりもはるかと一緒にいた方がよっぽど有意義だ。
昨年もはるかと同じクラスだった拓真は旅先でも一緒だったのだろうか、そういえば当時はいろいろとこじれていて修学旅行の話を聞けていなかった、などと脳内はすぐにはるかのことで埋め尽くされる。
「ねえ、日坂君」
冬空に思考を浮かべていると、ふいに名前を呼ばれた。
視線だけを寄越すと前の席の女子生徒が、恐る恐るといった様子で瑛を見ていた。
「修学旅行の時さ、ちょっとどこかで時間もらえないかな…」
「は?」
窓の外に向けたままだった顔を、そちらに向ける。
教室の奥でこの世の終わりのような顔をしている正也が視界に入った。
かつてはピンチのマウンドでよく見せていた顔。テストの出来が相当まずかったのだろう。
「できれば、1日目の夜とか」
そうだ、自分は今こいつに話しかけられていたんだった、そう思い出して瑛は視線を戻した。
「なんで?」
「えっ…」
「だから、なんで?用があるなら今言ってもらった方が助かるんだけど」
旅先にバットはさすがに持ち込めないだろうから、夜はせめてロードワークでもしたい。
それでも時間を持て余すだろうから、それならはるかに電話でもしていたい。
目の前の女子生徒に苛立ちすら感じながら続く言葉を待っていると、彼女は急に立ち上がった。
「ごめん。何でもない…」
それだけ言い残して、教室を出ていく。
「…何なんだよ」
悪態をついて、また窓の外へと視線を向ける。
何かが引っかかるような気がしてもう一度辺りを見遣ると、渚が見るからにドン引きの表情をこちらに向けていた。
──わたしの気持ちも、なめないでいただきたい!
そう宣言してくれたはるかのおかげで、瑛の心はずいぶんと軽くなった。
“打つと見せかけてヒッティングだ”
ラベルの上の文字に笑いがこみ上げることも、もうなくなるんだと思っても、前を向いていられる。
それでも、怖いものは怖いし──不快なものは不快だ。
その日は夕食後の食堂で、千景とともに練習試合のスコアを眺めていた。
ドラフトで指名を受け、年明けには球団の寮に入ることとなった拓真は多忙で不在がちになり、先輩の教えを乞うならば千景に声をかけることが増えた。
かくいう千景も大学から声がかかったらしく、進学はほぼ決定しているらしい。
夏の県大会決勝や甲子園でなかなかヒットが出ず、リードオフマンの役割が果たせなかった責任と悔しさを強く感じており、打撃を徹底的に強化したいと意気込んでいる。
「あの…チカさん、ちょっと聞きたいことがあって」
そんな二人のもとへ、1年生の部員が近付いてきた。
「うん?」
千景がスコアブックから顔を上げる。
よく見ると、他にも何人かの1年生たちが集まってこちらをちらちらと気にしていた。
「月城さんって、チカさんと拓さんと同じクラスなんですよね…?」
「うん、そうだけど」
強烈に嫌な予感がした。
「あの…付き合ってるんですか?チカさんか、拓さんか…」
カチ、と意味もなくボールペンをノックする。
耳障りな音がいやに響いたが、へし折るよりはマシだろう。
「…ううん、違うよ」
千景がそう答えると、1年生はあからさまに安堵した様子だった。
離れたところにいる集団も。
「そうなんですね。すいません、ちょっとそれ聞きたくて」
「そっか。まあでも、あの子最低でも打率5割ないと男として見れないって言ってたよ」
「えええっ!?」
すごすごと集団のもとへ戻っていく1年生の背中を見送る。
「…マジでそんなこと言ってんすか、あいつ」
「いや?余計なことされたら目障りだから」
あっけらかんと言い放つ千景は、やっぱりいつものこの笑顔だ。
「俺昨日、アルプスで月城さんに会った!」
翌朝もまた食堂で聞こえてきた声に、今度は何だ、と顔をしかめる。
ちなみにアルプスというのは、鷺嶋高校から車で20分ほどの距離にあるスポーツ用品店である。
「お前ん家あのへんだっけ」
「そう!野球のコーナー行ったらそこにいて、まさかの俺のこと認知してくれてたわ…」
やけに高揚している様子だが、残念ながらそれはお前に気があるということではまったくなく、彼女が相当な野球バカだからだ、と心中で唱える。
「私服めっちゃかわいかった…ちょっとピタッとしたニットと、なんか大人っぽいスカート着ててさ」
「はあ?なんだそれ。記憶分けろ!」
「いやー、やっぱ月城さんてさ…でかいよな」
めき、と鈍い音を立てて、手の中の箸が軋む。
「それなー。細いのにな」
「いやマジで。あれはでかい」
野球部員たちのほどんどが大柄であることを抜きにしても、囲まれるとかわいそうなほどに小柄なはるかに“でかい”という言葉が当てはまる要素。
そんなものは、一つしかない。
「お前ら」
自分でも聞いたことのないような低い声が、転がり出ていた。
「…くだらねえこと言ってる余裕あんのかよ。一生レギュラー入れなくてもいいのか」
ひい、と1年生たちの声が漏れる。
はじめから、そんな1年生たちと瑛を交互に見てはソワソワしていたらしい2年生や3年生もこちらを見ていた。
たいへんやかましい眼差しで。
「あと…あいつ、はるかは俺の彼女だから。二度と汚ねえ目で見てくれるなよ」
いつの間にか、軋んだ箸はそのまま真っ二つに折れていた。
その破片がテーブルを転がる音が、静まり返った食堂に響き渡る。
次の瞬間、1年生たちが血相を変えて立ち上がる音と、2、3年生が笑い転げる声がこだました。
チャイムと同時に、教室には分かりやすく浮足立った空気が充満した。
担当教師が回収していった、期末テストの問題用紙。
クラスメイトたちの思考は、一週間後の修学旅行へまっしぐらだ。
瑛としては、また今年もオフシーズンになってしまうことの方が重大だった。
学内での練習はいくらでもできるが、やはり試合でしか得られないものはある。
それに、修学旅行ともなれば普段の練習すらできなくなるのだ。
そんな状態が一週間近くも続くなら、対して興味もない旅へ赴くよりもはるかと一緒にいた方がよっぽど有意義だ。
昨年もはるかと同じクラスだった拓真は旅先でも一緒だったのだろうか、そういえば当時はいろいろとこじれていて修学旅行の話を聞けていなかった、などと脳内はすぐにはるかのことで埋め尽くされる。
「ねえ、日坂君」
冬空に思考を浮かべていると、ふいに名前を呼ばれた。
視線だけを寄越すと前の席の女子生徒が、恐る恐るといった様子で瑛を見ていた。
「修学旅行の時さ、ちょっとどこかで時間もらえないかな…」
「は?」
窓の外に向けたままだった顔を、そちらに向ける。
教室の奥でこの世の終わりのような顔をしている正也が視界に入った。
かつてはピンチのマウンドでよく見せていた顔。テストの出来が相当まずかったのだろう。
「できれば、1日目の夜とか」
そうだ、自分は今こいつに話しかけられていたんだった、そう思い出して瑛は視線を戻した。
「なんで?」
「えっ…」
「だから、なんで?用があるなら今言ってもらった方が助かるんだけど」
旅先にバットはさすがに持ち込めないだろうから、夜はせめてロードワークでもしたい。
それでも時間を持て余すだろうから、それならはるかに電話でもしていたい。
目の前の女子生徒に苛立ちすら感じながら続く言葉を待っていると、彼女は急に立ち上がった。
「ごめん。何でもない…」
それだけ言い残して、教室を出ていく。
「…何なんだよ」
悪態をついて、また窓の外へと視線を向ける。
何かが引っかかるような気がしてもう一度辺りを見遣ると、渚が見るからにドン引きの表情をこちらに向けていた。