[Theme 02]2年生編
30
入学式に引き続いてはじまった、新入生への部活動紹介。
はるかにとってはここでの演奏が、吹奏楽部員としての最後の演奏となる。
浮足立った新入生たちの雰囲気とあまりに正反対な杏里の顔に、はるかは思わず笑ってしまった。
「なにわろとんねんっ!」
「うん、ごめんね。そんな顔させて。でも、最後だからこそ思いっきり楽しみたいな」
「…おはるぅ…!」
「部長!笑って送り出そうって決めたじゃないですか!」
「渚ちゃんも涙目ですけどー?」
「はっ、これは…」
そんな三人のやりとりは喧騒に紛れて。
ステージの中心で顧問が指揮棒をとり、演奏がはじまった。
今年も、夢の国関連の曲が広い講堂に流れる。
リズムに合わせて身体を揺らす演出は、昨年はなかった気がする。
サックスを抱えたはるかも、ちょこちょこと揺れる姿が小動物のようで頬が緩んだ。
マイクを持つ部員のアナウンスとともに、それぞれのパートが立ち上がる。
楽器の演奏というものを先日はじめて経験した瑛にとっては、それだけでとんでもなく器用な技のように思えた。
すべてのパートの紹介が終わったところで、アップテンポな曲がさらに勢いを増していく。
そこでステージの手前にスポットライトが当たり、今や瑛にとってもお馴染みの三人がそこに立った。
いつの間にかあの国のカチューシャをつけて、女子だけでなく男子からも黄色い声援を受けている渚。
どこで手に入るのか、はたまた自分で書いたのか、でかでかと“部長”と記されたタスキをかけた杏里。
至って普段通りの装いなのに、不思議と纏う空気が特別なものに見える、はるか。
勝手が悪いのか、踏ん張るように小さく開いた足はバッティングの構えのようでまた頬が緩むけれど、表情を見てはっとした。
長いまつげが影を落とす、少し伏せられた瞳。
その手に抱えるサックスを、その音を、あるいは今この時間をいとおしむような。
華やかに伸びていく音色は、今日その場所から旅立つ彼女自身のようだった。
1年前の同じ日、同じ場所ではるかを見ていた。
何もかもが、自分が焦がれ続けた姿とは違ったけれど、きっと彼女だと確信した。
今改めて思う。
はるかがここにいる。
そして、今まさに次の場所へと歩き出そうとしている。
ライトの光を受けてきらめくサックスよりもずっと眩しい、星の瞳はもうきっと、はるか自身すら想像できないような未来を捉えている。
その未来に、自分の未来も重ねられるように。
膝の上で握った拳に、力をこめた。
普段より早く訪れた放課後、はるかの向かう先はもう、音楽室ではない。
1年生の大半はそれが日常だったはずなのに、校内に散らばって練習する吹奏楽部員たちの音色も、他の部活動生たちの姿も、そして遠くのグラウンドに見える球児たちの姿も、こんなにもいとしい景色になっていたことを知る。
このまま、この景色の中で生きていく選択肢だって、きっとあった。
むしろ自分が選ぼうとしているそれよりも、ずっと現実的だろう。
──それでも。
「よし」
センチメンタルな気持ちを振り切って、校舎を出た。
「あれ?瑛くん…と?」
はるかが校門へと向かっていると、はじめて見る顔を連れた瑛に遭遇した。
二人とも制服姿で、今日という日は昨年もオフだと言っていたのをぼんやり思い出す。
「お疲れ。あ…こいつは新入生で…寮で同じ部屋の…」
しどろもどろな言葉に、いろいろと察してしまった。
「そうなんだ。じゃあ野球部ってことね?」
「はい」
「はじめまして。わたしは3年の月城っていいます。去年まで吹奏楽部で、野球部の応援もさせてもらってたんだ」
「そうなんですか」
「うん。それで、瑛くんとは幼馴染なんだ。今日は練習お休み?」
「…はい。寮に帰ろうとしたら日坂先輩に会いました」
ぽんぽんと会話が進む様子に、瑛は呆然としていた。
はるかにとっても馴染み深い二人に相談するよう提案してみたところで途絶えてしまった、昨夜のメッセージを思い出す。
「瑛くん、拓真君とか千景君とは話した?」
それとなく聞いてみたつもりが、瑛は一気に険しい表情になった。
「なあ、それどういうことなんだよ」
「え?」
「いつの間にそんな関係になったわけ?」
ああ、これはまずい。非常にまずい。
「あ…今年、みんな同じクラスになったんだけどね…?」
「はあ?」
「それで!主に二人が!!試合中他人行儀なのが気になるってことで名前で呼びたいという話になり…」
「なんでそれではるかも巻き込まれてんだよ」
「それは…ファンサかな!」
時が止まる。
冷や汗が背中を伝う、ような気がする。
「…ファンサ…?」
声が聞こえたのは、瑛の隣からだった。
「そう!わたし、野球がほんとに大好きでね!?鷺嶋野球部のみなさんも個人的に推させていただいてるの!!」
「ああ…確かに、推しは名前で呼んだりもしますね」
「そうでしょ!?そういうわけで、わたしも便乗してお許しいただいた次第です…!」
「なるほど…」
意外な助け舟に全力で寄りかかる。
それでも尚、瑛はどこからどう見ても怒りの表情を浮かべていた。
「…そういうことなら、僕もいいですか」
「え?」
「ああ?」
「“瑛”先輩」
無表情に見えたその目が、ほんの少し輝いた。
「先輩と、甲子園で二遊間を守ってみたいって思って、それで…」
「…マジ…?」
これには瑛の顔からも怒りの色が消え、戸惑いへと変わった。
「すごいね、瑛くん!じゃあわたしはそろそろ…」
「待て。その…冬真は、先戻ってろ」
「…!はい。月城さん、失礼します」
ぺこりと頭を下げて去っていく背中。
はるかも速やかに立ち去る流れのはずが、なぜがっしりと腕を掴まれているのか。
「…なに?そんな必死になるほど名前で呼びたいわけ?」
「ち、違うよ…」
無事に消えたはずの怒りの色を取り戻し、瑛ははるかを見下ろしている。
「…名前で呼ぶの、瑛くんが嫌がったら、どういう関係?って思うじゃん…」
「は?付き合ってるって言えばいいだろ」
「だ、ダメだよ…!瑛くんは立派な選手で、誰よりも努力だってしてるのに、余計な前情報で印象悪くしたらもったいないよ…!」
「なんで付き合ってたら印象悪くなんだよ。今更だろ」
「瑛くんという人のことを十分わかった上でその事実を知るのとじゃ、全然違うよ…!」
力説してみるものの、瑛の表情は険しいままだ。
だんだんと申し訳なさがこみ上げてきて、小さく頭を下げる。
「…でも、わたしが断らなかったのが悪いね。ごめんなさい」
「…」
「瑛くんどう思うかな?って、少し気にはなったんだけど…わたし個人としては特に断る理由もなくって。アメリカにいたときはそれが普通だったし」
瑛は何も言わない。
顔を上げると、細められた瞳が微かに揺れていた。
「ほんとに嫌だったら、やめるよ。さっきはああ言ったけど、別にわたしが呼びたいってわけじゃないし」
「…いや、ごめん。俺が勝手だった。そのままでいいよ」
声色がふっと軽くなる。
はるかの腕を痛いほど掴んでいた手は、やさしく頭を撫ぜていった。
「“先輩ムーブ”については、はるか先輩を見習うしかないですし?」
「い、今その話する…?」
「おとなしく従っとくことにするわ。ただし、別にわざわざ言いはしねえけど、隠しもしねえからな」
「えっ」
「空気読んで部屋空けてもらわねえと、誰かさんのこと連れ込めねえだろ」
「な、そ、そんなの絶対ダメだからね!?」
──なんだか最近、そういうことばっかりだな…この子…
早く寮に戻りなさい、と瑛の背中を押しながら、はるかは心中で頭を抱えた。
入学式に引き続いてはじまった、新入生への部活動紹介。
はるかにとってはここでの演奏が、吹奏楽部員としての最後の演奏となる。
浮足立った新入生たちの雰囲気とあまりに正反対な杏里の顔に、はるかは思わず笑ってしまった。
「なにわろとんねんっ!」
「うん、ごめんね。そんな顔させて。でも、最後だからこそ思いっきり楽しみたいな」
「…おはるぅ…!」
「部長!笑って送り出そうって決めたじゃないですか!」
「渚ちゃんも涙目ですけどー?」
「はっ、これは…」
そんな三人のやりとりは喧騒に紛れて。
ステージの中心で顧問が指揮棒をとり、演奏がはじまった。
今年も、夢の国関連の曲が広い講堂に流れる。
リズムに合わせて身体を揺らす演出は、昨年はなかった気がする。
サックスを抱えたはるかも、ちょこちょこと揺れる姿が小動物のようで頬が緩んだ。
マイクを持つ部員のアナウンスとともに、それぞれのパートが立ち上がる。
楽器の演奏というものを先日はじめて経験した瑛にとっては、それだけでとんでもなく器用な技のように思えた。
すべてのパートの紹介が終わったところで、アップテンポな曲がさらに勢いを増していく。
そこでステージの手前にスポットライトが当たり、今や瑛にとってもお馴染みの三人がそこに立った。
いつの間にかあの国のカチューシャをつけて、女子だけでなく男子からも黄色い声援を受けている渚。
どこで手に入るのか、はたまた自分で書いたのか、でかでかと“部長”と記されたタスキをかけた杏里。
至って普段通りの装いなのに、不思議と纏う空気が特別なものに見える、はるか。
勝手が悪いのか、踏ん張るように小さく開いた足はバッティングの構えのようでまた頬が緩むけれど、表情を見てはっとした。
長いまつげが影を落とす、少し伏せられた瞳。
その手に抱えるサックスを、その音を、あるいは今この時間をいとおしむような。
華やかに伸びていく音色は、今日その場所から旅立つ彼女自身のようだった。
1年前の同じ日、同じ場所ではるかを見ていた。
何もかもが、自分が焦がれ続けた姿とは違ったけれど、きっと彼女だと確信した。
今改めて思う。
はるかがここにいる。
そして、今まさに次の場所へと歩き出そうとしている。
ライトの光を受けてきらめくサックスよりもずっと眩しい、星の瞳はもうきっと、はるか自身すら想像できないような未来を捉えている。
その未来に、自分の未来も重ねられるように。
膝の上で握った拳に、力をこめた。
普段より早く訪れた放課後、はるかの向かう先はもう、音楽室ではない。
1年生の大半はそれが日常だったはずなのに、校内に散らばって練習する吹奏楽部員たちの音色も、他の部活動生たちの姿も、そして遠くのグラウンドに見える球児たちの姿も、こんなにもいとしい景色になっていたことを知る。
このまま、この景色の中で生きていく選択肢だって、きっとあった。
むしろ自分が選ぼうとしているそれよりも、ずっと現実的だろう。
──それでも。
「よし」
センチメンタルな気持ちを振り切って、校舎を出た。
「あれ?瑛くん…と?」
はるかが校門へと向かっていると、はじめて見る顔を連れた瑛に遭遇した。
二人とも制服姿で、今日という日は昨年もオフだと言っていたのをぼんやり思い出す。
「お疲れ。あ…こいつは新入生で…寮で同じ部屋の…」
しどろもどろな言葉に、いろいろと察してしまった。
「そうなんだ。じゃあ野球部ってことね?」
「はい」
「はじめまして。わたしは3年の月城っていいます。去年まで吹奏楽部で、野球部の応援もさせてもらってたんだ」
「そうなんですか」
「うん。それで、瑛くんとは幼馴染なんだ。今日は練習お休み?」
「…はい。寮に帰ろうとしたら日坂先輩に会いました」
ぽんぽんと会話が進む様子に、瑛は呆然としていた。
はるかにとっても馴染み深い二人に相談するよう提案してみたところで途絶えてしまった、昨夜のメッセージを思い出す。
「瑛くん、拓真君とか千景君とは話した?」
それとなく聞いてみたつもりが、瑛は一気に険しい表情になった。
「なあ、それどういうことなんだよ」
「え?」
「いつの間にそんな関係になったわけ?」
ああ、これはまずい。非常にまずい。
「あ…今年、みんな同じクラスになったんだけどね…?」
「はあ?」
「それで!主に二人が!!試合中他人行儀なのが気になるってことで名前で呼びたいという話になり…」
「なんでそれではるかも巻き込まれてんだよ」
「それは…ファンサかな!」
時が止まる。
冷や汗が背中を伝う、ような気がする。
「…ファンサ…?」
声が聞こえたのは、瑛の隣からだった。
「そう!わたし、野球がほんとに大好きでね!?鷺嶋野球部のみなさんも個人的に推させていただいてるの!!」
「ああ…確かに、推しは名前で呼んだりもしますね」
「そうでしょ!?そういうわけで、わたしも便乗してお許しいただいた次第です…!」
「なるほど…」
意外な助け舟に全力で寄りかかる。
それでも尚、瑛はどこからどう見ても怒りの表情を浮かべていた。
「…そういうことなら、僕もいいですか」
「え?」
「ああ?」
「“瑛”先輩」
無表情に見えたその目が、ほんの少し輝いた。
「先輩と、甲子園で二遊間を守ってみたいって思って、それで…」
「…マジ…?」
これには瑛の顔からも怒りの色が消え、戸惑いへと変わった。
「すごいね、瑛くん!じゃあわたしはそろそろ…」
「待て。その…冬真は、先戻ってろ」
「…!はい。月城さん、失礼します」
ぺこりと頭を下げて去っていく背中。
はるかも速やかに立ち去る流れのはずが、なぜがっしりと腕を掴まれているのか。
「…なに?そんな必死になるほど名前で呼びたいわけ?」
「ち、違うよ…」
無事に消えたはずの怒りの色を取り戻し、瑛ははるかを見下ろしている。
「…名前で呼ぶの、瑛くんが嫌がったら、どういう関係?って思うじゃん…」
「は?付き合ってるって言えばいいだろ」
「だ、ダメだよ…!瑛くんは立派な選手で、誰よりも努力だってしてるのに、余計な前情報で印象悪くしたらもったいないよ…!」
「なんで付き合ってたら印象悪くなんだよ。今更だろ」
「瑛くんという人のことを十分わかった上でその事実を知るのとじゃ、全然違うよ…!」
力説してみるものの、瑛の表情は険しいままだ。
だんだんと申し訳なさがこみ上げてきて、小さく頭を下げる。
「…でも、わたしが断らなかったのが悪いね。ごめんなさい」
「…」
「瑛くんどう思うかな?って、少し気にはなったんだけど…わたし個人としては特に断る理由もなくって。アメリカにいたときはそれが普通だったし」
瑛は何も言わない。
顔を上げると、細められた瞳が微かに揺れていた。
「ほんとに嫌だったら、やめるよ。さっきはああ言ったけど、別にわたしが呼びたいってわけじゃないし」
「…いや、ごめん。俺が勝手だった。そのままでいいよ」
声色がふっと軽くなる。
はるかの腕を痛いほど掴んでいた手は、やさしく頭を撫ぜていった。
「“先輩ムーブ”については、はるか先輩を見習うしかないですし?」
「い、今その話する…?」
「おとなしく従っとくことにするわ。ただし、別にわざわざ言いはしねえけど、隠しもしねえからな」
「えっ」
「空気読んで部屋空けてもらわねえと、誰かさんのこと連れ込めねえだろ」
「な、そ、そんなの絶対ダメだからね!?」
──なんだか最近、そういうことばっかりだな…この子…
早く寮に戻りなさい、と瑛の背中を押しながら、はるかは心中で頭を抱えた。