[Theme 02]2年生編
39
「お前は一体、何をどうしたいんだ」
自販機の灯りに照らされた険しい顔は、さながらホラー映画のようで笑った。
「もしかしたらまだ知らないのかもしれないが、あのふたりは…」
「付き合ってるんでしょ?知ってるよ」
「…なら、どうしてだ」
「うーん、場所変えない?」
千景の言葉で向かったのは、3年生になってからの拓真の部屋。
同室の部員は不在のようだった。
「で、何?」
「ああ。お前は、何がしたくて日坂にちょっかいをかけているんだ」
さすが何でもかんでも直球だなあ、千景は呑気にそんなことを考えた。
「何がしたくて、か」
「そうだ」
「ふたりの仲を裂きたくて、かな」
そのまま、直球を返した。
拓真は信じられないという顔をしている。
「…どうして、そんなことを」
「はるかちゃんが好きだからだよ」
「な…」
尚も投げ込まれた直球に、言葉を失ったらしい拓真に千景はくすくすと笑う。
「ねえ、あのふたり、デートしたことないんだって」
「それは仕方ないだろう。日坂はうちの主力だし、人一倍自主練もしているからな」
「だから、僕は言わないんだよ」
「何…?」
「あの子のために、きっと何もしてあげられない。だから好きだなんて、言わない」
千景の言葉を追って、時計の針の音だけが響く。
「…その気持ちは分かるが、だからって伝えることを選んで結ばれた日坂に恨みを向けるのは違うだろう」
「あは、分かるんだ」
「茶化すな…それに、あいつは他人にどうこう言われたくらいで、はるかの手を離したりはしないだろう」
「うん、そうだね。少しは動揺してくれてた時期もあったんだけど、もうダメみたいだ」
千景はわざとらしく肩をすくめた。
そして、視線を窓の外の暗闇に移して、続ける。
「…日坂は、すごいやつだよ。明らかにセンスがあるし、拓真の言う通り努力だって、誰よりもしてる」
さすがに誰もが部屋で休んでいるこの時間だってきっと、どこかでバットを振っているだろう。
「あれはたぶん、プロに行く」
「…ああ、そうだな」
「そうなった時、はるかちゃんは?」
数時間前、白紙の日誌を見下ろしペンを握っていたその後ろ姿を思い出す。
「今より余計に時間はなくなるし、普通の付き合い方なんて到底できないだろうね」
「それは…そうだろうな」
「うん。だとしたらはるかちゃんは、普通の付き合い方を一度もしないまま生きることになるんだよ」
中学生の頃を含め、はるかにとって瑛以外にそういった存在がいたことがないということは、調べがついていた。
それ以前のことは知らないが、何かあったとしてもさすがにノーカウントだろう。
「会いたい時に会えて、人前で一緒にいたって何の問題もなくて、一緒に暮らせば一日中一緒にいられて。そんな当たり前の幸せを、あんなに素敵な子が、知らずに生きていくんだよ」
「…お前だって、そういう意思がないわけではないだろう」
「うん、あるよ。高卒では考えてないけど」
「だったら…」
「別に僕は、それだから日坂じゃなくて僕にしろって言いたいんじゃない」
視線を戻すと、拓真は真っ直ぐに千景を見ていた。
彼はいつもそうだ。
誰が相手でも、こんなふうに真っ直ぐに。
「日坂でも僕でもなくて、彼女が幸せでいられる場所で、穏やかに笑っていて欲しい。ただそれだけだよ」
まるで、自分とは正反対だった。
「…お前の気持ちは分かった。いや、分かったというのは俺も同じ気持ちということではなく、」
「それはどうかな?」
「だから、茶化すな。それでも、やっぱりお前のしていることは勝手だと俺は思う。ふたりのことは、ふたりが決めることだ。そんなことよりとは何だが、俺たちは今、大事な戦いの中にいる。いくら日坂がしっかり切り替えてプレーできているとしても、いつどんな形で影響が出るかは分からない」
主将としての言葉には、千景も何も言えなかった。
「千景、お前だってそうだ」
「え…?」
「言っただろう、お前なりにはるかを大切に思う気持ちは分かった。だからこそ、自分で自分を苦しめるようなことはするな」
かなわないな、そう思った。
瑛にも、目の前の男にも。
「あはは、やっぱり」
拓真の部屋を出て少し歩くと、すぐにバットを振る瑛に出くわした。
「…お疲れ様です」
千景の顔を見た瞬間、不信感を隠そうともせず全身から漂わせる。
試合中、グラブを向けて声をかけてくる姿が別人のようだ。
「…ねえ、将来どうするの?はるかちゃんとのこと」
「はあ…?」
バットを振り続けながらも、無視はしないのは野球部らしさというか何というか。
「一軍上がったらさっさと結婚して世間にも公表しますけど」
「うわ、クソガキが何言ってんだか」
いくら高い能力を持っていても、所詮は高校生。
その言葉は、今の彼が口にするとあまりに軽薄な響きになって、夜の闇に消えていく。
だけど、もしも自分が彼の立場だったとして、同じことが言えるだろうか。
「ねえ。やっぱり、君のしてることって結構ひどいと思うよ」
いつだったか、同じ場所で彼にぶつけた言葉を繰り返す。
「だから、何なんすか」
あの時黙り込んでいた彼は、バットを握りしめて真っ直ぐにこちらを見据えた。
「いくら付き合っててもさ。やっぱり呆れるくらい勝手だし、強引」
もう一度思い出す。
数時間前、白紙の日誌を見下ろしペンを握っていたその、横顔。
わずかな晴れ間に、きらきらと輝く瞳。
「そんな君の隣を彼女が選ぶのなら、そこが彼女の幸せの在り処なんだろうね」
「…マジで何言ってんすか…?」
「“普通の人”にとられないようにね、」
──瑛。
そう呼んでみたら、見たこともないくらい驚いた表情をして。
面白いものが見れたからまあよかったかな、なんて思うことにした。
「ねえ、将来どうするの?瑛とのこと」
興味本位で、同じような質問を彼女に投げかけてみた。
「え?」
真ん丸の瞳が千景を見上げる。
呼び方が変わったことには気付いていないようだ。
「まあ、なるようになるんじゃない?」
少し考えた後に彼女が投げ返してきたのは、意外な言葉だった。
「結婚するってこと?」
「することになったらするだろうし、ならなかったらしないんじゃない?」
「…適当だなあ」
「だってそんなの、わかんないよ。わたしたちまだ高校生だよ?」
──一軍上がったらさっさと結婚して世間にも公表しますけど
昨夜、当たり前のようにそう語った彼がいよいよ滑稽に見えてくる。
「でも、そうだね…」
「うん?」
「わたしはピアノを弾いていて、瑛くんは野球をしていて。それはずーっと、変わらないんだろうなあ」
気が抜けてしまうくらい、穏やかな笑顔だった。
「はるかちゃんは…うん、とられる心配はいらないだろうなあ」
「とられる?命…?」
「違うよ。瑛を誰かにとられる心配ってこと」
プロ野球選手の周りにいるような人間。
それらを思い浮かべてみても、瑛がはるかを見る眼差しを思うと、誰一人脅威にはなり得ない気がした。
「それは…正直心配だから、頑張らないとなあ」
どうしてこう、一番心配いらないところでそんなに。
あまりにちぐはぐなはるかに、千景はやっぱり気が抜けてしまうのだった。
「お前は一体、何をどうしたいんだ」
自販機の灯りに照らされた険しい顔は、さながらホラー映画のようで笑った。
「もしかしたらまだ知らないのかもしれないが、あのふたりは…」
「付き合ってるんでしょ?知ってるよ」
「…なら、どうしてだ」
「うーん、場所変えない?」
千景の言葉で向かったのは、3年生になってからの拓真の部屋。
同室の部員は不在のようだった。
「で、何?」
「ああ。お前は、何がしたくて日坂にちょっかいをかけているんだ」
さすが何でもかんでも直球だなあ、千景は呑気にそんなことを考えた。
「何がしたくて、か」
「そうだ」
「ふたりの仲を裂きたくて、かな」
そのまま、直球を返した。
拓真は信じられないという顔をしている。
「…どうして、そんなことを」
「はるかちゃんが好きだからだよ」
「な…」
尚も投げ込まれた直球に、言葉を失ったらしい拓真に千景はくすくすと笑う。
「ねえ、あのふたり、デートしたことないんだって」
「それは仕方ないだろう。日坂はうちの主力だし、人一倍自主練もしているからな」
「だから、僕は言わないんだよ」
「何…?」
「あの子のために、きっと何もしてあげられない。だから好きだなんて、言わない」
千景の言葉を追って、時計の針の音だけが響く。
「…その気持ちは分かるが、だからって伝えることを選んで結ばれた日坂に恨みを向けるのは違うだろう」
「あは、分かるんだ」
「茶化すな…それに、あいつは他人にどうこう言われたくらいで、はるかの手を離したりはしないだろう」
「うん、そうだね。少しは動揺してくれてた時期もあったんだけど、もうダメみたいだ」
千景はわざとらしく肩をすくめた。
そして、視線を窓の外の暗闇に移して、続ける。
「…日坂は、すごいやつだよ。明らかにセンスがあるし、拓真の言う通り努力だって、誰よりもしてる」
さすがに誰もが部屋で休んでいるこの時間だってきっと、どこかでバットを振っているだろう。
「あれはたぶん、プロに行く」
「…ああ、そうだな」
「そうなった時、はるかちゃんは?」
数時間前、白紙の日誌を見下ろしペンを握っていたその後ろ姿を思い出す。
「今より余計に時間はなくなるし、普通の付き合い方なんて到底できないだろうね」
「それは…そうだろうな」
「うん。だとしたらはるかちゃんは、普通の付き合い方を一度もしないまま生きることになるんだよ」
中学生の頃を含め、はるかにとって瑛以外にそういった存在がいたことがないということは、調べがついていた。
それ以前のことは知らないが、何かあったとしてもさすがにノーカウントだろう。
「会いたい時に会えて、人前で一緒にいたって何の問題もなくて、一緒に暮らせば一日中一緒にいられて。そんな当たり前の幸せを、あんなに素敵な子が、知らずに生きていくんだよ」
「…お前だって、そういう意思がないわけではないだろう」
「うん、あるよ。高卒では考えてないけど」
「だったら…」
「別に僕は、それだから日坂じゃなくて僕にしろって言いたいんじゃない」
視線を戻すと、拓真は真っ直ぐに千景を見ていた。
彼はいつもそうだ。
誰が相手でも、こんなふうに真っ直ぐに。
「日坂でも僕でもなくて、彼女が幸せでいられる場所で、穏やかに笑っていて欲しい。ただそれだけだよ」
まるで、自分とは正反対だった。
「…お前の気持ちは分かった。いや、分かったというのは俺も同じ気持ちということではなく、」
「それはどうかな?」
「だから、茶化すな。それでも、やっぱりお前のしていることは勝手だと俺は思う。ふたりのことは、ふたりが決めることだ。そんなことよりとは何だが、俺たちは今、大事な戦いの中にいる。いくら日坂がしっかり切り替えてプレーできているとしても、いつどんな形で影響が出るかは分からない」
主将としての言葉には、千景も何も言えなかった。
「千景、お前だってそうだ」
「え…?」
「言っただろう、お前なりにはるかを大切に思う気持ちは分かった。だからこそ、自分で自分を苦しめるようなことはするな」
かなわないな、そう思った。
瑛にも、目の前の男にも。
「あはは、やっぱり」
拓真の部屋を出て少し歩くと、すぐにバットを振る瑛に出くわした。
「…お疲れ様です」
千景の顔を見た瞬間、不信感を隠そうともせず全身から漂わせる。
試合中、グラブを向けて声をかけてくる姿が別人のようだ。
「…ねえ、将来どうするの?はるかちゃんとのこと」
「はあ…?」
バットを振り続けながらも、無視はしないのは野球部らしさというか何というか。
「一軍上がったらさっさと結婚して世間にも公表しますけど」
「うわ、クソガキが何言ってんだか」
いくら高い能力を持っていても、所詮は高校生。
その言葉は、今の彼が口にするとあまりに軽薄な響きになって、夜の闇に消えていく。
だけど、もしも自分が彼の立場だったとして、同じことが言えるだろうか。
「ねえ。やっぱり、君のしてることって結構ひどいと思うよ」
いつだったか、同じ場所で彼にぶつけた言葉を繰り返す。
「だから、何なんすか」
あの時黙り込んでいた彼は、バットを握りしめて真っ直ぐにこちらを見据えた。
「いくら付き合っててもさ。やっぱり呆れるくらい勝手だし、強引」
もう一度思い出す。
数時間前、白紙の日誌を見下ろしペンを握っていたその、横顔。
わずかな晴れ間に、きらきらと輝く瞳。
「そんな君の隣を彼女が選ぶのなら、そこが彼女の幸せの在り処なんだろうね」
「…マジで何言ってんすか…?」
「“普通の人”にとられないようにね、」
──瑛。
そう呼んでみたら、見たこともないくらい驚いた表情をして。
面白いものが見れたからまあよかったかな、なんて思うことにした。
「ねえ、将来どうするの?瑛とのこと」
興味本位で、同じような質問を彼女に投げかけてみた。
「え?」
真ん丸の瞳が千景を見上げる。
呼び方が変わったことには気付いていないようだ。
「まあ、なるようになるんじゃない?」
少し考えた後に彼女が投げ返してきたのは、意外な言葉だった。
「結婚するってこと?」
「することになったらするだろうし、ならなかったらしないんじゃない?」
「…適当だなあ」
「だってそんなの、わかんないよ。わたしたちまだ高校生だよ?」
──一軍上がったらさっさと結婚して世間にも公表しますけど
昨夜、当たり前のようにそう語った彼がいよいよ滑稽に見えてくる。
「でも、そうだね…」
「うん?」
「わたしはピアノを弾いていて、瑛くんは野球をしていて。それはずーっと、変わらないんだろうなあ」
気が抜けてしまうくらい、穏やかな笑顔だった。
「はるかちゃんは…うん、とられる心配はいらないだろうなあ」
「とられる?命…?」
「違うよ。瑛を誰かにとられる心配ってこと」
プロ野球選手の周りにいるような人間。
それらを思い浮かべてみても、瑛がはるかを見る眼差しを思うと、誰一人脅威にはなり得ない気がした。
「それは…正直心配だから、頑張らないとなあ」
どうしてこう、一番心配いらないところでそんなに。
あまりにちぐはぐなはるかに、千景はやっぱり気が抜けてしまうのだった。