[Theme 03]3年生編
97
『さあ今年も、去年ドラフト指名されたルーキーたちが続々と入寮!新人の入寮といえば──』
画面の中では、3人の新人たちがなんとも初々しい表情でスーツケースを引いている。
制服姿の瑛が映し出されると、思わず動画を止めてしばらく眺めてしまった。
『思い入れのある私物の紹介です!』
高級そうな枕を手にはにかんでいるのは、1位指名のサウスポー。
6大学野球でも圧巻の投球を見せていた彼との交渉権を引き当てた瞬間は、はるかもガッツポーズをしたものだ。
続く社会人出身の捕手が手にしているのは、アスリート向けのマットレスとこちらも実用的だ。
ぬいぐるみの時代は終わりを迎えているのかもしれない。
『そして、ドラフト3位の日坂 瑛は──』
今度はアップで、名前も添えて映し出された姿に、なぜだか緊張感が走る。
相変わらず不機嫌そうな顔に“笑って!第一印象大事!”などと念を送っていると、瑛が“思い入れのある私物”を掲げた。
「え、」
特徴的な絵柄のレコード。
見間違うわけがない、それは──
『野球をはじめた頃から応援してくれている大事な…家族、から借りてるものです。ジャズが好きなので、自由時間とかにはジャズを聴いて、リラックスしたいと思います』
こんな場面で“彼女”と言うわけにもいかず、苦し紛れに口にした言葉なのだろうけど。
前置きも相まって、スマートフォンを持つ手が震えてしまった。
──“一人部屋デビュー”
そんな一言とともに送られてきた部屋の写真は、彼女としてというより球団ファンとして、つい食い入るように見つめてしまった。
風呂やトイレは共用で、食事も食堂でとる点は高校の寮と変わらないけれど、居室が個室かそうじゃないかの違いはかなり大きいだろう。
まだ最低限のものしか置かれていない部屋の中に、レコードが置かれているのを見つけてまた胸が熱くなる。
“新生活おめでとう!一人で寝坊しないようにね”
“はるかじゃねーんだから”
すかさず返ってきた言葉に思わず笑って、メッセージの画面を閉じる。
眠る前に、はるかも久しぶりにあのナンバーを聴いてみることにした。
夜中に目を覚ました日は、こっそりリビングを覗いた。
リビングから続く、ガラス張りの防音室。
「あれ…?」
そこには、父がひとりで座っていた。
深く、静かな夜の海のような瞳に導かれ、その扉を開く。
母がいつも座っていた椅子が目に入るも、そこに座るのは躊躇われて、ただ佇んだ。
父が無言で手招きする。
いつの間にかはるかの身体は小さくなって、誘われるままに腕を伸ばしていた。
大きな手に抱きかかえられると、目の前には広い鍵盤。
そこに父の手が加わり、ゆったりと音を紡ぎはじめる。
「弾かないの?」
耳元で響いた声に、鼓動が跳ねた。
父のことで覚えているのは、ピアノの音と、それを弾く姿だけだと思っていたけれど。
ひとたび耳にすれば、この声が父のものだと、すぐに分かった。
「…お父さんは、何のために…?」
「うん?」
「何のために、ピアノを弾いていたの」
振り返らずに尋ねたから、父の表情はわからない。
開けた鍵盤の蓋に反射する、幼い自分の顔だけがそこにあった。
「音楽──“Music”の語源を、知っているかな?」
背中越しに返ってきたのは、そんな問いかけだった。
「…ギリシャ神話の、ムーサ?」
「さすがだね。そう、ムーサ。英語では“ミューズ”。音楽だけでなく、すべての芸術を司る9人の女神たち」
退屈な座学の授業で聞いた話も、なぜだか父の声で語られると、魅力的な物語のように感じられた。
「現代では、芸術家にインスピレーションを与える存在をそう呼んだりする」
「…」
「僕にもいたよ」
ふいに、声音が変わった気がした。
「それって──」
皆まで言わずとも、明らかだった。
このガラス張りの部屋で、たったひとりのためにピアノを弾く姿を、そっと見つめていたから。
そしてその世界に、今も焦がれ続けているから。
「君は何か勘違いしているね」
「え…?」
「そう思わせてしまったのは、僕のせいなんだろうけど」
父の手がもう一度、鍵盤に向かった。
大好きなメロディが、揺蕩うように踊りはじめる。
音に満たされて、ぼんやりとしていく意識の中で父が囁いた。
「愛しているよ、僕の女神“たち”」
なんて都合の良い夢だろうと思った。
それが父の本意なのかどうかなんて、一生分からない。
彼はもうとっくの昔から、世界中のどこを探したっていないのだから。
だけど今なら──はるかが決めた生き方に、彼なら“芸術家なんてそんなもんだよ”と、笑ってくれそうな気がした。
『さあ今年も、去年ドラフト指名されたルーキーたちが続々と入寮!新人の入寮といえば──』
画面の中では、3人の新人たちがなんとも初々しい表情でスーツケースを引いている。
制服姿の瑛が映し出されると、思わず動画を止めてしばらく眺めてしまった。
『思い入れのある私物の紹介です!』
高級そうな枕を手にはにかんでいるのは、1位指名のサウスポー。
6大学野球でも圧巻の投球を見せていた彼との交渉権を引き当てた瞬間は、はるかもガッツポーズをしたものだ。
続く社会人出身の捕手が手にしているのは、アスリート向けのマットレスとこちらも実用的だ。
ぬいぐるみの時代は終わりを迎えているのかもしれない。
『そして、ドラフト3位の日坂 瑛は──』
今度はアップで、名前も添えて映し出された姿に、なぜだか緊張感が走る。
相変わらず不機嫌そうな顔に“笑って!第一印象大事!”などと念を送っていると、瑛が“思い入れのある私物”を掲げた。
「え、」
特徴的な絵柄のレコード。
見間違うわけがない、それは──
『野球をはじめた頃から応援してくれている大事な…家族、から借りてるものです。ジャズが好きなので、自由時間とかにはジャズを聴いて、リラックスしたいと思います』
こんな場面で“彼女”と言うわけにもいかず、苦し紛れに口にした言葉なのだろうけど。
前置きも相まって、スマートフォンを持つ手が震えてしまった。
──“一人部屋デビュー”
そんな一言とともに送られてきた部屋の写真は、彼女としてというより球団ファンとして、つい食い入るように見つめてしまった。
風呂やトイレは共用で、食事も食堂でとる点は高校の寮と変わらないけれど、居室が個室かそうじゃないかの違いはかなり大きいだろう。
まだ最低限のものしか置かれていない部屋の中に、レコードが置かれているのを見つけてまた胸が熱くなる。
“新生活おめでとう!一人で寝坊しないようにね”
“はるかじゃねーんだから”
すかさず返ってきた言葉に思わず笑って、メッセージの画面を閉じる。
眠る前に、はるかも久しぶりにあのナンバーを聴いてみることにした。
夜中に目を覚ました日は、こっそりリビングを覗いた。
リビングから続く、ガラス張りの防音室。
「あれ…?」
そこには、父がひとりで座っていた。
深く、静かな夜の海のような瞳に導かれ、その扉を開く。
母がいつも座っていた椅子が目に入るも、そこに座るのは躊躇われて、ただ佇んだ。
父が無言で手招きする。
いつの間にかはるかの身体は小さくなって、誘われるままに腕を伸ばしていた。
大きな手に抱きかかえられると、目の前には広い鍵盤。
そこに父の手が加わり、ゆったりと音を紡ぎはじめる。
「弾かないの?」
耳元で響いた声に、鼓動が跳ねた。
父のことで覚えているのは、ピアノの音と、それを弾く姿だけだと思っていたけれど。
ひとたび耳にすれば、この声が父のものだと、すぐに分かった。
「…お父さんは、何のために…?」
「うん?」
「何のために、ピアノを弾いていたの」
振り返らずに尋ねたから、父の表情はわからない。
開けた鍵盤の蓋に反射する、幼い自分の顔だけがそこにあった。
「音楽──“Music”の語源を、知っているかな?」
背中越しに返ってきたのは、そんな問いかけだった。
「…ギリシャ神話の、ムーサ?」
「さすがだね。そう、ムーサ。英語では“ミューズ”。音楽だけでなく、すべての芸術を司る9人の女神たち」
退屈な座学の授業で聞いた話も、なぜだか父の声で語られると、魅力的な物語のように感じられた。
「現代では、芸術家にインスピレーションを与える存在をそう呼んだりする」
「…」
「僕にもいたよ」
ふいに、声音が変わった気がした。
「それって──」
皆まで言わずとも、明らかだった。
このガラス張りの部屋で、たったひとりのためにピアノを弾く姿を、そっと見つめていたから。
そしてその世界に、今も焦がれ続けているから。
「君は何か勘違いしているね」
「え…?」
「そう思わせてしまったのは、僕のせいなんだろうけど」
父の手がもう一度、鍵盤に向かった。
大好きなメロディが、揺蕩うように踊りはじめる。
音に満たされて、ぼんやりとしていく意識の中で父が囁いた。
「愛しているよ、僕の女神“たち”」
なんて都合の良い夢だろうと思った。
それが父の本意なのかどうかなんて、一生分からない。
彼はもうとっくの昔から、世界中のどこを探したっていないのだから。
だけど今なら──はるかが決めた生き方に、彼なら“芸術家なんてそんなもんだよ”と、笑ってくれそうな気がした。
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【6大学野球】東京(今作中では“東峰”)の6大学間で行われるリーグ戦。