[Theme 01]1年生編
27
「こりゃまたべっぴんさんになったなー!」
豪快な笑い声が響く。
寂れた小さな駅舎の中では、それはもう本当によく響いた。
「うるっせえな、会社の人に見られてもいいのかよ」
「はっはっは、俺のイケオジ伝説は別に取り繕って生み出したもんじゃねえからな!」
「ふふ。お父さんも変わらず素敵ですね」
その呼び方を口にして、はっとした。
幼い頃のままに呼んでしまったけれど、今となってはいかがなものかと考えてしまう。
「さっそくゆっくり話したいところだけど、その前に行ってきたらどうだ?」
「え?」
幸い裕士本人は何も気に留めなかった様子だが、何やら別方向に雲行きが怪しい。
「行くんだろ?カナリア。夜はライブがあるみたいだから、おっさんと話したいなら早めに行っといた方がいいぞ」
「…ああ、そうする。荷物預けてい?」
「はいよー、とりあえずウチに運んどくな」
どくんと、鼓動が重く胸を打つ。
この街に帰るということは、訪れることにはなるんだろうと、なんとなく予測はしていたけれど。
「…ライブがあるなら、バタバタしてるんじゃ…」
「明日は休むとか言ってたぞ、定期健診がどうって。肝臓だろうな!ハハハ!」
「父さんうるせえから早く行くぞ、はるか」
いつだって気遣ってくれるのに、時々妙に強引なのは、親子そっくりなんだなと思った。
鷺嶋からは新幹線と電車でトータル2時間ほど、最寄りと言っていいのか分からない駅からはさらに徒歩で20分。
商店街の外れのビルの入り口から、地下へと続く暗くて急な階段。
その手前に置かれた看板には今もまだ灯りがともっていて、素直に安堵する。
「…おじさん、元気かな」
「もうじいさんだけどな」
「そっか…そうだよね」
なぜだか訳知り顔の瑛が、はるかに手を差し出す。
その手を取ると、瑛は階段へと足を向けた。
深く深く降りていった先に佇む扉を目にすると、一気に緊張が走る。
そしてそれは、繋がれた瑛の手からも伝わってきた。
「…瑛くん?」
呼びかけに振り向いた瑛の瞳は、ベンチから打席へ向かう時のそれに似ていた。
瑛の手で、扉が開く。
はるかの目に飛び込んできたのは、涙が出るほど懐かしい空間と、それから。
「え…?」
あの頃、大人たちに交じって弾いていた、アップライトピアノ。
その傍らに、杏里と渚が、それぞれの楽器を手に佇んでいた。
「はるかちゃんいらっしゃい、久しぶりだね。ほら、こっちへおいで」
状況が呑み込めず、瑛の言葉通りすっかりおじいちゃんになった店主に導かれるまま椅子に座ると、隣にいた瑛が二人のもとへ歩いて行った。
そして、隅に置かれていたセミアコのギターを手に取る。
視線がぶつかる。
瑛が爪弾いたのは忘れもしない、はるかが瑛によく弾いて聴かせていた曲。
数少ない、父との思い出。
Tell Me A Bedtime Storyのメロディが、はるかをふわりと撫でていった。
杏里のトロンボーンと渚のトランペットも加わって、3人の音がレンガ造りの空間を満たしていく。
どこか見ていて不安な演奏ではあるが、そんなことはどうでもよかった。
──どうしてみんながここに?どうして一緒に演奏を?
瑛くん、ギターなんていつから…?
次から次へと疑問が浮かんでくる。
そのどれもが到底整理できないまま、演奏はテーマからアドリブへ。
1年生にしてパートリーダーに抜擢された渚は、さすがの腕前だった。
小柄な身体ながら力強く、それでいて丁寧な音色がとても気持ち良い。
杏里の演奏は、いつもの元気いっぱいさとは打って変わってとても繊細だ。
やわらかく、包み込むような音色は、いつまでも聞いていたくなる。
そして、未だに現実として受け入れられない、瑛のギター。
いつも巧みに打球を処理する手はかなりぎこちなく、グラウンドでも見せないような苦悶の表情を浮かべている。
それでも音色は止まず、無理やりにでも次の小節へと突き進んでいく。
それを支えるように音を鳴らす杏里と渚へ、瑛が視線を向けようとした瞬間。
──待って。
弾きたい。
わたしも、みんなと演奏したい!
気が付いたらピアノに飛びついて、鍵盤に手を伸ばしていた。
あの頃のようには動かない指がもどかしい。
それでも弾きたい。
指が千切れたって、この音の中で生きたい。
生きていたい。
涙が溢れて止まらなかった。
──ああ、おわりたくない。
名残惜しく最後の音を鳴らした指を、鍵盤から離した。
「はるか」
振り返ると、瑛が笑っていた。
「おかえり」
そう囁いた瑛の顔も、みんなの顔も、じんわりとほやけてしまって見えやしなかった。
「あー、マジで指つりそう」
カウンターにはコーヒーが並べられ、4人も同じように並んで腰を下ろした。
「ていうかさー、日坂少年チューニングした?」
「あ、ヤベ」
「やっぱりな。顔洗って出直してこい!」
「先輩も途中コード怪しかったような…」
「ゲッ!アレンジだよアレンジ!」
「…みんな、どうして…?」
衝動にかき消されていた疑問を、思い出して投げかけてみる。
「…なんか、日坂少年に頼まれてさ。おはるに、ここでジャズの演奏を見せたいって」
「瑛くんに!?」
「メンバーどうするよってなって、とりあえず渚ちゃんが浮かんで。少年と同じクラスだし」
「…その“少年”っていうのやめません…?」
「うるせー。そんで、人にモノを頼むなら自分も働きやがれってことで、日坂坊やにもなんかしろって言ったわけ」
「おい…」
いつ見ても険悪な二人のやりとりに、渚が笑った。
「あはは。日坂君、頑張ったんですよ!とりあえず押さえて弾けば音が出るギターが突貫工事には一番いいかなって思ったけど、やっぱり難しかったよね」
「当たり前だろ…脳が破裂するわ…」
「アドリブは、どうやって…?」
「私と日坂ボーイは動画のコピーだよ。ちなみにギターは渚ちゃんが代わりにコピーして、TAB譜起こしてやったっていうね」
「それはすごい…うん?じゃあ文谷君は…?」
「えへへ、頑張ってみました!」
「なんと…」
驚きの連続で、うっすらと眩暈がした。
心を落ち着かせようとコーヒーに口をつけると、懐かしい香りが全身に広がった。
「じゃあ、用は済んだから行くかな」
「そうですね」
「え?ゆっくりしていかないの?ていうかどうやってきたの?」
杏里と渚はいつの間に片付けていたのか、楽器ケースを抱えて立ち上がった。
「私は車ー。親がたまにはドライブしたかったからちょうどよかったってよ」
「僕は新幹線で。せっかくなので観光して帰ります!」
「か、観光…するとこあるかな…?」
「城跡とかあるみたいなので!結構重要な史跡ですよ?」
「そうだったんだ…あの、」
はるかも立ち上がって、二人に向き合う。
「ありがとう。本当に」
しっかりと目を見てそう言うと、ふいに杏里に抱きしめられた。
「…やめてよ。今生の別れみたいじゃん」
「杏里ちゃん…?」
ぎゅっと、腕に力がこもる。
そしてすぐに、離れていった。
「じゃあまた新学期!次も同じクラスであれーっ!」
「月城先輩、日坂君、また!店長さん、ありがとうございました!」
慌ただしい足音が、扉の向こうに消えていった。
静かになった店内では、店主が夜のライブの準備をはじめた。
はるかもそれを手伝いながら、久しぶりの店主との会話を楽しんだ。
ミュージシャンの入りの時間が近付いたところで、ふたりは店を後にすることとなった。
「じゃあおじさん、飲み過ぎないでね」
「みんなに言われるよ。飲まずに長生きするより飲んで死にたいですよ、私は」
「ダメだよ!長生きして」
怒られました、といった表情で瑛を見た店主に、自然と笑みがこぼれる。
それに応えるように、店主も微笑んだ。
「…分かり合えたようで何よりですよ」
「え?おじさん?」
「おかげさまで。今日のことも、ありがとうございました」
「うふふ。愛されてますねえ、はるかちゃんは」
「なんか…みんながわたしを置き去りにしていく…」
「はるか、帰るぞ」
先ほどここへ来た時と同じように、瑛がはるかへ手を差し出した。
はるかはその手を取って、今度はふたり並んで、その扉を開けた。
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【TAB譜】弦楽器の「何弦」「何フレット(指板上の位置)」を押さえたらいいかをぱっと見でわかるように記した楽譜。言う通りにすれば音符が読めなくてもとりあえず音が出せます。
「こりゃまたべっぴんさんになったなー!」
豪快な笑い声が響く。
寂れた小さな駅舎の中では、それはもう本当によく響いた。
「うるっせえな、会社の人に見られてもいいのかよ」
「はっはっは、俺のイケオジ伝説は別に取り繕って生み出したもんじゃねえからな!」
「ふふ。お父さんも変わらず素敵ですね」
その呼び方を口にして、はっとした。
幼い頃のままに呼んでしまったけれど、今となってはいかがなものかと考えてしまう。
「さっそくゆっくり話したいところだけど、その前に行ってきたらどうだ?」
「え?」
幸い裕士本人は何も気に留めなかった様子だが、何やら別方向に雲行きが怪しい。
「行くんだろ?カナリア。夜はライブがあるみたいだから、おっさんと話したいなら早めに行っといた方がいいぞ」
「…ああ、そうする。荷物預けてい?」
「はいよー、とりあえずウチに運んどくな」
どくんと、鼓動が重く胸を打つ。
この街に帰るということは、訪れることにはなるんだろうと、なんとなく予測はしていたけれど。
「…ライブがあるなら、バタバタしてるんじゃ…」
「明日は休むとか言ってたぞ、定期健診がどうって。肝臓だろうな!ハハハ!」
「父さんうるせえから早く行くぞ、はるか」
いつだって気遣ってくれるのに、時々妙に強引なのは、親子そっくりなんだなと思った。
鷺嶋からは新幹線と電車でトータル2時間ほど、最寄りと言っていいのか分からない駅からはさらに徒歩で20分。
商店街の外れのビルの入り口から、地下へと続く暗くて急な階段。
その手前に置かれた看板には今もまだ灯りがともっていて、素直に安堵する。
「…おじさん、元気かな」
「もうじいさんだけどな」
「そっか…そうだよね」
なぜだか訳知り顔の瑛が、はるかに手を差し出す。
その手を取ると、瑛は階段へと足を向けた。
深く深く降りていった先に佇む扉を目にすると、一気に緊張が走る。
そしてそれは、繋がれた瑛の手からも伝わってきた。
「…瑛くん?」
呼びかけに振り向いた瑛の瞳は、ベンチから打席へ向かう時のそれに似ていた。
瑛の手で、扉が開く。
はるかの目に飛び込んできたのは、涙が出るほど懐かしい空間と、それから。
「え…?」
あの頃、大人たちに交じって弾いていた、アップライトピアノ。
その傍らに、杏里と渚が、それぞれの楽器を手に佇んでいた。
「はるかちゃんいらっしゃい、久しぶりだね。ほら、こっちへおいで」
状況が呑み込めず、瑛の言葉通りすっかりおじいちゃんになった店主に導かれるまま椅子に座ると、隣にいた瑛が二人のもとへ歩いて行った。
そして、隅に置かれていたセミアコのギターを手に取る。
視線がぶつかる。
瑛が爪弾いたのは忘れもしない、はるかが瑛によく弾いて聴かせていた曲。
数少ない、父との思い出。
Tell Me A Bedtime Storyのメロディが、はるかをふわりと撫でていった。
杏里のトロンボーンと渚のトランペットも加わって、3人の音がレンガ造りの空間を満たしていく。
どこか見ていて不安な演奏ではあるが、そんなことはどうでもよかった。
──どうしてみんながここに?どうして一緒に演奏を?
瑛くん、ギターなんていつから…?
次から次へと疑問が浮かんでくる。
そのどれもが到底整理できないまま、演奏はテーマからアドリブへ。
1年生にしてパートリーダーに抜擢された渚は、さすがの腕前だった。
小柄な身体ながら力強く、それでいて丁寧な音色がとても気持ち良い。
杏里の演奏は、いつもの元気いっぱいさとは打って変わってとても繊細だ。
やわらかく、包み込むような音色は、いつまでも聞いていたくなる。
そして、未だに現実として受け入れられない、瑛のギター。
いつも巧みに打球を処理する手はかなりぎこちなく、グラウンドでも見せないような苦悶の表情を浮かべている。
それでも音色は止まず、無理やりにでも次の小節へと突き進んでいく。
それを支えるように音を鳴らす杏里と渚へ、瑛が視線を向けようとした瞬間。
──待って。
弾きたい。
わたしも、みんなと演奏したい!
気が付いたらピアノに飛びついて、鍵盤に手を伸ばしていた。
あの頃のようには動かない指がもどかしい。
それでも弾きたい。
指が千切れたって、この音の中で生きたい。
生きていたい。
涙が溢れて止まらなかった。
──ああ、おわりたくない。
名残惜しく最後の音を鳴らした指を、鍵盤から離した。
「はるか」
振り返ると、瑛が笑っていた。
「おかえり」
そう囁いた瑛の顔も、みんなの顔も、じんわりとほやけてしまって見えやしなかった。
「あー、マジで指つりそう」
カウンターにはコーヒーが並べられ、4人も同じように並んで腰を下ろした。
「ていうかさー、日坂少年チューニングした?」
「あ、ヤベ」
「やっぱりな。顔洗って出直してこい!」
「先輩も途中コード怪しかったような…」
「ゲッ!アレンジだよアレンジ!」
「…みんな、どうして…?」
衝動にかき消されていた疑問を、思い出して投げかけてみる。
「…なんか、日坂少年に頼まれてさ。おはるに、ここでジャズの演奏を見せたいって」
「瑛くんに!?」
「メンバーどうするよってなって、とりあえず渚ちゃんが浮かんで。少年と同じクラスだし」
「…その“少年”っていうのやめません…?」
「うるせー。そんで、人にモノを頼むなら自分も働きやがれってことで、日坂坊やにもなんかしろって言ったわけ」
「おい…」
いつ見ても険悪な二人のやりとりに、渚が笑った。
「あはは。日坂君、頑張ったんですよ!とりあえず押さえて弾けば音が出るギターが突貫工事には一番いいかなって思ったけど、やっぱり難しかったよね」
「当たり前だろ…脳が破裂するわ…」
「アドリブは、どうやって…?」
「私と日坂ボーイは動画のコピーだよ。ちなみにギターは渚ちゃんが代わりにコピーして、TAB譜起こしてやったっていうね」
「それはすごい…うん?じゃあ文谷君は…?」
「えへへ、頑張ってみました!」
「なんと…」
驚きの連続で、うっすらと眩暈がした。
心を落ち着かせようとコーヒーに口をつけると、懐かしい香りが全身に広がった。
「じゃあ、用は済んだから行くかな」
「そうですね」
「え?ゆっくりしていかないの?ていうかどうやってきたの?」
杏里と渚はいつの間に片付けていたのか、楽器ケースを抱えて立ち上がった。
「私は車ー。親がたまにはドライブしたかったからちょうどよかったってよ」
「僕は新幹線で。せっかくなので観光して帰ります!」
「か、観光…するとこあるかな…?」
「城跡とかあるみたいなので!結構重要な史跡ですよ?」
「そうだったんだ…あの、」
はるかも立ち上がって、二人に向き合う。
「ありがとう。本当に」
しっかりと目を見てそう言うと、ふいに杏里に抱きしめられた。
「…やめてよ。今生の別れみたいじゃん」
「杏里ちゃん…?」
ぎゅっと、腕に力がこもる。
そしてすぐに、離れていった。
「じゃあまた新学期!次も同じクラスであれーっ!」
「月城先輩、日坂君、また!店長さん、ありがとうございました!」
慌ただしい足音が、扉の向こうに消えていった。
静かになった店内では、店主が夜のライブの準備をはじめた。
はるかもそれを手伝いながら、久しぶりの店主との会話を楽しんだ。
ミュージシャンの入りの時間が近付いたところで、ふたりは店を後にすることとなった。
「じゃあおじさん、飲み過ぎないでね」
「みんなに言われるよ。飲まずに長生きするより飲んで死にたいですよ、私は」
「ダメだよ!長生きして」
怒られました、といった表情で瑛を見た店主に、自然と笑みがこぼれる。
それに応えるように、店主も微笑んだ。
「…分かり合えたようで何よりですよ」
「え?おじさん?」
「おかげさまで。今日のことも、ありがとうございました」
「うふふ。愛されてますねえ、はるかちゃんは」
「なんか…みんながわたしを置き去りにしていく…」
「はるか、帰るぞ」
先ほどここへ来た時と同じように、瑛がはるかへ手を差し出した。
はるかはその手を取って、今度はふたり並んで、その扉を開けた。
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【TAB譜】弦楽器の「何弦」「何フレット(指板上の位置)」を押さえたらいいかをぱっと見でわかるように記した楽譜。言う通りにすれば音符が読めなくてもとりあえず音が出せます。