[Theme 01]1年生編
14
翌朝、杏里と拓真のおかげか岡本ははるかに何も言ってこなかったし、他のクラスメイトに騒ぎが広がった様子もなかった。
ひとまずの安堵を覚えつつも、このままではいけないと荷物を置くなりすぐに机を離れた。
二人のためにも。
拓真から聞いたのか、心配の電話をくれた瑛のためにも。
そして、自分自身のためにも。
「岡本さん、昨日のことなんだけど」
はるかが語りかけると、岡本はびくりと肩を揺らした。
──うん?ちょっと言い方キツかったかな…?
「…あのね、昨日はうまく説明できなくてごめん」
「いや…」
「その、わたしは確かに昔、ピアノを弾いていたよ。だけど…やっぱり詳しくは話せないんだけど、とてもつらいことがあったの。それから、まだピアノは弾けない。弾きたくても、指が動かないんだ」
俯いたまま聞いていた岡本が、顔を上げた。
目も口も丸くしている様子に、やっぱり悪気はなかったんだろうとはるかは微笑んだ。
「克服したいと思ってる。だけど、今日明日の話にはとてもならない。だから、合唱コンクールの伴奏はできない。ごめんね」
「…」
「それと…まあ、ネットの記事だから、誰の目に入ったって不思議じゃない。でも、あんなふうにいきなり根掘り葉掘り聞かれるのは嫌だった。今後ももう、あの記事の話はしないで欲しいな」
ちょうどはるかが岡本の席の前に立ったときに教室へたどり着いた杏里も、最初から教室にいた拓真も、はるかの様子を見守っていた。
「岡本さんが合唱コンクール頑張りたい気持ちもすごく大切だと思うよ。だけど、どうしてもみんなそれぞれいろんな事情がある中でやることだから…そこは尊重し合って、せっかくだからみんなが楽しめる範囲で頑張ることにしない?」
岡本さんにとっても、部活とはまた違う、息抜きのつもりで。
はるかがそう続けると、岡本は泣き出しそうな顔をした。
「月城さん…本当にごめんなさい…」
「うん」
「誰に言われたわけでもないのに勝手に責任感感じて、勝手に苦しくなってた…ピアノ弾ける人いなくて、どうしようって焦ってて…」
「…うん、そういう気持ちは、ちょっとわかるよ」
苦笑いするはるかの後ろで、まだカバンを持ったままの杏里が溜め息をついた。
「…ピアノ、私も一応弾けるから」
「え?」
「マジで“一応”だから自信ないし、吹部の練習があるから黙ってたけど…他にいないなら」
「秋山さん…!」
「言っとくけど吹部優先するからね!」
杏里の漢気と、はるかの言葉には、周りで聞き耳を立てていたクラスメイトたちもひそかに心を動かされていた。
「はるかはさ、やっぱり“お姉ちゃん”だよね」
放課後の音楽室で、トロンボーンを片付けながら杏里が言った。
その隣ではるかも、サックスケースの蓋を閉める。
「日坂少年への扱いが癖になった結果かね?」
「…それ、他の人にも言われたなあ」
音楽室を出ると、廊下の窓の外はすっかり暗くなっていた。
文化祭に加え、秋季地区大会では新メンバーに合わせて応援歌の曲目も少し変わることとなり、応援に駆り出されるメンバーは特にタイトな練習スケジュールとなっている。
さらに伴奏も買って出たのだから、杏里のバイタリティにははるかもつくづく感心していた。
「あ、はるか」
昇降口から外へ出ると、瑛がバットを片手に立ちふさがっていた。
「こわ!なに?通り魔?」
「あはは、瑛くんはそんなことしないよ。どうしたの?」
「いや…昼間、顔見にいけなかったから」
物騒な出で立ちに反し、はるかを見遣る視線はひどく心配そうだった。
「大丈夫だよ、ありがとう。これから素振り?」
「そうなんだけど…吹部ってこんな遅くまでやってんの?」
「お前らのせいでな」
「あ、杏里ちゃん…」
野球部員に、とりわけ瑛に当たりが強い杏里にしどろもどろになっていると、瑛がバットを肩にかけた。
「だからこわっ!」
「送ってく。置いてくるから待ってて」
今にも走り出しそうな瑛を慌てて止めた。
「いやいや、いいよ!大事な時期に…!」
「…秋山先輩も、方向一緒すか」
「そんなついでみたいに言われても嬉しくねーぞ。チャリなんでノーセンキュー!」
「わたしも、すぐそこだし!気持ちはとってもうれしいけど、瑛くんは瑛くんのやるべきことをやって、試合で全打席ホームラン打ってくれた方がわたしはうれしいな」
「そっちの注文の方がヤバいだろ!…はあ…まあ、わかった。善処する」
ものすごく納得いかないような面持ちだったが、瑛はそう言った。
これから毎日帰り着いたらメッセージを寄越すように、という宿題は出てしまったが。
自転車を回収した杏里と並んで校門までの道を歩いていると、グラウンドのそばでバットを振る瑛の姿が見えた。
周りでは同じようにバットを振る部員が何人もいたが、瑛のスイングには誰よりも気迫がこもって見えた。
「野球やってると大違いだよね、ホント」
隣で自転車を押して歩く杏里も、同じ方向を見ていたようだ。
遠く離れたこの場所にまで、風を切る音が聞こえてきそうな、スイング。
「…“お姉ちゃん”なんかじゃないよ、わたしは」
「え?」
「精神年齢では、とっくに負けてる気がする」
「ああ、日坂少年?それはないでしょ!さっきも、もはやお母さんみたいだったよおはる」
──しっかりしなきゃ。
はるかはもう一度、一心不乱にバットを振る瑛の姿を目に焼き付けた。
翌朝、杏里と拓真のおかげか岡本ははるかに何も言ってこなかったし、他のクラスメイトに騒ぎが広がった様子もなかった。
ひとまずの安堵を覚えつつも、このままではいけないと荷物を置くなりすぐに机を離れた。
二人のためにも。
拓真から聞いたのか、心配の電話をくれた瑛のためにも。
そして、自分自身のためにも。
「岡本さん、昨日のことなんだけど」
はるかが語りかけると、岡本はびくりと肩を揺らした。
──うん?ちょっと言い方キツかったかな…?
「…あのね、昨日はうまく説明できなくてごめん」
「いや…」
「その、わたしは確かに昔、ピアノを弾いていたよ。だけど…やっぱり詳しくは話せないんだけど、とてもつらいことがあったの。それから、まだピアノは弾けない。弾きたくても、指が動かないんだ」
俯いたまま聞いていた岡本が、顔を上げた。
目も口も丸くしている様子に、やっぱり悪気はなかったんだろうとはるかは微笑んだ。
「克服したいと思ってる。だけど、今日明日の話にはとてもならない。だから、合唱コンクールの伴奏はできない。ごめんね」
「…」
「それと…まあ、ネットの記事だから、誰の目に入ったって不思議じゃない。でも、あんなふうにいきなり根掘り葉掘り聞かれるのは嫌だった。今後ももう、あの記事の話はしないで欲しいな」
ちょうどはるかが岡本の席の前に立ったときに教室へたどり着いた杏里も、最初から教室にいた拓真も、はるかの様子を見守っていた。
「岡本さんが合唱コンクール頑張りたい気持ちもすごく大切だと思うよ。だけど、どうしてもみんなそれぞれいろんな事情がある中でやることだから…そこは尊重し合って、せっかくだからみんなが楽しめる範囲で頑張ることにしない?」
岡本さんにとっても、部活とはまた違う、息抜きのつもりで。
はるかがそう続けると、岡本は泣き出しそうな顔をした。
「月城さん…本当にごめんなさい…」
「うん」
「誰に言われたわけでもないのに勝手に責任感感じて、勝手に苦しくなってた…ピアノ弾ける人いなくて、どうしようって焦ってて…」
「…うん、そういう気持ちは、ちょっとわかるよ」
苦笑いするはるかの後ろで、まだカバンを持ったままの杏里が溜め息をついた。
「…ピアノ、私も一応弾けるから」
「え?」
「マジで“一応”だから自信ないし、吹部の練習があるから黙ってたけど…他にいないなら」
「秋山さん…!」
「言っとくけど吹部優先するからね!」
杏里の漢気と、はるかの言葉には、周りで聞き耳を立てていたクラスメイトたちもひそかに心を動かされていた。
「はるかはさ、やっぱり“お姉ちゃん”だよね」
放課後の音楽室で、トロンボーンを片付けながら杏里が言った。
その隣ではるかも、サックスケースの蓋を閉める。
「日坂少年への扱いが癖になった結果かね?」
「…それ、他の人にも言われたなあ」
音楽室を出ると、廊下の窓の外はすっかり暗くなっていた。
文化祭に加え、秋季地区大会では新メンバーに合わせて応援歌の曲目も少し変わることとなり、応援に駆り出されるメンバーは特にタイトな練習スケジュールとなっている。
さらに伴奏も買って出たのだから、杏里のバイタリティにははるかもつくづく感心していた。
「あ、はるか」
昇降口から外へ出ると、瑛がバットを片手に立ちふさがっていた。
「こわ!なに?通り魔?」
「あはは、瑛くんはそんなことしないよ。どうしたの?」
「いや…昼間、顔見にいけなかったから」
物騒な出で立ちに反し、はるかを見遣る視線はひどく心配そうだった。
「大丈夫だよ、ありがとう。これから素振り?」
「そうなんだけど…吹部ってこんな遅くまでやってんの?」
「お前らのせいでな」
「あ、杏里ちゃん…」
野球部員に、とりわけ瑛に当たりが強い杏里にしどろもどろになっていると、瑛がバットを肩にかけた。
「だからこわっ!」
「送ってく。置いてくるから待ってて」
今にも走り出しそうな瑛を慌てて止めた。
「いやいや、いいよ!大事な時期に…!」
「…秋山先輩も、方向一緒すか」
「そんなついでみたいに言われても嬉しくねーぞ。チャリなんでノーセンキュー!」
「わたしも、すぐそこだし!気持ちはとってもうれしいけど、瑛くんは瑛くんのやるべきことをやって、試合で全打席ホームラン打ってくれた方がわたしはうれしいな」
「そっちの注文の方がヤバいだろ!…はあ…まあ、わかった。善処する」
ものすごく納得いかないような面持ちだったが、瑛はそう言った。
これから毎日帰り着いたらメッセージを寄越すように、という宿題は出てしまったが。
自転車を回収した杏里と並んで校門までの道を歩いていると、グラウンドのそばでバットを振る瑛の姿が見えた。
周りでは同じようにバットを振る部員が何人もいたが、瑛のスイングには誰よりも気迫がこもって見えた。
「野球やってると大違いだよね、ホント」
隣で自転車を押して歩く杏里も、同じ方向を見ていたようだ。
遠く離れたこの場所にまで、風を切る音が聞こえてきそうな、スイング。
「…“お姉ちゃん”なんかじゃないよ、わたしは」
「え?」
「精神年齢では、とっくに負けてる気がする」
「ああ、日坂少年?それはないでしょ!さっきも、もはやお母さんみたいだったよおはる」
──しっかりしなきゃ。
はるかはもう一度、一心不乱にバットを振る瑛の姿を目に焼き付けた。