このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

[Theme 01]1年生編

24

「代打!」

バッターボックスへ向かってくる人影に、笑いそうになった。

終盤にしてはじめて得点圏のランナーが出た、そんな千載一遇のチャンスでベンチが送り込んできたのは、ここまでずっとポジションには着かず声援を送っていた彼女だった。
小さい頭に被さったヘルメットが重そうだ。

「お願いします」

真剣な表情で律儀に頭を下げる仕草には、いよいよ笑ってしまった。

「ケガすんなよ」

声をかけると、視線だけをこちらに寄越してくる。
真一文字に結んでいた唇が、ゆるりと弧を描いた。



“野球部員は専門とは別のポジションに着くこと”

プリントに綴られた文言を、頬杖をついたまま眺める。
“球技大会”と題したその紙面には、競技ごとの参加条件がつらつらと並べられていた。
それぞれの部活に属している者には何かしらのハンデをつけるようになっているらしい。

「日坂君は、何にするの?」

1年生最後の席替えで隣になった渚が尋ねてきた。

文化祭以来、何かと顔を合わせることが増えた。
問題のあの場面のことは、部活ではるかから聞いたのか、特に気にしていない様子だったことにはつい安堵した。

「普通に考えたら野球以外だけど…」

他の競技と比べやや複雑なだけに、かなりルールが簡略化され、もはや“野球”と呼べるのかわからないレベルのそれにはまったく魅力を感じない。
そうなると残る選択肢はサッカーかバスケットボールだ。

「バスケはケガのリスクが多すぎる。サッカー…も、下手なとこにボール飛んで来たら困るな」

むしろ野球(?)の方が、最もケガのリスクが低く、体力の消耗も少ない気がしてきた。

「じゃあ、野球?」
「かもなあ」
「僕も野球にしようと思ってるんだ!」

あくび交じりに応えた瑛に、渚は勢いよく宣言した。

「あんまりいないみたいだからさ。日坂君がいてくれたら百人力だよ」
「お前らも野球にすんの?」

菓子パンをくわえながら寄ってきた正也の言葉に、首を傾げる。

「なに、お前も?」
「モチのロンよ!」
「やった!やっぱりふたりともほんとに野球が好きなんだね」
「いや、そうじゃねえよ」

正也はきりりと眉を寄せて、決めポーズのように指を立てた。
口元でパンをもそもそ言わせながら。

「“ほんとに野球が好き”なあの人なら、絶対選ぶと思わねえ?」

得意げな口調に腹が立ちつつも、一瞬でピンとくる。
だけどそれとこれとは別だろうと、肩をすくめた。



「月城先ぱーい!」

こいつの勘は、バカのくせによく当たる。
いや、バカだから勘がはたらくのか。野生動物のように。

「こんにちは。みんな揃って、仲良しだね」
「月城先輩、お疲れさまです!」

全競技で学年を分けずに行われる大会。
初戦をほぼ瑛と正也の打撃一本で軽く突破し、2回戦で当たったのは2年A組、つまりはるかのクラスだった。

ベンチをちらりと見遣る。
このクラス唯一の野球部員である柳木は不在のようだ。
やりすぎなくらい簡略されたルール。もはやヒット一、二本打てばほぼ勝てる。
かわいそうだが2名も野球部員のいる瑛たちのチームに対し、彼女たちの勝ち筋はないだろう。

「…えっ、もしかして瑛くんキャッチャー!?」

瑛が携えた防具たちを見て、はるかが見るからに高揚した様子で声を上げた。

「瑛くんのキャッチャー姿が拝めるとは…!」

周りに聴こえないように、だけど確かに熱のこもる声で瑛に向かって手を合わせるはるかに、非常に複雑な心境になる。
それでも、楽しんでくれるならいいかと、満更でもない心持にもなった。



試合はまったくもって予想通りの展開だった。
5回勝負とはいえコールドがないのが気の毒なくらいだ。

普段バッティングは微妙だが、素人の球なら簡単に捉える正也。
打席に立つ度に得点製造機と化している瑛。
そして、“小さい頃よく兄とキャッチボールをしていたから”という言葉だけでは説明がつかないくらいには、結構良い球を投げてきて驚いたのが渚。

とはいえ連戦で疲れが出てきたのか、スピードが落ち始めた球をついに打たれてしまった。
良い所に当たったようで、打球はそこそこ伸びてレフト前へ。
そこにいたクラスメイトがまごまごしている間に、二塁へと進まれてしまった。

──まあ、これくらい。

気にするな、という視線をマウンドへ送ると、渚はなぜだか嬉しそうに笑った。
案外メンタルが強いのかもしれない。


「代打!」

なかなか次のバッターが来ないと思ったら、2Aベンチからそんな言葉が飛んできた。
そうですか、と視線を向けると、思わず笑いそうになった。

ここまでポジションには着かず、ずっとベンチからクラスメイトたちに声援を送っていたはるか。
今度はクラスメイトたちからの声援をその背に受け、バッターボックスへと足を踏み入れた。

「お願いします」

下げた頭からヘルメットが転げ落ちそうだ。

「ケガすんなよ」

声をかけると、視線だけをこちらに寄越してくる。
真一文字に結んでいた唇が、ゆるりと弧を描いた。

──お、結構良い構え。

感心しながら瑛もミットを構える。
球種もくそもないのでサインはない。

マウンドの渚が振りかぶる。

気合を入れなおしたのか、球速が戻ったな、などと思いながら待ち構えていると。


コン、と軽やかな音。


「な…っ」

思考は追いつかないが身体が反応し、すかさず声を上げる。

「サード!」

──は、眼前に転がり込む白球を呆然と眺めている。

「クソ…」
「おりゃーっ!」

正也が二塁から駆け付け、代わりに掬い上げた球を一塁へ。
しかしその先では既に、はるかが颯爽と塁上を駆け抜けていた。

鮮やかなセーフティバントでランナーを三塁に送り、自らも出塁を成功させてみせたのだ。

ここに来てはじめて野球っぽいプレーが出たことで、2Aベンチの士気が急激に高まる。

──まずいな。

瑛ら三人を除けばどちらも似たり寄ったりの布陣、流れを持っていかれるのは非常に困る。

油断大敵、そう心に刻んだはずだった。

「嘘だろ…っ!」

渚が次のバッターへの投球動作に入った瞬間。
はるかは、迷いなく駆け出した。

相手ははるかの足だ、本格的にまずい。
渚の放った球をミットに収めるやいなや、ほぼ全力で二塁に放つ。
待ち受ける正也のグラブが大きく音を立てる。

「セーフ!」

ほんの、1秒にも満たない時間。
スライディングではなく立ったままベースを踏んでいるから、それ以上か。
はるかの足が勝り、盗塁を決められてしまったのだ。

「お、おお…!」
「うおおおー!月城すげええー!」

なぜか一番驚いているはるか自身に続き、2Aベンチから先ほど以上の声が上がった。

「すげー!」
「瑛盗まれてんじゃん!」

どこから沸いたのか、野球部員たちもフェンスの向こうで声を上げている。

──やれやれ、はるかにはいろいろと教えられるもんだな。

凡事徹底とか、油断大敵とか。
二塁で正也に向かってえへん、とかわいいポーズを決めているはるかを眺めながら、マスクの奥で密かに笑みをこぼす。


しかし、これ以上は好きにさせてはあげられない。


それまでど真ん中にしか構えていなかったミットを少し動かし、渚も頑張ってそこへ投げ込んでくれて、次のバッターを確実に抑えた。

スリーアウト。
はるかが送ったランナーも、はるかも、瑛のもとへは帰さなかった。
自分のもとへ一生懸命駆け込んでくるはるかの姿は、見てみたかったけれど。



「いやマジで、月城先輩半端ないっす!」
「あはは、高原君が捕りに行ったときは焦ったよ」
「見習いたいくらいのいいバント…しかも、盗塁!」

結果として試合は瑛のクラスの圧勝だったが、ギャラリーの話題ははるかのプレーのことでもちきりだった。
双方のチームや野球部員たちが寄ってたかってはるかを囲んでいる。

「月城スタメンにしとけば分かんなかったな、この試合」
「ああ、初戦スタメンでバカスカ打って、この調子だと腕痛めそうって言うからベンチだったんだよ」
「何だって!?」
「盛りすぎだよ!フェイクニュース!」
「ああ、あの男前タイムリーなら俺も見たわ」
「マジでそれ、男前。抱いてくれ!」

とんでもないセリフまで飛び出してきて、先輩じゃなければ確実に殴っていただろう。
いや、先輩でもこの際殴っていいか、などと思考を危険な方向へと進ませながら、ずかずかとその輪の中に突っ込んでいく。

見事なバントを決めたその腕に手を伸ばした時だった。

「ちっちゃい頃から瑛くんの野球見てた成果が出たかなあ」

ほのぼのと語るはるかの言葉に耳を疑う。

「でも、意表をついただけだし、二度目はないよね。だって瑛くんだもん」

ね、と言わんばかりの視線。

「…は、」
「うおおー!なんだこのかわいい生き物ー!」
「日坂お前、許さねえぞ!」

──奴はとんでもないものを盗んでいきました…
塁だけじゃなくってか。何言ってんだ。

騒ぎの矛先が自分へと変わったのもどこか上の空で、某映画のセリフになぞらえながら、独り言ちた。


________________
【セーフティバント】ヒッティング(通常の打撃)の構えから直前で切り替えるタイプのバント。
【盗塁】投手の投球中に、ランナーが隙をついて次の塁に進むことです。
24/28ページ