このサイトは1ヶ月 (30日) 以上ログインされていません。 サイト管理者の方はこちらからログインすると、この広告を消すことができます。

[Theme 01]1年生編

19

「そういえば、入学式の日はなんで電車に?」

すっかり見慣れた景色を歩きながら、はるかが尋ねた。

「…それ、俺もずっと気になってたんだけど」

高校のすぐそばの寮で暮らしている瑛と、寮ほどではないものの徒歩圏内に自宅があるはるか。
あの日電車内で再会を果たしたという出来事は、今となっては感動的である以上にかなり不可解だった。

「俺は、寮の工事が間に合わなくてしばらくホテル暮らしだった」
「ええっ!?」
「入寮直前に水道が壊れたらしくて。ほとんどのヤツは頑張れば通える距離だから家に戻ってたらしいけど、遠いヤツはホテルに避難ってわけ。新入生もな」
「さすがにお金は学校持ち…?」
「ああ、全額ってわけにはいかなかったらしいけど。100パー学校側の事情だからな」
「へええ…お、オトナだ…!」

ホテルグラシ…と片言で繰り返すはるかに、視線で促す。
少しためらいがちに口を開いた。

「あ、わたしは…お母さんと、離れて暮らしてるって話はしたよね?」
「うん」
「あの日は、お母さんに会いに行ってたんだ。お誕生日だったから」
「…そうか」

繋いだままの手に、ぎゅっと力が入る。

「…日本に戻ってから、お母さんはしばらく病院に通っていたんだけど、去年からもうその必要はなくなってて。だけど…“心の風邪”なんてよく言うけど。風邪みたいに、ある時きれいさっぱり治るもんでもないの。一旦は落ち着いても、いつかふとしたきっかけで、また調子が悪くなるかもしれない。それを抱えて、ずっと生きていくことになる」
「…」
「できることなら、わたしはそれを支えたい。だけどお母さんは、わたしがピアノが弾けないことさえ、自分のせいだと思ってる」

いつの間にか日が暮れてしまい、辺りは薄暗くなっていた。
マフラーの隙間から、白い息が浮かんではすぐに消えていく。

「きっかけの一つではあるけど、直接的な理由じゃない。根本的な問題はやっぱり、わたしがそのきっかけたちに向き合いきれなかったこと。だからしっかり向き合って、乗り越えた姿を見せなくちゃね」

似ているな、と思った。
相手を思うあまり、自分を責めてしまうところが。

はるかの母親に会った記憶はあまりないが、確かに親子なんだなということを、痛いほどに実感した。

「ひとりで向き合うことないんだからな」

頭一つぶん低いところにあるはるかの顔を覗き込んで、目を合わせる。

「何をしてやれるってわけじゃねえけど…その、例えばピアノの練習するとき、そばにいてやったり、とか…」

自分で言っておいて、それは果たして意味があるのかと疑問に思ってしまい尻すぼみになる。

だけどはるかは、心底嬉しそうに笑うのだった。

「それってすっごく心強い。打撃コーチ、みたいな?」
「いや、何も教えられることはねえよ」
「じゃあねえ、うーん…三塁コーチャーかな?」
「おいおい責任重大だな。いや、でもまあ…無理して突っ走りすぎないよう見張っとくのも必要か」
「ふふ。壊れた信号機にならないでね」

くすくすと笑いながら、はるかが目を細める。
“守りたい笑顔”ってやつかと、心中で独り言ちた。



2月に入り、校内ではバレンタインデーの話題がよく囁かれるようになった。
そんなことよりも、バレンタインデー直後にはじまる学年末テストの心配をした方がよいのではと、はるかは完全に他人事だった。

「いやいや、今年も期待してますから!」
「そうだった…」

杏里の笑顔に、我が吹奏楽部にもチョコレートやらお菓子やらを交換する文化があったことを思い出す。
しまった、と頭を抱えるはるかに、杏里は首を傾げる。

「日坂坊やは?」
「え?瑛くん?」
「そんだけ仲良いんだから、あげるのかなって思ったけど?」
「は…っ!そうか…一応本命ということになるのか…?」
「そうだよ…えええ!?」

杏里がガタガタと大きな音を立てて仰け反る。
一瞬クラスメイトたちの視線が集中したが、すぐに散っていった。

「え、ちょ、ちょっと…もしかして結局あんたたちって…」
「あ…」

口をぱくぱくさせる杏里の耳元に手を添え、他の誰にも聞かれないように細心の注意で囁く。

「先月…す、好きだと言われました」
「…!?」
「わたしも、好きだと言いました」
「…!!」

もはや言葉にならない様子で、杏里ははるかを二度見、三度見、四度見までした。

「き、聞いてないんだけど…?」
「え、興味ある…?」
「ないわけないでしょうよ!そうかー…とうとう付き合ったか…」
「そうなの?」
「は?違うの!?」
「え、いや…好き、だからどうするとか、そこまでは話してないというか…」
「いや、もう何してんの?恋愛って知ってる?」
「うーん、今回はじめて知ったかなあ…」

今度は杏里が頭を抱えた。



「そこの野球部、止まりなさい!」

1年生のフロアに乗り込み、拓真と瑛の次によく見る顔に声をかけた。

「あ、月城先輩の相方の人!」
「うちらは芸人か」

正也といつもセットの印象がある瑛は、近くにはいないようだ。
これ幸いと杏里はさっそく本題に入る。

「日坂少年、最近なんか変わったことあった?」
「瑛すか?んー…月城先輩がいなくても機嫌が良くて気持ち悪いです」
「ほおん…理由は?」
「それは知らないっすけど…え、まさか」

この男、アホそうに見えて“わかる”人間らしい。

「でもそうか。話してはないのか…」
「なんでそれを、俺に?」
「いやね、こっちの天然野球バカが幼稚園児レベルのこと言ってるから、そっちのおはるバカはどうかなって」
「そこは“野球バカ”じゃないんすね…あ!」

ひそひそと話していると、張本人の瑛が現れた。
一瞬だけ、かろうじてかち合った視線はすぐに杏里の周りを漂う。

「そこ、おはるを探すな!」
「…」
「おいお前、月城先輩となんかあったのか?」

ここはあえてシンプルに、と正也は思い切りストレートを投げ込んだ。

「は?別に…?」

杏里と顔を見合わせる。無言のサインが交わされる。

「月城先輩って、結局お前の何なの?」
「え?彼女」
「付き合ってんの?」
「そうだけど」

打ち取った。
しれっとした顔が憎らしいが、はるかの様子を思い出すと瑛にはある意味同情を覚えた。

「おいおい…お前の甘酸っぱい片想いは野球部みんなが応援してんだから…そうなったなら言えよ…」
「知らねえよ、勝手に騒いでるだけだろ。別に付き合いたくて言ったわけじゃねえし」
「は?なんだそれ…?」
「改めて認識を照らし合わせておいただけ」
「…?」

意識が宇宙に向かいはじめた正也はここで見捨てることにして、杏里が口を開いた。

「照らし合わせるなら、とことんまでやることね」
「は?」
「このままじゃあんた、バレンタインもらえないわよ」

一寸置いてはっとした顔になった瑛に、やっぱり似た者同士だと杏里は呆れた。


________________
【コーチャー】ランナーにベンチの指示を伝えたり、走塁にGOを出したり逆に止めたりする役割。明らかに無理なのにGOを出してランナーをどんどんアウトにしてしまうコーチャーを「壊れた信号機」なんて言ったりします。
19/28ページ