[Theme 03]3年生編
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少し褪せた藍色のブレザー、襟元の曲がったシャツ、緑のネクタイ。
ズボンの裾には薄っすらと土がついている。
男の子だなあ、なんて思う制服姿。
ブレザーのボタンは、一年前のはるかと違ってきれいに二つ並んでいた。
「なんで…」
零れ落ちたような声に視線を上げると、瑛が今にも泣きそうな顔をしていたので、はるかは眉を下げて笑った。
「瑛くんがこの街を旅立つ日に、会いたかったんだ」
瑛がはっと、息を呑んだ。
「あ、じゃなくて。えー、日坂君?」
「それ…さっきから何なんだよ、」
「ずっと前から好きでした。わたしに第2ボタンをください!」
おどけて言いながら、頬に熱が集まる感覚に焦る。
そんなはるかの様子に、瑛もようやく笑みを浮かべた。
瑛の手が、ブレザーの裾を摘まむ。
そして、そのまま力業でボタンを引きちぎってしまった。
「わ、わあ…」
がさつな所作に瞬きをするはるかの目の前に、ボタンが差し出される。
もともとほつれかかっていたのか、さほど布地にダメージはなかったようだ。
はるかは両手を出してボタンを受け取り、心底大事そうに見つめた。
いつだったかのホワイトデーのように。
「ありがとう。家宝にするね!」
「お前、何やってんだよ…」
瑛がへなへなと座り込む。
はるかはいたずらが成功した子どものように、けらけらと笑った。
「あはは。着いたのはちょうど、野球部の子たちがグラウンドで集まってる時だったかな?さっきまで杏里ちゃんと吹部のみんなに会ってたんだ」
「スマホ壊れたって聞いてましたけど?」
「こっち向かってるのバレないように電源落としてただけです。えへ」
頭を抱えていた瑛がはるかを見上げる。
瑛も瑛で、まるでいじけた子どものようだった。
「めでたい卒業生がそんな顔しないの」
「誰のせいだよ…」
「ふふ。瑛くんのボタン、思ったよりきれいだね」
手の中に包んだままのボタンを眺める。
表面の校章には、細かい傷が無数についているものの、3年も着ていたらこんなものだろう。
暑がりの瑛なので、あまりブレザーを羽織る機会はなかったのかもしれない。
「なあ、」
ふいに、甘えるような声とともにカーディガンの袖を引かれた。
自然と屈みこむような姿勢になったはるかの目の前で、力強い瞳が揺れる。
その鋭い光につい見惚れている間に、唇が重なった。
「わ…っ!」
うなじに回された手が、さらにはるかを引き寄せようとするのを必死にかわした。
慌てて一歩、二歩と距離をとると、すかさず瑛が立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待って…!」
一年前、学校でする、最初で最後のキスをした場所。
まさか自身の卒業後に、“最後”を更新してしまうとは。
「学校はダメだってば!ばか!」
「だから、煽られるだけなんだよなあ…」
「はあ…でもそっか。あれからもう一年かあ」
話題を逸らそうと半分苦し紛れに呟けば、瑛は眉を寄せた。
「“やっと”一年だろ。まだあと何年?」
先ほどの燃えるように熱い瞳から一転、また拗ねたように揺れる瞳がなんだかいじらしい。
やはりこうして話している時の瑛は表情豊かだなと、ぼんやり思った。
「うーん…わたしの方は、単位は2年生の最初の方でほとんど取り終わるよ」
「え、マジ?」
「マジです。あとは、とにかく現場で経験を積みたい」
日本の大学でも、授業が詰まっているのは2年生までだと、いつだったか千景が言っていた。
あとはやり方次第で大学に行かない日も出てくるし、実際千景も来年度からはキャンパスよりもグラウンドで過ごす時間の方が圧倒的に多くなるとも。
──はるかの環境はかなり特殊なので、世間一般のそれと並べて考えるのは間違いだろうけど。
「すげーな…で、経験を積むっていうのは、どんくらい?」
「ええと…うーん、終わりなんてないからなあ…」
「それは勘弁してくれよ」
「まあ…結局拠点は日本にしたいわけだから、逆に瑛くんの様子を見つつかな?」
それは一見、他人任せな考えかのように聞こえるけれど。
「…言ったな」
まんまと火を付けられて、だけどそれも悪くないといった表情で、瑛ははるかを見据えた。
「じゃあ、あと2年。プロ3年目で開幕スタメンになる。だから開幕戦の夜から一緒に暮らそう」
その瞳に射抜かれたはるかもまた、瑛を真っ直ぐに見つめかえした。
「それじゃあ登場曲のために、何かしら音源化しとかなきゃね」
「任せた」
「ええっ、冗談だよ。メジャーなアーティストならまだしも、なんか意味深になっちゃうよ…」
はるかはくすくすと笑いながら、もう一度瑛のボタンを眺めた。
そして、いつの間にか距離を詰めていた瑛を見上げる。
なんだか会うたびに大きくなっているような気がした。
「卒業おめでとう、瑛くん」
さわさわと、やわらかい風が吹いた。
この近くには桜の木はないはずだけど、どこからか一片の桜色が、そっとはるかの肩に乗る。
「…なあ、他には?」
その花びらを手にとり、瑛が問いかけた。
「うん?」
「今日、会いに来てくれた理由。第2ボタンだけ…?」
耳元で重ねられた問いに、カッと全身が熱くなった。
「それ、は…その…」
「ん?」
「…お父さんと、過ごすわけじゃないなら…今日くらいは、一緒にいられないかなって…」
未だボタンを包み込んでいる小さな手に、大きな硬い手が、するりと重なった。
少し褪せた藍色のブレザー、襟元の曲がったシャツ、緑のネクタイ。
ズボンの裾には薄っすらと土がついている。
男の子だなあ、なんて思う制服姿。
ブレザーのボタンは、一年前のはるかと違ってきれいに二つ並んでいた。
「なんで…」
零れ落ちたような声に視線を上げると、瑛が今にも泣きそうな顔をしていたので、はるかは眉を下げて笑った。
「瑛くんがこの街を旅立つ日に、会いたかったんだ」
瑛がはっと、息を呑んだ。
「あ、じゃなくて。えー、日坂君?」
「それ…さっきから何なんだよ、」
「ずっと前から好きでした。わたしに第2ボタンをください!」
おどけて言いながら、頬に熱が集まる感覚に焦る。
そんなはるかの様子に、瑛もようやく笑みを浮かべた。
瑛の手が、ブレザーの裾を摘まむ。
そして、そのまま力業でボタンを引きちぎってしまった。
「わ、わあ…」
がさつな所作に瞬きをするはるかの目の前に、ボタンが差し出される。
もともとほつれかかっていたのか、さほど布地にダメージはなかったようだ。
はるかは両手を出してボタンを受け取り、心底大事そうに見つめた。
いつだったかのホワイトデーのように。
「ありがとう。家宝にするね!」
「お前、何やってんだよ…」
瑛がへなへなと座り込む。
はるかはいたずらが成功した子どものように、けらけらと笑った。
「あはは。着いたのはちょうど、野球部の子たちがグラウンドで集まってる時だったかな?さっきまで杏里ちゃんと吹部のみんなに会ってたんだ」
「スマホ壊れたって聞いてましたけど?」
「こっち向かってるのバレないように電源落としてただけです。えへ」
頭を抱えていた瑛がはるかを見上げる。
瑛も瑛で、まるでいじけた子どものようだった。
「めでたい卒業生がそんな顔しないの」
「誰のせいだよ…」
「ふふ。瑛くんのボタン、思ったよりきれいだね」
手の中に包んだままのボタンを眺める。
表面の校章には、細かい傷が無数についているものの、3年も着ていたらこんなものだろう。
暑がりの瑛なので、あまりブレザーを羽織る機会はなかったのかもしれない。
「なあ、」
ふいに、甘えるような声とともにカーディガンの袖を引かれた。
自然と屈みこむような姿勢になったはるかの目の前で、力強い瞳が揺れる。
その鋭い光につい見惚れている間に、唇が重なった。
「わ…っ!」
うなじに回された手が、さらにはるかを引き寄せようとするのを必死にかわした。
慌てて一歩、二歩と距離をとると、すかさず瑛が立ち上がる。
「ちょ、ちょっと待って…!」
一年前、学校でする、最初で最後のキスをした場所。
まさか自身の卒業後に、“最後”を更新してしまうとは。
「学校はダメだってば!ばか!」
「だから、煽られるだけなんだよなあ…」
「はあ…でもそっか。あれからもう一年かあ」
話題を逸らそうと半分苦し紛れに呟けば、瑛は眉を寄せた。
「“やっと”一年だろ。まだあと何年?」
先ほどの燃えるように熱い瞳から一転、また拗ねたように揺れる瞳がなんだかいじらしい。
やはりこうして話している時の瑛は表情豊かだなと、ぼんやり思った。
「うーん…わたしの方は、単位は2年生の最初の方でほとんど取り終わるよ」
「え、マジ?」
「マジです。あとは、とにかく現場で経験を積みたい」
日本の大学でも、授業が詰まっているのは2年生までだと、いつだったか千景が言っていた。
あとはやり方次第で大学に行かない日も出てくるし、実際千景も来年度からはキャンパスよりもグラウンドで過ごす時間の方が圧倒的に多くなるとも。
──はるかの環境はかなり特殊なので、世間一般のそれと並べて考えるのは間違いだろうけど。
「すげーな…で、経験を積むっていうのは、どんくらい?」
「ええと…うーん、終わりなんてないからなあ…」
「それは勘弁してくれよ」
「まあ…結局拠点は日本にしたいわけだから、逆に瑛くんの様子を見つつかな?」
それは一見、他人任せな考えかのように聞こえるけれど。
「…言ったな」
まんまと火を付けられて、だけどそれも悪くないといった表情で、瑛ははるかを見据えた。
「じゃあ、あと2年。プロ3年目で開幕スタメンになる。だから開幕戦の夜から一緒に暮らそう」
その瞳に射抜かれたはるかもまた、瑛を真っ直ぐに見つめかえした。
「それじゃあ登場曲のために、何かしら音源化しとかなきゃね」
「任せた」
「ええっ、冗談だよ。メジャーなアーティストならまだしも、なんか意味深になっちゃうよ…」
はるかはくすくすと笑いながら、もう一度瑛のボタンを眺めた。
そして、いつの間にか距離を詰めていた瑛を見上げる。
なんだか会うたびに大きくなっているような気がした。
「卒業おめでとう、瑛くん」
さわさわと、やわらかい風が吹いた。
この近くには桜の木はないはずだけど、どこからか一片の桜色が、そっとはるかの肩に乗る。
「…なあ、他には?」
その花びらを手にとり、瑛が問いかけた。
「うん?」
「今日、会いに来てくれた理由。第2ボタンだけ…?」
耳元で重ねられた問いに、カッと全身が熱くなった。
「それ、は…その…」
「ん?」
「…お父さんと、過ごすわけじゃないなら…今日くらいは、一緒にいられないかなって…」
未だボタンを包み込んでいる小さな手に、大きな硬い手が、するりと重なった。