[Theme 01]1年生編
25
桜が咲くとすぐに、雨が降る。
厳しい季節を耐え忍び、ようやっと開いた小さな花弁を、一晩で根こそぎ落としてしまうような雨が。
日本に帰ってきてから、毎年そんな景色を目の当たりにしている気がする。
「そう、上手だ!」
父の膝の上で、ピアノを弾く。
そのうち父の手も鍵盤に伸びてきて、自分では届かないようなところまでも舞台にして、長い指が踊る。
自分に教えているようで、父自身が演奏を楽しんでいるような、そんな音が大好きだった。
夜中に目を覚ました日は、こっそりリビングを覗いた。
リビングから続く、ガラス張りの防音室。
そこでは自分と一緒に弾く時とは違う表情で、父がピアノを弾いていた。
傍らでは母が、それをじっと見つめていて。
ガラスの向こう側だけ、ふたりだけに聴こえる、そんな音はきっとこの世で最も美しいのだろうと思った。
「洋さん…」
ガラスの向こうで、母がひとり泣いていた。
心の底まで空っぽになってしまったような、虚ろな目はそこにいない父を探していた。
うだるような暑さなのにエアコンも付けずに、ましてやガラス張りの部屋の中で。
「お母さん」
引き戸を開けると、母はゆっくりと振り向いた。
「はるちゃん」
その声は自分を呼び、その瞳は自分を映しているけれど。
母が求めているのはそうじゃない、子どもながらにそう悟った。
重たい蓋をはじめてひとりで開けて。
父の膝ではなく、こんなにも暑いのになぜか冷たい椅子に腰を下ろして、ピアノを弾いた。
父の姿に誘われるでもなく、自然と鍵盤に吸い寄せられるでもなく、ピアノを“弾こう”と思って弾いたのは、それがはじめてだった。
二度目も、同じくらい暑い日だった。
だけどその時は指が言うことを聞かなくて、鍵盤に触れようとするたび、指が、腕が、心が削がれるようだった。
「はるちゃん、お願い。ピアノを弾いて」
母はあの日と同じ瞳で、自分にしがみついた。
「お願い、お願い。はるちゃん…」
ごめんなさい。
ごめんなさい。ごめんなさい。
雨が降る。
ざあざあと、うねりを上げて。
その雨粒はピアノに、自分に、震える手に打ち付けて。
バラバラになった指が、不協和音を奏でながら、ぼとりと鍵盤に転がった。
ひどい頭痛がした。
窓の外では轟音ともいえる雨音が鳴り響いている。
──ああ今年も、桜の命は短かったな。
夜が明けたら見ることになるであろう景色を想像して、息を吐いた。
校門からすぐに校舎に向かわず、グラウンドに足を伸ばしてみた。
相変わらず激しい雨が、ブルーシートに叩き付けている。
これでは外の練習はできないだろうなと、自分のことでもないのに残念な気持ちになった。
「おい、はるか!何やってんだ!」
いつだったかと同じような、焦ったような声が聞こえた。
傘を穿つほどの雨音の中でもはっきり聞こえる声。
このグラウンドで、毎日張り上げている声。
「瑛くん、おはよう」
「はよ。じゃなくて!…あーこら、濡れてんじゃん」
またしてもいつだったかのように、上着をかけてくれる。
今度はグラウンドコートよりも薄手の、ウィンドブレーカーだったけれど。
「どうしたんだよ…?」
ぴくりとも動かないはるかの顔を覗き込む瑛は、傘の柄と一緒にバットを握りしめていた。
もう一方の手では、ウィンドブレーカーの上からはるかの腕に添えられている。
その指にそっと、触れた。
「はるか?」
不思議そうにしながらも、きゅっと絡められる指。
ちゃんと、ある。
瑛の指も、自分の指も。
「…ねえ、わたしもバット振っていいかな」
「はい?」
「ふふ。冗談だよ。いや…ちょっとやってはみたいかな?」
瑛の真っ直ぐな瞳に映る自分は、何とかうまく笑えているようだった。
「…いいよ」
「えっ」
「帰り送ってくから、その前にちょっとだけな。今日はちゃんと教室で待ってろよ」
「うん…わかった。ありがとう」
するりと指がほどけて、瑛の手がはるかの頭を撫でた。
そうして温もりが離れていくのが、ひどく惜しかった。
「おはる、うち今日迎えくるけど乗ってく?」
解散後の音楽室で窓の外を眺めていると、杏里がスマートフォンを片手に尋ねてきた。
今朝より幾分か落ち着いてきたものの、雨はまだ絶えず降りしきっていた。
「ううん、大丈夫。ありがとう」
「近くでもきつくない?この雨」
「ああ…」
自分は構わない。
だけど寮生の瑛は、本来ならばこんな大雨の中を歩く必要はないわけで。今朝の約束が躊躇われた。
もうすぐオフシーズンも明ける。こんなタイミングで体調を崩させるわけにはいかない。
「…杏里ちゃん、」
「あ、日坂少年」
はるかの呼びかけと重なった杏里の声。
視線の先を辿ると、このあと教室で落ち合うはずの瑛が、入口の扉から顔を覗かせていた。
「ウス。まだ終わってなかったっすか」
「いや。もう終わって、うちの車乗ってくか聞いてたとこー」
「あ、それならすいません。今日俺が約束してて」
「あーそういう…テメーおはるに風邪ひかせたらそのバットへし折るぞ」
「物騒だよ、杏里ちゃん」
「これ金属なんですけど。んじゃ行くぞ、はるか」
瑛が手招きする。
「…杏里ちゃん、ありがとね」
「うん。気を付けてよー!」
少し迷ったが、瑛のもとへと歩き出した。
「はい、これ」
瑛にバットを手渡されたのは、体育館裏の軒下。
不穏なシチュエーションに思えるそこにはライトの光がよく届き、立地的にも開けていて意外と雰囲気は悪くなかった。
雨の日の素振りスポットの一つらしい。
「球技大会の時良い構えだったし、ていうかバカスカ打ってたってんなら基本は大丈夫か」
「バッティングセンターでひたすら打ってるだけで、フォームとかちゃんと勉強したことはないよ」
「え、はるかバッセン通ってんの?…ひとりで?」
「ええっ、おかしいかな…?」
「いや…そういうことじゃ、ない」
自身の手にも握ったバットで、瑛が空を割く。
話す言葉はもごもごしていた一方で、一本の美しい線を描くように、迷いのないスイングだった。
続けて振ってみるけれど、何だか自分がバットに振り回されるようだ。
「うん、構えはマジで100点だな」
いつもみたいに笑うのだろう、と思っていたら瑛は真剣な表情で頷いてくれた。
「体重移動を意識するといいかも。後ろに引く時は、こっちの足。股関節あたりを意識して」
ぱしぱしと、瑛が自身の右足を叩く。
はるかもつられるように自分の足を叩いていた。
「で、振りながら左足に移動させていくんだけど…全部持ってくんじゃなくて右にも残す」
「はい?」
「はるかは、振ったあとちょっとバットの方に引っ張られてるだろ?たぶん、全部いっちゃってるから軸がブレてんじゃねえかな」
「おっしゃる通りですね…?」
言葉では理解できてもなかな実行のビジョンが浮かばない。
バットは前へと振りながら、右足にも体重を残す、とは…?
「ははっ、まあとりあえず振ってみろよ」
「ええと…?」
心許ないスイング、だけど身体がバットに引っ張られるような感覚はなかった。
「いいじゃん。あと、主にバットを運ぶのは右手じゃなくて左手」
「なんと!」
「スイングの角度とか軌道も文句なしだし、今言ったのだけでもう完璧だろ。ていうか打ててんだしな。ほんと、よく見てるよ」
褒め過ぎで少しくすぐったいような瑛の言葉に背中を押されて、もう一度バットを振った。
銀色に光るバットの先が、ゆっくりと、一本の線を描く。
「きれいだ」
しゃがんでこちらを見つめていた瑛が、呟いた。
それがあまりにやさしい表情で、じわりと視界が滲んだ。
「…おお!なんか上手になった気がする!今すごいバッティングセンター行きたい!」
そのままこぼれてしまわないように、何度か振ってみた。
瑛が教えてくれたことを、意識しながら。
「マメできるし、マジでほどほどにな。あと…頼むから、ひとりで行くのはやめてくれ」
瑛も立ち上がって、バットを振る。
当たり前だけどやっぱり格が違うな、と思った。
「なんで?」
「いや…なんででも!行く時は俺を呼べ!」
「うーん…?」
「おおお!瑛が本格的に月城先輩を育てている!」
元気いっぱいの声に振り返ると、正也がバットを持って佇んでいた。
「月城、球技大会の噂は聞いていたが…良いスイングだな」
「高原君、柳木君。ふふ、ありがとう」
「…どうしたんすか、二人して」
「正也が月城に触発されて、打撃も良くしたいと言うんでな」
「ええっ、わたし!?」
「はい!目標はエースで4番!鷺嶋のオオタニに、俺はなる!」
雄叫びを上げて、正也はぶんぶんとバットを振り回しはじめた。
瑛とはまた違う、ダイナミックなスイング。
そしてやっぱりそこに、迷いはなかった。
「悪いが、4番は譲らないぞ」
「負けません!拓さん!うおおお!」
「一生やってろ。柳木先輩、俺こいつ送ってきます」
「ああ。バットは俺が持っていこう」
「あ、すいません。お言葉に甘えます」
正也のスイングを眺めていると、手の中の重みがふっと消えた。
瑛が2本のバットを壁に立てかけている。
「…また今度な。軍手かなんか持ってこいよ」
思わず手の平を見ると、少し赤くなっていた。
たった数回振っただけで、なんと脆いのだろう。
そして、バットを名残惜しそうに見ていたことに気付かれたことも、情けなく感じた。
祖父母へ紹介した後、少しだけ伸びたふたりの帰り道。
傘がある分、ふたりの間の距離もいつもより長い。
「瑛くんは?」
呼びかけると、瑛が少し屈んで耳を傾けてくる。
再会した時よりもさらに伸びたように思うその背も、今は切なく思えてしまう。
「…4番。狙ってるの?」
先ほどの会話を思い出しながら尋ねた。
その答えを聞くのは楽しみなような、怖いような。
瑛は迷う様子もなく、口を開いた。
「別に。打順には特にこだわってねえよ」
「あ、そうなんだ」
「ああ。こだわってるのは…行きつく場所だけ」
思わず、足が止まった。
体育祭の日、それをはじめて語った時には、まだどこか他人事のような口ぶりだった。
だけど今、その瞳は確かにその場所を見据えていて。
「…負けない。わたしも」
「はるか…?」
「デッドボールだってなんだって、塁に出てみせるよ、わたしは!」
豪雨に打ち落とされても、地面に這いつくばって、咲き続けてやる。
未だ激しく雨を降らせ続ける空を、見上げた。
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桜が咲くとすぐに、雨が降る。
厳しい季節を耐え忍び、ようやっと開いた小さな花弁を、一晩で根こそぎ落としてしまうような雨が。
日本に帰ってきてから、毎年そんな景色を目の当たりにしている気がする。
「そう、上手だ!」
父の膝の上で、ピアノを弾く。
そのうち父の手も鍵盤に伸びてきて、自分では届かないようなところまでも舞台にして、長い指が踊る。
自分に教えているようで、父自身が演奏を楽しんでいるような、そんな音が大好きだった。
夜中に目を覚ました日は、こっそりリビングを覗いた。
リビングから続く、ガラス張りの防音室。
そこでは自分と一緒に弾く時とは違う表情で、父がピアノを弾いていた。
傍らでは母が、それをじっと見つめていて。
ガラスの向こう側だけ、ふたりだけに聴こえる、そんな音はきっとこの世で最も美しいのだろうと思った。
「洋さん…」
ガラスの向こうで、母がひとり泣いていた。
心の底まで空っぽになってしまったような、虚ろな目はそこにいない父を探していた。
うだるような暑さなのにエアコンも付けずに、ましてやガラス張りの部屋の中で。
「お母さん」
引き戸を開けると、母はゆっくりと振り向いた。
「はるちゃん」
その声は自分を呼び、その瞳は自分を映しているけれど。
母が求めているのはそうじゃない、子どもながらにそう悟った。
重たい蓋をはじめてひとりで開けて。
父の膝ではなく、こんなにも暑いのになぜか冷たい椅子に腰を下ろして、ピアノを弾いた。
父の姿に誘われるでもなく、自然と鍵盤に吸い寄せられるでもなく、ピアノを“弾こう”と思って弾いたのは、それがはじめてだった。
二度目も、同じくらい暑い日だった。
だけどその時は指が言うことを聞かなくて、鍵盤に触れようとするたび、指が、腕が、心が削がれるようだった。
「はるちゃん、お願い。ピアノを弾いて」
母はあの日と同じ瞳で、自分にしがみついた。
「お願い、お願い。はるちゃん…」
ごめんなさい。
ごめんなさい。ごめんなさい。
雨が降る。
ざあざあと、うねりを上げて。
その雨粒はピアノに、自分に、震える手に打ち付けて。
バラバラになった指が、不協和音を奏でながら、ぼとりと鍵盤に転がった。
ひどい頭痛がした。
窓の外では轟音ともいえる雨音が鳴り響いている。
──ああ今年も、桜の命は短かったな。
夜が明けたら見ることになるであろう景色を想像して、息を吐いた。
校門からすぐに校舎に向かわず、グラウンドに足を伸ばしてみた。
相変わらず激しい雨が、ブルーシートに叩き付けている。
これでは外の練習はできないだろうなと、自分のことでもないのに残念な気持ちになった。
「おい、はるか!何やってんだ!」
いつだったかと同じような、焦ったような声が聞こえた。
傘を穿つほどの雨音の中でもはっきり聞こえる声。
このグラウンドで、毎日張り上げている声。
「瑛くん、おはよう」
「はよ。じゃなくて!…あーこら、濡れてんじゃん」
またしてもいつだったかのように、上着をかけてくれる。
今度はグラウンドコートよりも薄手の、ウィンドブレーカーだったけれど。
「どうしたんだよ…?」
ぴくりとも動かないはるかの顔を覗き込む瑛は、傘の柄と一緒にバットを握りしめていた。
もう一方の手では、ウィンドブレーカーの上からはるかの腕に添えられている。
その指にそっと、触れた。
「はるか?」
不思議そうにしながらも、きゅっと絡められる指。
ちゃんと、ある。
瑛の指も、自分の指も。
「…ねえ、わたしもバット振っていいかな」
「はい?」
「ふふ。冗談だよ。いや…ちょっとやってはみたいかな?」
瑛の真っ直ぐな瞳に映る自分は、何とかうまく笑えているようだった。
「…いいよ」
「えっ」
「帰り送ってくから、その前にちょっとだけな。今日はちゃんと教室で待ってろよ」
「うん…わかった。ありがとう」
するりと指がほどけて、瑛の手がはるかの頭を撫でた。
そうして温もりが離れていくのが、ひどく惜しかった。
「おはる、うち今日迎えくるけど乗ってく?」
解散後の音楽室で窓の外を眺めていると、杏里がスマートフォンを片手に尋ねてきた。
今朝より幾分か落ち着いてきたものの、雨はまだ絶えず降りしきっていた。
「ううん、大丈夫。ありがとう」
「近くでもきつくない?この雨」
「ああ…」
自分は構わない。
だけど寮生の瑛は、本来ならばこんな大雨の中を歩く必要はないわけで。今朝の約束が躊躇われた。
もうすぐオフシーズンも明ける。こんなタイミングで体調を崩させるわけにはいかない。
「…杏里ちゃん、」
「あ、日坂少年」
はるかの呼びかけと重なった杏里の声。
視線の先を辿ると、このあと教室で落ち合うはずの瑛が、入口の扉から顔を覗かせていた。
「ウス。まだ終わってなかったっすか」
「いや。もう終わって、うちの車乗ってくか聞いてたとこー」
「あ、それならすいません。今日俺が約束してて」
「あーそういう…テメーおはるに風邪ひかせたらそのバットへし折るぞ」
「物騒だよ、杏里ちゃん」
「これ金属なんですけど。んじゃ行くぞ、はるか」
瑛が手招きする。
「…杏里ちゃん、ありがとね」
「うん。気を付けてよー!」
少し迷ったが、瑛のもとへと歩き出した。
「はい、これ」
瑛にバットを手渡されたのは、体育館裏の軒下。
不穏なシチュエーションに思えるそこにはライトの光がよく届き、立地的にも開けていて意外と雰囲気は悪くなかった。
雨の日の素振りスポットの一つらしい。
「球技大会の時良い構えだったし、ていうかバカスカ打ってたってんなら基本は大丈夫か」
「バッティングセンターでひたすら打ってるだけで、フォームとかちゃんと勉強したことはないよ」
「え、はるかバッセン通ってんの?…ひとりで?」
「ええっ、おかしいかな…?」
「いや…そういうことじゃ、ない」
自身の手にも握ったバットで、瑛が空を割く。
話す言葉はもごもごしていた一方で、一本の美しい線を描くように、迷いのないスイングだった。
続けて振ってみるけれど、何だか自分がバットに振り回されるようだ。
「うん、構えはマジで100点だな」
いつもみたいに笑うのだろう、と思っていたら瑛は真剣な表情で頷いてくれた。
「体重移動を意識するといいかも。後ろに引く時は、こっちの足。股関節あたりを意識して」
ぱしぱしと、瑛が自身の右足を叩く。
はるかもつられるように自分の足を叩いていた。
「で、振りながら左足に移動させていくんだけど…全部持ってくんじゃなくて右にも残す」
「はい?」
「はるかは、振ったあとちょっとバットの方に引っ張られてるだろ?たぶん、全部いっちゃってるから軸がブレてんじゃねえかな」
「おっしゃる通りですね…?」
言葉では理解できてもなかな実行のビジョンが浮かばない。
バットは前へと振りながら、右足にも体重を残す、とは…?
「ははっ、まあとりあえず振ってみろよ」
「ええと…?」
心許ないスイング、だけど身体がバットに引っ張られるような感覚はなかった。
「いいじゃん。あと、主にバットを運ぶのは右手じゃなくて左手」
「なんと!」
「スイングの角度とか軌道も文句なしだし、今言ったのだけでもう完璧だろ。ていうか打ててんだしな。ほんと、よく見てるよ」
褒め過ぎで少しくすぐったいような瑛の言葉に背中を押されて、もう一度バットを振った。
銀色に光るバットの先が、ゆっくりと、一本の線を描く。
「きれいだ」
しゃがんでこちらを見つめていた瑛が、呟いた。
それがあまりにやさしい表情で、じわりと視界が滲んだ。
「…おお!なんか上手になった気がする!今すごいバッティングセンター行きたい!」
そのままこぼれてしまわないように、何度か振ってみた。
瑛が教えてくれたことを、意識しながら。
「マメできるし、マジでほどほどにな。あと…頼むから、ひとりで行くのはやめてくれ」
瑛も立ち上がって、バットを振る。
当たり前だけどやっぱり格が違うな、と思った。
「なんで?」
「いや…なんででも!行く時は俺を呼べ!」
「うーん…?」
「おおお!瑛が本格的に月城先輩を育てている!」
元気いっぱいの声に振り返ると、正也がバットを持って佇んでいた。
「月城、球技大会の噂は聞いていたが…良いスイングだな」
「高原君、柳木君。ふふ、ありがとう」
「…どうしたんすか、二人して」
「正也が月城に触発されて、打撃も良くしたいと言うんでな」
「ええっ、わたし!?」
「はい!目標はエースで4番!鷺嶋のオオタニに、俺はなる!」
雄叫びを上げて、正也はぶんぶんとバットを振り回しはじめた。
瑛とはまた違う、ダイナミックなスイング。
そしてやっぱりそこに、迷いはなかった。
「悪いが、4番は譲らないぞ」
「負けません!拓さん!うおおお!」
「一生やってろ。柳木先輩、俺こいつ送ってきます」
「ああ。バットは俺が持っていこう」
「あ、すいません。お言葉に甘えます」
正也のスイングを眺めていると、手の中の重みがふっと消えた。
瑛が2本のバットを壁に立てかけている。
「…また今度な。軍手かなんか持ってこいよ」
思わず手の平を見ると、少し赤くなっていた。
たった数回振っただけで、なんと脆いのだろう。
そして、バットを名残惜しそうに見ていたことに気付かれたことも、情けなく感じた。
祖父母へ紹介した後、少しだけ伸びたふたりの帰り道。
傘がある分、ふたりの間の距離もいつもより長い。
「瑛くんは?」
呼びかけると、瑛が少し屈んで耳を傾けてくる。
再会した時よりもさらに伸びたように思うその背も、今は切なく思えてしまう。
「…4番。狙ってるの?」
先ほどの会話を思い出しながら尋ねた。
その答えを聞くのは楽しみなような、怖いような。
瑛は迷う様子もなく、口を開いた。
「別に。打順には特にこだわってねえよ」
「あ、そうなんだ」
「ああ。こだわってるのは…行きつく場所だけ」
思わず、足が止まった。
体育祭の日、それをはじめて語った時には、まだどこか他人事のような口ぶりだった。
だけど今、その瞳は確かにその場所を見据えていて。
「…負けない。わたしも」
「はるか…?」
「デッドボールだってなんだって、塁に出てみせるよ、わたしは!」
豪雨に打ち落とされても、地面に這いつくばって、咲き続けてやる。
未だ激しく雨を降らせ続ける空を、見上げた。
[ad lib]
※この話に続く番外編があります。読まなくてもストーリー上支障はありませんが、ご興味がありましたらぜひ。