[coda]それからの話
102
その日、ハリアーズファンの間に戦慄が走った。
試合後のSNSには、人口芝に横たわり悶絶の表情を浮かべるベテラン遊撃手の姿が拡散されていた。
自力で起き上がれないほどの状態だったようだが、そのグラブにはしっかりと白球を掴んだままで、そんな彼の野球魂に誰もが心を打たれつつ気が気ではないまま続報を待った。
──“【出場選手登録】日坂瑛”
その文字列に、どくりと鼓動が跳ねた。
同時に、“抹消”の欄に綴られたベテランの名前に、複雑な心境にもなる。
抜ければ逆転の場面、気迫のジャンピングキャッチを見せた彼は、左膝に全治2ヶ月のケガというあまりに大きな代償を負った。
幸いまだシーズンは序盤、“最後に必ず彼の力が必要になる”という監督の言葉にも希望が見えた。
そして彼が戻るまで、その場所を任されたのが、プロ2年目にして一軍初出場となる瑛だったのである。
1年目から二軍戦で着実に結果を出し続けていた瑛だが、やはり一軍の壁は厚い。
アクシデントがきっかけではあるものの、SNSでも期待の声が上がっていた。
ゲートの先に広がった光景に、息を呑んだ。
幼い頃からずっと、画面の中で見つめ続けた景色。
裕士に連れて行ってもらった東峰ドームも圧巻だったが、やはり夢にまで見た贔屓の本拠地は別格だ。
まして、自分の隣ではなく、目の前に広がるこのフィールドに瑛が立つのだと思えば尚更。
「ご案内しましょうか?」
「あ、大丈夫です!すみません…!」
座席を見つけられずにいると思われたのか、声をかけてくれた職員に頭を下げて歩き出す。
一段、また一段とフィールドに近付いていくたび、鼓動が暴れた。
バタバタになってしまったので既に相手チームが試合前練習から引き上げるところで、座席もほぼ埋まっている。
通路側をとっていたのは正解だった。
──ハリアーズの初現地は、将来自分で働いたお金でって決めてるんです…!
あの日東峰ドームで語った言葉の通り、ジャズ・クラブでのライブで稼いだお金で手にしたチケット。
フィールドシートではないものの、内野スタンド最前列という、目を凝らせば選手の表情までも見えるその席は十分すぎるほど贅沢に感じた。
はるかがその席に腰を下ろす頃、目の前では球団マスコットがラダーを準備しはじめた。
何かパフォーマンスでもするのかな、などと思いながら眺めていると、そこへぞろぞろとハリアーズの選手たちが姿を現した。
──ほ、本物…!みんな大きい…!
お馴染みの顔ぶれが談笑しながら、軽く身体を動かしたり、人工芝に寝転がってストレッチをしたりと思い思いに過ごしている。
その姿はどれも、テレビや写真で見るよりもさらに大きく見えた。
そして、レガースを纏い現れた姿に、再び息を呑んだ。
はるかの最推し、チーム最年長の正捕手・藤堂 貴文その人である。
──しゃ、写真撮っていいのかな…みんな撮ってる…!よさそう…!
震える手でスマートフォンを掲げ、シャッターを押す。
歩き続ける藤堂はすぐに画面の中から出て行ってしまったけれど、肉眼でその姿を追い、そのまましばらく呆然としていた。
ふと我に返り、視線を画面に戻す。
「わっ!」
ズームしたままだった画面の中に、ふてくされた顔の瑛がいて思わず声が出てしまった。
落としそうなほど慌ててスマートフォンを伏せると、瑛は笑っていた。
鷺嶋高校とは違う、贔屓のユニフォーム。
視線が合っていたのはほんの数秒のことで、すぐに先輩選手に話しかけられて背を向けてしまった。
その背中に刻まれた新しい背番号と、“HINOSAKA”の文字。
閉ざされた屋根の向こうよりも眩しい光と交じり合い、ゆらゆらと揺れた。
「ねー、やっぱいいよね日坂!」
「それ!実物やばくない?」
背後で聞こえた声にぴくりと肩が跳ねる。
「あ、ユートと絡んでる!あのへんビジュ強ー!」
明らかにスマートフォンではない、“本物”のシャッター音。
これは絶対にロック画面を見られるわけにはいかないなと、はるかは自身のスマートフォンをバッグにしまい込んだ。
高く上がった打球が、危なげなく左翼手のグラブに収まる。
観客たちは、本日何度目か分からない溜め息をこぼした。
瑛の一軍初出場という記念すべき一戦だが、チームとしては悪夢のような連敗の真っ只中にいた。
相手チーム以上にヒットが出るものの、チャンスの度に尽く凡退。
満塁の場面でボール球に手を出してのフライや、思う壺のようなゲッツー。
エースさえも調子を崩し、ファンからも口々に“お祓いに行け”と言われる始末だった。
件のアクシデントは彼がそんな最中、誰よりも声を出してチームを鼓舞し、全力でプレーしていたからこそのものだった。
この場にいない彼のためにも、絶対に勝たなければならない一戦。
それでもそう上手くはいかないもので、この日も初ヒットとなる4番のツーベースから、あっという間のツーアウト。
スタンドには“また残塁か”という空気が立ち込めていた。
ジャズ・ナンバーとともに、瑛の名前がコールされる。
どよめきは珍しい登場曲のチョイスに向けてか、単に初出場の彼への反応か。
まだ選手応援歌はない彼だけど、この球場ではじめて受けるエールがチャンステーマとは、かなりプレッシャーだなとはるかの手に力が入った。
「ひーのーさーか!」
はるかの隣で、小さな男の子が声を上げた。
心なしか観客たちの声も小さく感じる中で、その少年は序盤からずっと一生懸命に声を出していた。
その姿が微笑ましく、また胸を打たれる思いで周りの観客たちも声を張る。
はるかもまた、目一杯声を上げた。
短い、乾いた音が上がる。
挨拶代わりのような鋭いインコースをファールゾーンへとカットし、際どいボール球を見極める。
スタンドから見ても、かなり集中している様子だった。
──何か、狙ってる…?
何かが起こる予感に、ざわざわと胸が騒ぐ。
そして、相手チームのエースが渾身の一球を放つや否や──
一際軽快な音が上がった。
密閉された空間に、割れんばかりの歓声が反響する。
打球は二遊間を破り、4番がガッツポーズを挙げながらホームベースを駆け抜けた。
瑛自身も一気に二塁へと滑り込む。
何試合ぶりだろうか、悪夢からの突破口のような先制点。
ベテラン選手からのバトンを受け取った瑛が、しっかりとその役目を果たして見せたのだ。
「イエーイ!」
隣の少年がせがんできたハイタッチに、微笑みながら応じる。
ところがその少年は、不思議そうにはるかをじっと見つめた。
「大丈夫ですか…?」
父親らしき男性も、はるかを見ていた。
「え…?あ、すみません!ちょっと、嬉しくて」
「ああ、なるほど。やってくれましたね!日坂!」
頬を伝う涙を、慌ててハンカチで押さえる。
幸い“相当の熱いファン”と思われただけのようで、少年も父親も笑顔を向けてくれた。
“最初からそれをやれ”と言いたくなるほどの打線の爆発と、不調気味だった投手の好投で、その一戦は待望の白星となった。
主砲からホームランが2本も飛び出したので、お立ち台とはいかなかったものの、瑛は攻守ともに存分にチームに貢献していた。
首脳陣、そしてファンへのアピールは大成功と言っていいだろう。
仕事の速い球団公式アカウントの写真を眺めながら、はるかは余韻を味わうかのように夜風に当たっていた。
──“ごめん、さすがに抜けるのマズそう”
一軍初試合にして初ヒットを放ったその瞬間の写真に、重なるように浮かんだ文字に思わず苦笑する。
“ほとんど瑛くんのための会でしょ?有り難く堪能しておいで!”
それだけ送ってスマートフォンをバッグにしまいかけて、もう一度メッセージの画面を開く。
“泣いちゃうくらいかっこよかったよ。また素敵な景色を見せてくれてありがとう。”
そう綴って、今度こそバッグの中へしまった。
「えっ」
直後にスマートウォッチが着信を知らせ、またしてもあたふたとスマートフォンを取り出す羽目になった。
『ちょっと、泣いてんの?今?』
切羽詰まったような声。
あんなにプレッシャーのかかる場面でも落ち着いていた姿が嘘のようだ。
「今じゃないよ!あのタイムリーのとき。気付いたらぼろぼろ涙出てた」
『びっくりした…へー、泣くほどねえ。かわいいな』
「な…っ」
照れもせず放られた言葉に、息が詰まる。
『どんなとこがよかったの?』
「ええ…うーん…何か狙ってるのかなって思ったら、キレキレの球に手を出してヒットにしたところ…?」
『そのキレキレを狙ってたとは思わねーの?』
「あんなん普通、藤堂さんでもなきゃ打てないよ…」
『おい』
上機嫌から一転、拗ねた声に笑みがこぼれる。
「そういうわけで今はもう泣いてないから、みんなのとこに…」
『おい!コソコソ何やってんだよヒノ!』
『げっ!ユートさん何でもないっす、すぐ行くんでマジで…』
電話口の向こうで突然賑やかな声が聞こえた。
なぜか瑛の声が遠のいていく。
ますます笑ってしまうのを堪えながら、そっと通話を切ろうとした時だった。
『え、“はるか”ってあの?』
「え?」
聞き覚えのない声に名前を呼ばれ、つい声を上げてしまう。
通話画面に表示された名前を見たのだろうか。
『あ、どーも“はるか”さん。ヒノの婚約者ですよね?』
「え!?」
『え?』
先ほどよりも、何なら球場で上げていたのと同じくらいの声が出てしまい、咄嗟に口元を押さえる。
幸い周りには誰もいなかった。
「そ、それはあき…日坂さんがそう言っているのでしょうか…?」
『あー、大丈夫っすよ隠さなくて。アイツ普通にはるかさんのこと俺らに言ってるんで』
「はい…!?」
『え?何、実はアイツの片思い?』
「か…片思いでは、ないですけど…!その先はまだちゃんと詰めてないというか…」
『あー、なるほどね。あ、今更ですけど俺…』
『ユートさん!何やってんすか、マジで勘弁してください!』
瑛の、聞いたこともないような大声が飛び込んで来た。
先ほどから“ユートさん”と呼んでいるということは、今電話に出ているのはおそらく中堅手の江藤 佑人だろう。
遠くからは、ゲラゲラと大勢の笑い声が聞こえる。
まだ19歳、たった一人シラフで、酔った先輩たちの相手をするのはかなり骨が折れるだろう。
高校球児よりもさらに威勢のいい、現役の野球選手たちが相手ならば尚更。
それはもうかわいがられているようで、瑛には申し訳ない気もするが、ほっとするような心持だった。
『え、ていうか来る?はるかさん』
『ちょっと、』
「有り難いお言葉ですが、遠慮しておきます。瑛くんのことたくさんかわいがってあげてください」
『おい!』
『了解でーす。いつか飲みましょー!』
その言葉を最後に、賑やかな声がぷつりと途切れてしまった。
瑛だけでなく贔屓の選手たちが集まる場、もちろん魅力しか感じないし、江藤と会話したという事実に今更手が震えはじめたけれど。
どう考えても“瑛の彼女だから”という理由で、何万人ものファンを差し置いてそこへ飛び込むわけにはいかない。
瑛がこの先どれだけ有名になっていこうとも、それだけは忘れずにいようと、神岡の夜空に誓った。
その日、ハリアーズファンの間に戦慄が走った。
試合後のSNSには、人口芝に横たわり悶絶の表情を浮かべるベテラン遊撃手の姿が拡散されていた。
自力で起き上がれないほどの状態だったようだが、そのグラブにはしっかりと白球を掴んだままで、そんな彼の野球魂に誰もが心を打たれつつ気が気ではないまま続報を待った。
──“【出場選手登録】日坂瑛”
その文字列に、どくりと鼓動が跳ねた。
同時に、“抹消”の欄に綴られたベテランの名前に、複雑な心境にもなる。
抜ければ逆転の場面、気迫のジャンピングキャッチを見せた彼は、左膝に全治2ヶ月のケガというあまりに大きな代償を負った。
幸いまだシーズンは序盤、“最後に必ず彼の力が必要になる”という監督の言葉にも希望が見えた。
そして彼が戻るまで、その場所を任されたのが、プロ2年目にして一軍初出場となる瑛だったのである。
1年目から二軍戦で着実に結果を出し続けていた瑛だが、やはり一軍の壁は厚い。
アクシデントがきっかけではあるものの、SNSでも期待の声が上がっていた。
ゲートの先に広がった光景に、息を呑んだ。
幼い頃からずっと、画面の中で見つめ続けた景色。
裕士に連れて行ってもらった東峰ドームも圧巻だったが、やはり夢にまで見た贔屓の本拠地は別格だ。
まして、自分の隣ではなく、目の前に広がるこのフィールドに瑛が立つのだと思えば尚更。
「ご案内しましょうか?」
「あ、大丈夫です!すみません…!」
座席を見つけられずにいると思われたのか、声をかけてくれた職員に頭を下げて歩き出す。
一段、また一段とフィールドに近付いていくたび、鼓動が暴れた。
バタバタになってしまったので既に相手チームが試合前練習から引き上げるところで、座席もほぼ埋まっている。
通路側をとっていたのは正解だった。
──ハリアーズの初現地は、将来自分で働いたお金でって決めてるんです…!
あの日東峰ドームで語った言葉の通り、ジャズ・クラブでのライブで稼いだお金で手にしたチケット。
フィールドシートではないものの、内野スタンド最前列という、目を凝らせば選手の表情までも見えるその席は十分すぎるほど贅沢に感じた。
はるかがその席に腰を下ろす頃、目の前では球団マスコットがラダーを準備しはじめた。
何かパフォーマンスでもするのかな、などと思いながら眺めていると、そこへぞろぞろとハリアーズの選手たちが姿を現した。
──ほ、本物…!みんな大きい…!
お馴染みの顔ぶれが談笑しながら、軽く身体を動かしたり、人工芝に寝転がってストレッチをしたりと思い思いに過ごしている。
その姿はどれも、テレビや写真で見るよりもさらに大きく見えた。
そして、レガースを纏い現れた姿に、再び息を呑んだ。
はるかの最推し、チーム最年長の正捕手・藤堂 貴文その人である。
──しゃ、写真撮っていいのかな…みんな撮ってる…!よさそう…!
震える手でスマートフォンを掲げ、シャッターを押す。
歩き続ける藤堂はすぐに画面の中から出て行ってしまったけれど、肉眼でその姿を追い、そのまましばらく呆然としていた。
ふと我に返り、視線を画面に戻す。
「わっ!」
ズームしたままだった画面の中に、ふてくされた顔の瑛がいて思わず声が出てしまった。
落としそうなほど慌ててスマートフォンを伏せると、瑛は笑っていた。
鷺嶋高校とは違う、贔屓のユニフォーム。
視線が合っていたのはほんの数秒のことで、すぐに先輩選手に話しかけられて背を向けてしまった。
その背中に刻まれた新しい背番号と、“HINOSAKA”の文字。
閉ざされた屋根の向こうよりも眩しい光と交じり合い、ゆらゆらと揺れた。
「ねー、やっぱいいよね日坂!」
「それ!実物やばくない?」
背後で聞こえた声にぴくりと肩が跳ねる。
「あ、ユートと絡んでる!あのへんビジュ強ー!」
明らかにスマートフォンではない、“本物”のシャッター音。
これは絶対にロック画面を見られるわけにはいかないなと、はるかは自身のスマートフォンをバッグにしまい込んだ。
高く上がった打球が、危なげなく左翼手のグラブに収まる。
観客たちは、本日何度目か分からない溜め息をこぼした。
瑛の一軍初出場という記念すべき一戦だが、チームとしては悪夢のような連敗の真っ只中にいた。
相手チーム以上にヒットが出るものの、チャンスの度に尽く凡退。
満塁の場面でボール球に手を出してのフライや、思う壺のようなゲッツー。
エースさえも調子を崩し、ファンからも口々に“お祓いに行け”と言われる始末だった。
件のアクシデントは彼がそんな最中、誰よりも声を出してチームを鼓舞し、全力でプレーしていたからこそのものだった。
この場にいない彼のためにも、絶対に勝たなければならない一戦。
それでもそう上手くはいかないもので、この日も初ヒットとなる4番のツーベースから、あっという間のツーアウト。
スタンドには“また残塁か”という空気が立ち込めていた。
ジャズ・ナンバーとともに、瑛の名前がコールされる。
どよめきは珍しい登場曲のチョイスに向けてか、単に初出場の彼への反応か。
まだ選手応援歌はない彼だけど、この球場ではじめて受けるエールがチャンステーマとは、かなりプレッシャーだなとはるかの手に力が入った。
「ひーのーさーか!」
はるかの隣で、小さな男の子が声を上げた。
心なしか観客たちの声も小さく感じる中で、その少年は序盤からずっと一生懸命に声を出していた。
その姿が微笑ましく、また胸を打たれる思いで周りの観客たちも声を張る。
はるかもまた、目一杯声を上げた。
短い、乾いた音が上がる。
挨拶代わりのような鋭いインコースをファールゾーンへとカットし、際どいボール球を見極める。
スタンドから見ても、かなり集中している様子だった。
──何か、狙ってる…?
何かが起こる予感に、ざわざわと胸が騒ぐ。
そして、相手チームのエースが渾身の一球を放つや否や──
一際軽快な音が上がった。
密閉された空間に、割れんばかりの歓声が反響する。
打球は二遊間を破り、4番がガッツポーズを挙げながらホームベースを駆け抜けた。
瑛自身も一気に二塁へと滑り込む。
何試合ぶりだろうか、悪夢からの突破口のような先制点。
ベテラン選手からのバトンを受け取った瑛が、しっかりとその役目を果たして見せたのだ。
「イエーイ!」
隣の少年がせがんできたハイタッチに、微笑みながら応じる。
ところがその少年は、不思議そうにはるかをじっと見つめた。
「大丈夫ですか…?」
父親らしき男性も、はるかを見ていた。
「え…?あ、すみません!ちょっと、嬉しくて」
「ああ、なるほど。やってくれましたね!日坂!」
頬を伝う涙を、慌ててハンカチで押さえる。
幸い“相当の熱いファン”と思われただけのようで、少年も父親も笑顔を向けてくれた。
“最初からそれをやれ”と言いたくなるほどの打線の爆発と、不調気味だった投手の好投で、その一戦は待望の白星となった。
主砲からホームランが2本も飛び出したので、お立ち台とはいかなかったものの、瑛は攻守ともに存分にチームに貢献していた。
首脳陣、そしてファンへのアピールは大成功と言っていいだろう。
仕事の速い球団公式アカウントの写真を眺めながら、はるかは余韻を味わうかのように夜風に当たっていた。
──“ごめん、さすがに抜けるのマズそう”
一軍初試合にして初ヒットを放ったその瞬間の写真に、重なるように浮かんだ文字に思わず苦笑する。
“ほとんど瑛くんのための会でしょ?有り難く堪能しておいで!”
それだけ送ってスマートフォンをバッグにしまいかけて、もう一度メッセージの画面を開く。
“泣いちゃうくらいかっこよかったよ。また素敵な景色を見せてくれてありがとう。”
そう綴って、今度こそバッグの中へしまった。
「えっ」
直後にスマートウォッチが着信を知らせ、またしてもあたふたとスマートフォンを取り出す羽目になった。
『ちょっと、泣いてんの?今?』
切羽詰まったような声。
あんなにプレッシャーのかかる場面でも落ち着いていた姿が嘘のようだ。
「今じゃないよ!あのタイムリーのとき。気付いたらぼろぼろ涙出てた」
『びっくりした…へー、泣くほどねえ。かわいいな』
「な…っ」
照れもせず放られた言葉に、息が詰まる。
『どんなとこがよかったの?』
「ええ…うーん…何か狙ってるのかなって思ったら、キレキレの球に手を出してヒットにしたところ…?」
『そのキレキレを狙ってたとは思わねーの?』
「あんなん普通、藤堂さんでもなきゃ打てないよ…」
『おい』
上機嫌から一転、拗ねた声に笑みがこぼれる。
「そういうわけで今はもう泣いてないから、みんなのとこに…」
『おい!コソコソ何やってんだよヒノ!』
『げっ!ユートさん何でもないっす、すぐ行くんでマジで…』
電話口の向こうで突然賑やかな声が聞こえた。
なぜか瑛の声が遠のいていく。
ますます笑ってしまうのを堪えながら、そっと通話を切ろうとした時だった。
『え、“はるか”ってあの?』
「え?」
聞き覚えのない声に名前を呼ばれ、つい声を上げてしまう。
通話画面に表示された名前を見たのだろうか。
『あ、どーも“はるか”さん。ヒノの婚約者ですよね?』
「え!?」
『え?』
先ほどよりも、何なら球場で上げていたのと同じくらいの声が出てしまい、咄嗟に口元を押さえる。
幸い周りには誰もいなかった。
「そ、それはあき…日坂さんがそう言っているのでしょうか…?」
『あー、大丈夫っすよ隠さなくて。アイツ普通にはるかさんのこと俺らに言ってるんで』
「はい…!?」
『え?何、実はアイツの片思い?』
「か…片思いでは、ないですけど…!その先はまだちゃんと詰めてないというか…」
『あー、なるほどね。あ、今更ですけど俺…』
『ユートさん!何やってんすか、マジで勘弁してください!』
瑛の、聞いたこともないような大声が飛び込んで来た。
先ほどから“ユートさん”と呼んでいるということは、今電話に出ているのはおそらく中堅手の江藤 佑人だろう。
遠くからは、ゲラゲラと大勢の笑い声が聞こえる。
まだ19歳、たった一人シラフで、酔った先輩たちの相手をするのはかなり骨が折れるだろう。
高校球児よりもさらに威勢のいい、現役の野球選手たちが相手ならば尚更。
それはもうかわいがられているようで、瑛には申し訳ない気もするが、ほっとするような心持だった。
『え、ていうか来る?はるかさん』
『ちょっと、』
「有り難いお言葉ですが、遠慮しておきます。瑛くんのことたくさんかわいがってあげてください」
『おい!』
『了解でーす。いつか飲みましょー!』
その言葉を最後に、賑やかな声がぷつりと途切れてしまった。
瑛だけでなく贔屓の選手たちが集まる場、もちろん魅力しか感じないし、江藤と会話したという事実に今更手が震えはじめたけれど。
どう考えても“瑛の彼女だから”という理由で、何万人ものファンを差し置いてそこへ飛び込むわけにはいかない。
瑛がこの先どれだけ有名になっていこうとも、それだけは忘れずにいようと、神岡の夜空に誓った。
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【出場選手登録/抹消】一軍での試合に出場できる選手の数には限りがあり、出場させたい選手はここに登録します。逆に登録済みだったが、しばらく出場させる予定のない選手は抹消となります。
【フィールドシート】スタンドより前方、フィールドと同じ高さで、ファールゾーンにせり出す形で設置されている座席。
【ラダー】地面に敷いて使用する、ハシゴのような形のトレーニング器具。
【レガース】この場合、キャッチャーが足元を保護するために装着する防具(バッター用も別にあります)。
【残塁】ランナーが出塁したものの、ホームに帰れない(=得点に繋がらない)ままイニングが終わること。
【登場曲】ホーム球場で、バッターが打席に入る際に流れる曲。
【選手応援歌】その選手のために用意された応援歌。新人でまだない場合は汎用の応援歌が使用されます。
【チャンステーマ】選手に限らず、チャンスの場面で使用される応援歌。同じチームでも複数あったり、地方で違いがあったりします。
【お立ち台】ヒーロー(=その試合で最も活躍した選手)へのインタビューを行うためのセット。また、ヒーローインタビューそのもののこと。