[Theme 03]3年生編
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今年は近年稀に見る暖冬で、久しぶりに訪れた鷺嶋にもすっかり春の空気が漂っていた。
梢を飾る蕾たちも、満開とはいかないまでも、そっと桜色をほころばせている。
しんみりとした空気を打ち壊すようなシャッターの音は、去年よりも耳障りに感じる。
自分が当事者となっているからか、今年は“被写体”が二名ということで単純に人数が多いのか。
「お二人並んでもらっていいですかー?」
講堂を出た途端にこれである。
正也はノリノリで肩まで組んでこようとしたので、あっさりと躱すと笑いが起こった。
球団もリーグすら分かれても、こいつとは今後も何かとセット扱いされてしまうのかもしれない。
「サインくれ!」
「有名になったら売る!」
「なに!?お前みたいなのには絶対書かねえ!」
教室に戻れば口々にそうせがまれた。
なんと正也だけでなく瑛にもだ。ひょっとしてみんな卒業式でハイになっているのか。
──サインなんてまだある訳ないだろ。ていうかいつ、どうやって考えるんだ…?
そんなことを考えている間に、当然のようにサラサラとペンを走らせる正也に驚く。
覗き込むと、無駄に様になっていてムカついた。
「僕もいいかな?」
そう言って渚が差し出したのは、つい先ほど受け取ったばかりの、卒業証書の台紙だった。
「そんな大事なモンに書けねえよ!」
「大事だから、これがいいんだ。同級生だったんだって証にもなるし?」
「はは。なんだそれ」
渚になら、とペンを取る。
ほとんど名前をそのまま書いただけだが、太字のマジックで書くとそれだけでも雰囲気が出ているように見えた。
「えー、“文谷 渚君へ”!出血大サービスな!」
ご丁寧に宛名まで添えられた正也のサインは、あろうことか瑛のそれに少し被ってしまった。
「お前な…」
「渚もビックになったら一番にサインくれよな!」
「ええ、僕?」
「音大行くんだろ?吹奏楽続けんの?」
二人とも年明けとともにそれぞれの球団寮に入り、卒業を待たずして背番号入りの練習着に身を包んでいた間に、渚は国内有数の音楽大学に合格を決めていたという。
「うーん、トランペットはどこかで続けたいけど…大学では作曲とか、電子音楽とかを勉強しようと思ってるよ」
「作曲!?んー、なんかすげー!」
「アホ丸出しかよ」
「あはは。なかなかイメージ湧かないよね」
少し困ったように、だけどやさしく笑う渚の顔も、しばらくは見納めになるだろう。
「…あのね、二人とも」
笑顔のまま、ふいに泣き出しそうな目をしながら、顔を上げた。
「2回も甲子園に行けて、嬉しかった…!もちろん戦ってる選手たちの力でしかないんだけどさ。精一杯応援できてよかった!」
「…な、渚ぁ…!」
正也までもが声を震わせるから、とうとう渚の目から涙がこぼれてしまった。
それまで思い思いに言葉を交わしていたクラスメイトたちも、何事かと視線を向けてくる。
「渚にはいろいろと世話になった。ありがとう」
「え…」
瑛の言葉に、どよめきが起こった。
一体自分はどこまで非常識な人間だと思われていたのか、無意識に眉根が寄る。
「…うん。こちらこそありがとう!月城先輩と末永くお幸せにね!」
「ばっ、お前…」
「ああ。早く帰ってきてもらわねーとな」
「おい…!」
渚が口にした名前にクラスメイトが首を傾げれば、どこからか“ああ、土下座の…”という声が聞こえてきた。
正也はあたふたとしているが、わざわざ彼らがメディアに言いふらすようなことはないだろう。
もともと深い関わりはなかったのだから、きっと卒業すればすぐに記憶も薄れ、いつか一軍で試合に出た時にでも“そういえば”と思い出すのが関の山だ。
渚にだけはそっと手を挙げておいて、正也を置いてグラウンドに向かうことにした。
グラウンドではまたしても、慌てて追いかけてきた正也と並べられ、写真やら映像やらを撮られた。
向けられたマイクには極めて当たり障りのないコメントを返して、ようやく一行が引き上げていく頃にはどっと疲労感が押し寄せた。
こちらをニヤニヤと眺めていた、“元”チームメイトたちをじとりと見遣る。
同学年のメンバーには、進学を控え練習に顔を出していた者もいれば、すっかり横に広がってしまった者もいる。
2年生や1年生は、心なしか夏よりも逞しくなったように見えた。
「卒業おめでとうございます」
瑛に一番に声をかけたのは、やはり冬真だった。
「…“偉大な二遊間”に、なれたでしょうか」
寂寥の滲む声。
だけどその瞳は、もう揺らいではいなかった。
「さあ。これからなんじゃ?」
「…そうですね」
ということで、と差し出されたのは、瑛自身も約3年間戦いを共にしたのと同じ──鷺嶋野球部の帽子だった。
くるりと返して、鍔の裏側を見せてくる。
そこには既に冬真自身の字で、“平常心”と書かれていた。
「お前はいつも平常心だろ」
「いいんですよそれは」
ポケットからペンを取り出して、それもぐいぐいと押し付けてきた。
素直に受け取って、なるべく目立たないように小さくサインを入れる。
「…ほら。これでいいか?」
「汗で消えそう…」
「はは。消えるくらい頑張れ!」
そう言って荒々しく冬真の頭に被せると、すぐに取られてしまった。
何だろうと眺めていると、冬真は手に取った帽子をそのまま胸元に抱え込み、深々と頭を下げた。
「2年間、ありがとうございました」
自分も一年前、同じように先輩たちに頭を下げたことを思い出す。
拓真や千景のような先輩像には、自分は程遠かっただろうけど。
「また会おう。どっかの球場でな」
「はい」
今年は近年稀に見る暖冬で、久しぶりに訪れた鷺嶋にもすっかり春の空気が漂っていた。
梢を飾る蕾たちも、満開とはいかないまでも、そっと桜色をほころばせている。
しんみりとした空気を打ち壊すようなシャッターの音は、去年よりも耳障りに感じる。
自分が当事者となっているからか、今年は“被写体”が二名ということで単純に人数が多いのか。
「お二人並んでもらっていいですかー?」
講堂を出た途端にこれである。
正也はノリノリで肩まで組んでこようとしたので、あっさりと躱すと笑いが起こった。
球団もリーグすら分かれても、こいつとは今後も何かとセット扱いされてしまうのかもしれない。
「サインくれ!」
「有名になったら売る!」
「なに!?お前みたいなのには絶対書かねえ!」
教室に戻れば口々にそうせがまれた。
なんと正也だけでなく瑛にもだ。ひょっとしてみんな卒業式でハイになっているのか。
──サインなんてまだある訳ないだろ。ていうかいつ、どうやって考えるんだ…?
そんなことを考えている間に、当然のようにサラサラとペンを走らせる正也に驚く。
覗き込むと、無駄に様になっていてムカついた。
「僕もいいかな?」
そう言って渚が差し出したのは、つい先ほど受け取ったばかりの、卒業証書の台紙だった。
「そんな大事なモンに書けねえよ!」
「大事だから、これがいいんだ。同級生だったんだって証にもなるし?」
「はは。なんだそれ」
渚になら、とペンを取る。
ほとんど名前をそのまま書いただけだが、太字のマジックで書くとそれだけでも雰囲気が出ているように見えた。
「えー、“文谷 渚君へ”!出血大サービスな!」
ご丁寧に宛名まで添えられた正也のサインは、あろうことか瑛のそれに少し被ってしまった。
「お前な…」
「渚もビックになったら一番にサインくれよな!」
「ええ、僕?」
「音大行くんだろ?吹奏楽続けんの?」
二人とも年明けとともにそれぞれの球団寮に入り、卒業を待たずして背番号入りの練習着に身を包んでいた間に、渚は国内有数の音楽大学に合格を決めていたという。
「うーん、トランペットはどこかで続けたいけど…大学では作曲とか、電子音楽とかを勉強しようと思ってるよ」
「作曲!?んー、なんかすげー!」
「アホ丸出しかよ」
「あはは。なかなかイメージ湧かないよね」
少し困ったように、だけどやさしく笑う渚の顔も、しばらくは見納めになるだろう。
「…あのね、二人とも」
笑顔のまま、ふいに泣き出しそうな目をしながら、顔を上げた。
「2回も甲子園に行けて、嬉しかった…!もちろん戦ってる選手たちの力でしかないんだけどさ。精一杯応援できてよかった!」
「…な、渚ぁ…!」
正也までもが声を震わせるから、とうとう渚の目から涙がこぼれてしまった。
それまで思い思いに言葉を交わしていたクラスメイトたちも、何事かと視線を向けてくる。
「渚にはいろいろと世話になった。ありがとう」
「え…」
瑛の言葉に、どよめきが起こった。
一体自分はどこまで非常識な人間だと思われていたのか、無意識に眉根が寄る。
「…うん。こちらこそありがとう!月城先輩と末永くお幸せにね!」
「ばっ、お前…」
「ああ。早く帰ってきてもらわねーとな」
「おい…!」
渚が口にした名前にクラスメイトが首を傾げれば、どこからか“ああ、土下座の…”という声が聞こえてきた。
正也はあたふたとしているが、わざわざ彼らがメディアに言いふらすようなことはないだろう。
もともと深い関わりはなかったのだから、きっと卒業すればすぐに記憶も薄れ、いつか一軍で試合に出た時にでも“そういえば”と思い出すのが関の山だ。
渚にだけはそっと手を挙げておいて、正也を置いてグラウンドに向かうことにした。
グラウンドではまたしても、慌てて追いかけてきた正也と並べられ、写真やら映像やらを撮られた。
向けられたマイクには極めて当たり障りのないコメントを返して、ようやく一行が引き上げていく頃にはどっと疲労感が押し寄せた。
こちらをニヤニヤと眺めていた、“元”チームメイトたちをじとりと見遣る。
同学年のメンバーには、進学を控え練習に顔を出していた者もいれば、すっかり横に広がってしまった者もいる。
2年生や1年生は、心なしか夏よりも逞しくなったように見えた。
「卒業おめでとうございます」
瑛に一番に声をかけたのは、やはり冬真だった。
「…“偉大な二遊間”に、なれたでしょうか」
寂寥の滲む声。
だけどその瞳は、もう揺らいではいなかった。
「さあ。これからなんじゃ?」
「…そうですね」
ということで、と差し出されたのは、瑛自身も約3年間戦いを共にしたのと同じ──鷺嶋野球部の帽子だった。
くるりと返して、鍔の裏側を見せてくる。
そこには既に冬真自身の字で、“平常心”と書かれていた。
「お前はいつも平常心だろ」
「いいんですよそれは」
ポケットからペンを取り出して、それもぐいぐいと押し付けてきた。
素直に受け取って、なるべく目立たないように小さくサインを入れる。
「…ほら。これでいいか?」
「汗で消えそう…」
「はは。消えるくらい頑張れ!」
そう言って荒々しく冬真の頭に被せると、すぐに取られてしまった。
何だろうと眺めていると、冬真は手に取った帽子をそのまま胸元に抱え込み、深々と頭を下げた。
「2年間、ありがとうございました」
自分も一年前、同じように先輩たちに頭を下げたことを思い出す。
拓真や千景のような先輩像には、自分は程遠かっただろうけど。
「また会おう。どっかの球場でな」
「はい」