[Theme 02]2年生編
44
「そうか」
はるかが千景に促されてバッティングセンターでの一件を話すと、拓真は何ともあっさりとした相槌を返した。
「それだけ?」
「あの、“眼中にない”とでも言うような口ぶり…敵、味方の前にスポーツマンとしてどうなのかな!」
「はは。あいつはそういうやつだからな」
「え?知り合いなの?」
「中学まで同じチームだった」
拓真の言葉に、はるかと千景が目を見合わせる。
なんでも鷺嶋で生まれ育った二人は、小学生の頃から同じチームでプレーする仲間であり、4番を奪い合うライバルでもあったという。
「高校、一緒にしなかったんだ」
「単純なことだ。俺には高峰からは声がかからなかったからな」
呟くように言った千景に答えたその声は、いつも通り淡々としていた。
「だが、俺は鷺嶋に来て良かったと思っている。鷺嶋から話が来た時、監督が父親の恩師だということを知ったんだ」
「お父さんも、野球を?」
「ああ。ここじゃなくて関西の高校だったけどな」
拓真の父親は、2年生の夏、まだ若かった監督とともに甲子園に行ったという。
当時は控え投手で、登板の機会はそこまで多くなかった。
3年生の引退後、エースナンバーを引き継ぎ、次こそはエースとして甲子園のマウンドに立つ。
それが高校生活最後にして最大の目標であった。
しかし、順調に勝ち進んでいた予選の最中、故障によってその夢は絶たれた。
それだけでなく、期待されつつあったこれからの選手生命そのものも、あまりにあっけなく潰えてしまったのだ。
「それでも父親は、高校球児としての3年間を、“幸せだった”と言ったんだ」
あまり深くは聞けずにいたその話を、はじめて父が語った日。
“もっと野球をしたかった”という思いは、もちろんある。
だけど、監督とともに野球をやれたこと。
甲子園のマウンドには辿り着けなかったけれど、監督の下で、短い間でも確かにエースになれたこと。
それが心から幸せだったと、そう言ったのだ。
「俺もそんな人のもとで、野球をやってみたいと思った。父親の気持ちはまだ分かるような、分からないようなといったところだがな」
「…少し時間が経ってから、わかっていくのかもしれないね。引退した後、あるいは大人になってから、とか」
「そうだな。ああ、でも…父親と同じ、控えから一人のエースが生まれる瞬間を近くで見ていられるのは、既に幸せなことだろうな」
拓真がわずかに、目を細める。
キャッチャーマスクの先に見つめるマウンドの上、そこに立つ存在に、はるかも千景も思いを馳せる。
「…わたし、ばかだったな」
はるかはゆっくりと瞬きをして、そうこぼした。
「あんな一言に勝手にムキになっちゃって。ただのファンなのにね」
「いや、そんなことはない。売られたケンカは買わないとな」
「うんうん、僕たちの代わりにメンチ切ってくれてありがとう。ホント頼もしいよ」
千景に優しく肩を叩かれ、はるかは首を傾げる。
「わたしがなんて言い返したかは言ってないよね?」
「やっぱり言い返したんだ」
「えっ」
「なんて言ってくれたんだ?」
「…“決勝戦、楽しみにしてます”って、それだけ。メンチは切ってないよ!」
少し頬を赤くしてそっぽを向いたはるかに、拓真と千景は頬を緩めた。
「はるかちゃんは、“ただのファン”なんかじゃないよ」
「そうだな」
一瞬、ちらりと視線を合わせて。
「僕たち鷺嶋野球部の裏番長ね」
「裏番長!?」
「舎弟として、不届者はきっちり始末しておこう」
──こんな人に応援してもらえるなんて、やっぱり幸せ者だな。
二人ははるかをからかいながら、胸の中の決意を新たにしていた。
「ファール!」
けたたましい音を立てて、打球がバックネットを揺らす。
ツーボール・ツーストライクの平行カウント。
拓真はマウンドを見据え、あらゆる可能性に思考を巡らせる。
ピッチャーがゆるやかに足を上げた瞬間、グリップが軋んだ。
その音に、息を吞む。
鋭く伸びた打球は、瞬く間に三遊間を破った。
歓声の中、拓真が滑り込んだのは二塁。
先ほどの“高峰の4番”と同じその場所で、瑛を待っている。
強豪・高峰を相手に、4番が呼び込んだ先制のチャンス。
一発目がこれかよ、と思わず苦笑がこぼれた。
ベンチに佇む監督を見る。
サインは、今日もヒッティング。
──この背中にね、いろんなものがのっかってるんだなあって、思うの
今この瞬間も、そんなふうにこの背中を見ていてくれているんだろうか。
そう思い浮かべたところで、聞こえてきたフレーズ。
いくつもの音が重なる中に、そのたった一つの音が、不思議と分かる気がした。
──なんかキレ気味じゃねえ?
ああ、“背中なんか見れねえよ”ってことか。
そんなことは、分かっていての“ワガママ”だけど。
──悪いな
心の奥で呟いて、バットを振った。
毎日、もう何年も、朝から晩までそうしていたように。
そして、手元に宿った確かな“手応え”。
そこから飛び出していった打球は、前方に出ていた左翼手の頭上を越えた。
拓真が三塁を蹴る。
鋭い返球が捕手のミットに辿り着くよりも先に、拓真が先制のホームインを遂げた。
沸き上がる歓声の中、少しだけスタンドを見遣る。
この距離では表情までは見えないのが惜しいな、と心底思った。
「そうか」
はるかが千景に促されてバッティングセンターでの一件を話すと、拓真は何ともあっさりとした相槌を返した。
「それだけ?」
「あの、“眼中にない”とでも言うような口ぶり…敵、味方の前にスポーツマンとしてどうなのかな!」
「はは。あいつはそういうやつだからな」
「え?知り合いなの?」
「中学まで同じチームだった」
拓真の言葉に、はるかと千景が目を見合わせる。
なんでも鷺嶋で生まれ育った二人は、小学生の頃から同じチームでプレーする仲間であり、4番を奪い合うライバルでもあったという。
「高校、一緒にしなかったんだ」
「単純なことだ。俺には高峰からは声がかからなかったからな」
呟くように言った千景に答えたその声は、いつも通り淡々としていた。
「だが、俺は鷺嶋に来て良かったと思っている。鷺嶋から話が来た時、監督が父親の恩師だということを知ったんだ」
「お父さんも、野球を?」
「ああ。ここじゃなくて関西の高校だったけどな」
拓真の父親は、2年生の夏、まだ若かった監督とともに甲子園に行ったという。
当時は控え投手で、登板の機会はそこまで多くなかった。
3年生の引退後、エースナンバーを引き継ぎ、次こそはエースとして甲子園のマウンドに立つ。
それが高校生活最後にして最大の目標であった。
しかし、順調に勝ち進んでいた予選の最中、故障によってその夢は絶たれた。
それだけでなく、期待されつつあったこれからの選手生命そのものも、あまりにあっけなく潰えてしまったのだ。
「それでも父親は、高校球児としての3年間を、“幸せだった”と言ったんだ」
あまり深くは聞けずにいたその話を、はじめて父が語った日。
“もっと野球をしたかった”という思いは、もちろんある。
だけど、監督とともに野球をやれたこと。
甲子園のマウンドには辿り着けなかったけれど、監督の下で、短い間でも確かにエースになれたこと。
それが心から幸せだったと、そう言ったのだ。
「俺もそんな人のもとで、野球をやってみたいと思った。父親の気持ちはまだ分かるような、分からないようなといったところだがな」
「…少し時間が経ってから、わかっていくのかもしれないね。引退した後、あるいは大人になってから、とか」
「そうだな。ああ、でも…父親と同じ、控えから一人のエースが生まれる瞬間を近くで見ていられるのは、既に幸せなことだろうな」
拓真がわずかに、目を細める。
キャッチャーマスクの先に見つめるマウンドの上、そこに立つ存在に、はるかも千景も思いを馳せる。
「…わたし、ばかだったな」
はるかはゆっくりと瞬きをして、そうこぼした。
「あんな一言に勝手にムキになっちゃって。ただのファンなのにね」
「いや、そんなことはない。売られたケンカは買わないとな」
「うんうん、僕たちの代わりにメンチ切ってくれてありがとう。ホント頼もしいよ」
千景に優しく肩を叩かれ、はるかは首を傾げる。
「わたしがなんて言い返したかは言ってないよね?」
「やっぱり言い返したんだ」
「えっ」
「なんて言ってくれたんだ?」
「…“決勝戦、楽しみにしてます”って、それだけ。メンチは切ってないよ!」
少し頬を赤くしてそっぽを向いたはるかに、拓真と千景は頬を緩めた。
「はるかちゃんは、“ただのファン”なんかじゃないよ」
「そうだな」
一瞬、ちらりと視線を合わせて。
「僕たち鷺嶋野球部の裏番長ね」
「裏番長!?」
「舎弟として、不届者はきっちり始末しておこう」
──こんな人に応援してもらえるなんて、やっぱり幸せ者だな。
二人ははるかをからかいながら、胸の中の決意を新たにしていた。
「ファール!」
けたたましい音を立てて、打球がバックネットを揺らす。
ツーボール・ツーストライクの平行カウント。
拓真はマウンドを見据え、あらゆる可能性に思考を巡らせる。
ピッチャーがゆるやかに足を上げた瞬間、グリップが軋んだ。
その音に、息を吞む。
鋭く伸びた打球は、瞬く間に三遊間を破った。
歓声の中、拓真が滑り込んだのは二塁。
先ほどの“高峰の4番”と同じその場所で、瑛を待っている。
強豪・高峰を相手に、4番が呼び込んだ先制のチャンス。
一発目がこれかよ、と思わず苦笑がこぼれた。
ベンチに佇む監督を見る。
サインは、今日もヒッティング。
──この背中にね、いろんなものがのっかってるんだなあって、思うの
今この瞬間も、そんなふうにこの背中を見ていてくれているんだろうか。
そう思い浮かべたところで、聞こえてきたフレーズ。
いくつもの音が重なる中に、そのたった一つの音が、不思議と分かる気がした。
──なんかキレ気味じゃねえ?
ああ、“背中なんか見れねえよ”ってことか。
そんなことは、分かっていての“ワガママ”だけど。
──悪いな
心の奥で呟いて、バットを振った。
毎日、もう何年も、朝から晩までそうしていたように。
そして、手元に宿った確かな“手応え”。
そこから飛び出していった打球は、前方に出ていた左翼手の頭上を越えた。
拓真が三塁を蹴る。
鋭い返球が捕手のミットに辿り着くよりも先に、拓真が先制のホームインを遂げた。
沸き上がる歓声の中、少しだけスタンドを見遣る。
この距離では表情までは見えないのが惜しいな、と心底思った。