[Theme 02]2年生編
53
その動画が流れてきたのは、ほとんど偶然だった。
新チームの始動から間もなく秋季大会が幕を開け、昨年以上に慌ただしい日々となった秋のはじめ。
入浴後、自室で数日ぶりにSNSを眺めていると、サジェスト機能で表示された動画に目が留まった。
いわゆるストリートピアノと思しきグランドピアノに座り、鍵盤に手を伸ばすその姿。
──“急いでたけどつい聞き入っちゃった。※掲載許可もらってます”
そんなコメントをつけている投稿主は、モデルか何かのようではるか本人ではない。
その上流れ出した音色は瑛の知るそれとはどこか違ったけれど、時折途切れるボカシから垣間見える顔は、間違いなくはるかだった。
スピーカー越しでも、鳥肌が立った。
情熱だけじゃない。
彼女の豊かな心がそのまま音になったかのような繊細な表現に、ぞわりと寒気すら覚えた。
投稿からは既に一か月ほどが経っていて、リアクションを示すマークの横には莫大な数字が刻まれていた。
とんでもないものを見てしまった、そんな衝撃を落ち着かせるようにSNSの画面を閉じると、そこにあるのは甲子園で父親が撮ってくれたはるかとのツーショット。
少しだけメイクをしていたのか、より一層華やいだその笑顔は、既に遠い存在のようにも思えた。
「え、もう風呂入ったんですよね?」
瑛がバットを取り出す音に、机に向かっていた冬真が振り返る。
「まあ、また後で軽くシャワー浴びるわ」
「…僕も、いいですか」
扉を開けた瑛に続いて、冬真もバットを手に取った。
講堂を満たす歌声と、ピアノの旋律。
生徒たちは息を呑んでいた。
指揮者とひな壇のクラスメイトたちを交互に見つめながらピアノを弾くはるか。
その眼差しは陽だまりのようにあたたかいのに、紡ぐ音色は聴く者すべてを、どこか不気味な曲の世界へずるりずるりと引き込んでいく。
はっとするような歌詞をひどく美しく響かせる歌声が、戸惑う心を追い詰めていく。
しかしいつしか、雲の隙間から光が差すように、ピアノの音色が穏やかなものへと表情を変えていった。
その音に乗り、光に包まれてゆく歌声は、神々しさすら漂わせた。
指揮者の手の平がそっと結ばれた瞬間、生徒たちは数秒の間拍手すら忘れて呆然としていた。
「す、すごかったね月城先輩たちのクラス…」
「さすが3年だな…ていうかマジでピアノうまくね?」
合唱コンクールの結果発表で3年A組の優勝が言い渡された後、瑛は正也や渚とともに講堂エントランスのソファに座り込んでいた。
例の合唱委員とは3年生でも同じクラスになり、はるかの方から伴奏を買って出たという。
律儀なヤツだな、とだけ思っていたが、普段の演奏と勝手が違う中ここまでのものを仕上げてくるとは、瑛はますます気が遠くなるようだった。
「ごめんね、もう閉めた後だったのに」
頭上からはるかの声がして、どきりとする。
「いや、ここはまだだったから」
知らない男子生徒の声も一緒だった。
瑛たちのいる場所は二階席の入り口へと続く階段の真下で、おそらくこれから降りてくるであろう二人に、なんとなく固唾を呑んで身構えた。
しかし、階段を降りる足音が一向に聞こえてこない。
「どうしたの?山野君。立ちくらみ?」
「いや…あのさ、月城」
雰囲気が変わったのを感じ取り、三人で目を見合わせる。
「月城ってやっぱ、野球部の誰かと付き合ってんの…?」
「えっ!?う、うん。そうだね…?」
「そっか…」
ほう、と聞こえないようにそっと息を吐く。
しかし意外にも、話はそこで終わらなかった。
「これはもう、伝えたいだけの自己満足なんだけどさ」
「うん?」
「俺、月城のこと…好きなんだよね。1年の時から」
飛び出さんばかりの勢いで立ち上がった瑛を、正也が取り押さえた。
「え…」
「それだけ、なんだけど。ダメだって分かってても、ただ伝えたかった」
「…そっ、か。その…気持ちに応えられなくて、ごめんなさい。でも…ありがとう」
男子生徒が息を呑んだのが、分かった。
「うん。やっぱり、卒業前に言えてよかった」
その声は、とても晴れやかだった。
「じゃあ俺、下も戸締りしてくるから」
「あ、うん!」
「それと、月城のピアノすげーよかった!卒業アルバムにサインよろしく!」
威勢のいい声の後、階段を駆け下りる音がした。
瑛たちには気が付かないまま去っていくその背中には、清々しさすら感じられた。
「かっけー…」
正也が留めていた声を漏らす。
「俺もあんな男になりてえわ」
「どんなだよ。フラれてるだけだろ」
「フラれる度胸すらないのが俺たちなんだよ」
ざわざわとした胸に炭酸飲料を流し込むと、やけにチクチクと沁みた。
「…“文化祭マジック”って知ってる?」
「は?」
「“体育祭マジック”もあるんだけど…文化祭とか体育祭の時期は、カップルがよくできるっていうジンクスだよ」
「なんだそれ…」
渚の言葉に心底呆れた視線を返すと、正也はやけに神妙な顔つきで頷いていた。
「なるほどな。クラスのみんなで過ごす時間が多くなるし、なんか非日常感?浮ついた雰囲気で盛り上がって、とかもあるわけか」
「そうそう。月城先輩の場合は、普段はほとんどの人が気が引けて言えないけど、こういう時は勇気を出して言ってみようって気分になる人もいるみたいだね」
「へえー。じゃあ去年も?」
「吹部の演奏の後で呼び出されてるのは何回も見たよ」
いよいよ胸糞が悪くなってきた、そんな心持にペットボトルを握り潰したところで、再び階段を駆け下りる音が聞こえた。
三人はすっかり忘れていたのだ、頭上にはまだ一人残っていたことを。
「こら!そこの野球少年!音楽少年!」
「わああ!月城先輩っ!!」
「すんません!」
腰に手を当てて“怒っています”ポーズをとるはるかの頬は、薄っすらと赤い。
「え、わ、瑛くん!?」
考えるより先にその手をとって、瑛は歩き出していた。
________________
■3年A組の合唱曲
僕が僕を見ている/岩崎太整 (作曲)、 横山潤子(編曲)、川村元気 (作詞)
その動画が流れてきたのは、ほとんど偶然だった。
新チームの始動から間もなく秋季大会が幕を開け、昨年以上に慌ただしい日々となった秋のはじめ。
入浴後、自室で数日ぶりにSNSを眺めていると、サジェスト機能で表示された動画に目が留まった。
いわゆるストリートピアノと思しきグランドピアノに座り、鍵盤に手を伸ばすその姿。
──“急いでたけどつい聞き入っちゃった。※掲載許可もらってます”
そんなコメントをつけている投稿主は、モデルか何かのようではるか本人ではない。
その上流れ出した音色は瑛の知るそれとはどこか違ったけれど、時折途切れるボカシから垣間見える顔は、間違いなくはるかだった。
スピーカー越しでも、鳥肌が立った。
情熱だけじゃない。
彼女の豊かな心がそのまま音になったかのような繊細な表現に、ぞわりと寒気すら覚えた。
投稿からは既に一か月ほどが経っていて、リアクションを示すマークの横には莫大な数字が刻まれていた。
とんでもないものを見てしまった、そんな衝撃を落ち着かせるようにSNSの画面を閉じると、そこにあるのは甲子園で父親が撮ってくれたはるかとのツーショット。
少しだけメイクをしていたのか、より一層華やいだその笑顔は、既に遠い存在のようにも思えた。
「え、もう風呂入ったんですよね?」
瑛がバットを取り出す音に、机に向かっていた冬真が振り返る。
「まあ、また後で軽くシャワー浴びるわ」
「…僕も、いいですか」
扉を開けた瑛に続いて、冬真もバットを手に取った。
講堂を満たす歌声と、ピアノの旋律。
生徒たちは息を呑んでいた。
指揮者とひな壇のクラスメイトたちを交互に見つめながらピアノを弾くはるか。
その眼差しは陽だまりのようにあたたかいのに、紡ぐ音色は聴く者すべてを、どこか不気味な曲の世界へずるりずるりと引き込んでいく。
はっとするような歌詞をひどく美しく響かせる歌声が、戸惑う心を追い詰めていく。
しかしいつしか、雲の隙間から光が差すように、ピアノの音色が穏やかなものへと表情を変えていった。
その音に乗り、光に包まれてゆく歌声は、神々しさすら漂わせた。
指揮者の手の平がそっと結ばれた瞬間、生徒たちは数秒の間拍手すら忘れて呆然としていた。
「す、すごかったね月城先輩たちのクラス…」
「さすが3年だな…ていうかマジでピアノうまくね?」
合唱コンクールの結果発表で3年A組の優勝が言い渡された後、瑛は正也や渚とともに講堂エントランスのソファに座り込んでいた。
例の合唱委員とは3年生でも同じクラスになり、はるかの方から伴奏を買って出たという。
律儀なヤツだな、とだけ思っていたが、普段の演奏と勝手が違う中ここまでのものを仕上げてくるとは、瑛はますます気が遠くなるようだった。
「ごめんね、もう閉めた後だったのに」
頭上からはるかの声がして、どきりとする。
「いや、ここはまだだったから」
知らない男子生徒の声も一緒だった。
瑛たちのいる場所は二階席の入り口へと続く階段の真下で、おそらくこれから降りてくるであろう二人に、なんとなく固唾を呑んで身構えた。
しかし、階段を降りる足音が一向に聞こえてこない。
「どうしたの?山野君。立ちくらみ?」
「いや…あのさ、月城」
雰囲気が変わったのを感じ取り、三人で目を見合わせる。
「月城ってやっぱ、野球部の誰かと付き合ってんの…?」
「えっ!?う、うん。そうだね…?」
「そっか…」
ほう、と聞こえないようにそっと息を吐く。
しかし意外にも、話はそこで終わらなかった。
「これはもう、伝えたいだけの自己満足なんだけどさ」
「うん?」
「俺、月城のこと…好きなんだよね。1年の時から」
飛び出さんばかりの勢いで立ち上がった瑛を、正也が取り押さえた。
「え…」
「それだけ、なんだけど。ダメだって分かってても、ただ伝えたかった」
「…そっ、か。その…気持ちに応えられなくて、ごめんなさい。でも…ありがとう」
男子生徒が息を呑んだのが、分かった。
「うん。やっぱり、卒業前に言えてよかった」
その声は、とても晴れやかだった。
「じゃあ俺、下も戸締りしてくるから」
「あ、うん!」
「それと、月城のピアノすげーよかった!卒業アルバムにサインよろしく!」
威勢のいい声の後、階段を駆け下りる音がした。
瑛たちには気が付かないまま去っていくその背中には、清々しさすら感じられた。
「かっけー…」
正也が留めていた声を漏らす。
「俺もあんな男になりてえわ」
「どんなだよ。フラれてるだけだろ」
「フラれる度胸すらないのが俺たちなんだよ」
ざわざわとした胸に炭酸飲料を流し込むと、やけにチクチクと沁みた。
「…“文化祭マジック”って知ってる?」
「は?」
「“体育祭マジック”もあるんだけど…文化祭とか体育祭の時期は、カップルがよくできるっていうジンクスだよ」
「なんだそれ…」
渚の言葉に心底呆れた視線を返すと、正也はやけに神妙な顔つきで頷いていた。
「なるほどな。クラスのみんなで過ごす時間が多くなるし、なんか非日常感?浮ついた雰囲気で盛り上がって、とかもあるわけか」
「そうそう。月城先輩の場合は、普段はほとんどの人が気が引けて言えないけど、こういう時は勇気を出して言ってみようって気分になる人もいるみたいだね」
「へえー。じゃあ去年も?」
「吹部の演奏の後で呼び出されてるのは何回も見たよ」
いよいよ胸糞が悪くなってきた、そんな心持にペットボトルを握り潰したところで、再び階段を駆け下りる音が聞こえた。
三人はすっかり忘れていたのだ、頭上にはまだ一人残っていたことを。
「こら!そこの野球少年!音楽少年!」
「わああ!月城先輩っ!!」
「すんません!」
腰に手を当てて“怒っています”ポーズをとるはるかの頬は、薄っすらと赤い。
「え、わ、瑛くん!?」
考えるより先にその手をとって、瑛は歩き出していた。
________________
■3年A組の合唱曲
僕が僕を見ている/岩崎太整 (作曲)、 横山潤子(編曲)、川村元気 (作詞)