[Theme 03]3年生編
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いつも通り迫力のある顔の樫井と、顔面蒼白の正也に挟まれ、瑛は小さく息を吐いた。
机の上にはマイクが並び、視線を上げると、見慣れた教室に見知らぬカメラマンや記者たちが詰めかけている異様な光景に眩暈がする。
自分たちと横並びに配置されたスクリーンは、完全に死角になっている。
どう考えても真正面からガン見していたいところなのに、ひたすら目の前の光景を眺めるしかないことがもどかしい。
音声だけで察するに、スクリーンの向こうでは、はるかの愛する球団が2巡目の指名を終えたところだ。
今頃向こうは深夜か明け方かだろうけど、はるかのことだから眠たい目を擦って配信を見守っていそうだなと思いを馳せる。
視界の端で、正也の拳が震えていた。
指名は3巡目に入る。
ここまでは大学生や社会人の指名が多かったが、そろそろ頃合なんじゃないかと、瑛も固く拳を握り締めた。
『第3巡選択希望選手』
その瞬間は、毎回教室に緊張感が満ちた。
開始以来、顔面も身体もピクリともしない樫井の拳にも、わずかに血管が浮く。
『神岡エルビリンク』
再び読み上げられた、はるかの愛する球団の名前。
はるかには悪いが、勝負はこの次。
少年時代から憧れ続けたチームを、今季日本一に導いた監督の顔を思い浮かべた。
教室がどよめきに包まれる。
無意識に下がっていた視線を上げると、記者たちが瑛に笑顔を向けていた。
『日坂 瑛──内野手、鷺嶋高校』
思わず身を乗り出して、スクリーンを見た。
無機質な書体で綴られた自分の名前の上には、はるかがありとあらゆる私物に忍ばせている“あの”ロゴマーク。
瑛の頭の中で、日本一監督の顔が、はるかの勝ち誇った笑顔に塗り替えられていった。
『はっはっは、ようこそ』
海を越えて電話口から聞こえた声は、実に朗らかだった。
「うるせえ、さっさと寝ろ」
『もう学校向かってるよ!ほぼ徹夜だよ!』
「はあ?お前最後まで見てたのかよ」
『瑛くんのとこで既に朝だよ…あはは…』
一気に力のない笑い声に変わる。
熱心すぎるほどのプロ野球ファンであるはるかにとって、やはりドラフト会議というものは重要な存在だったようだ。
特に、瑛が候補者となっていたならば尚更。
『高原君とはリーグ分かれちゃったね。拓真君とも…あ、でも市川さんとは同じリーグでまたバチバチだね』
「そんなのと同じリーグになるより、拓さんと同じチームになりたかったんですけど」
『いやー危なかったね!あの反応、たぶんウォルラスも行く気だったな…』
「…次だったのに。次、だったのに…!」
指名順への恨みに頭を抱えていると、スピーカーの向こうが急に静かになった。
そっと、鼻をすする音。
『おめでとう、瑛くん』
彼女の表情もぬくもりも、全部伝わってくるような声。
心の奥までじんわりと熱くなって、今すぐ抱き締めて涙を拭ってやれないことがもどかしくなって。
「…ありがと。覚悟してろよ」
それだけ言って、お互いしばらくじっと黙っていた。
翌日の学校は憂鬱だった。
指名直後から今朝も、巷ではドラフトの結果が取り上げられていて。
地元メディアに至っては、指名後の記者会見の映像を擦り切れるほど繰り返している。
そんな状態では野球に関心のない生徒でも、多くの者が正也に声をかけ、瑛にはただ意味深な視線を向けていた。
「お前、こんな時でも声かけてもらえねえのか…」
「いらねえよ。その目やめろ、手が出る」
握った拳に大げさに声を上げる正也に、また近付く人影。
「おはよう、ふたりとも!えっと、おめでとう!」
「おう!どうする?サインしとく?」
「あはは、まだいいかな!」
渚だけはいつも通り、二人に笑顔を向けるのだった。
「ビッグカップル実現もいよいよ現実味出てきたね」
「え?」
渚が瑛を見上げて、こくこくと頷く。
「月城先輩も、もうずいぶん向こうの界隈で顔が知れてきてるみたいだよ。動画もはじめたばっかりなのにすごい伸びてるし」
「…なんだそれ。俺聞いてねえぞ」
学友同士でしょっちゅうセッションやライブをしていて、ジャズ・クラブにも顔を出しているのはもちろん知っていたが、それだけだ。
「うーんと…月城先輩の中では、まだ瑛君に報告するようなレベルじゃないってことなんじゃない?僕だって、音楽系の情報収集しててたまたまだよ。連絡もらったとかじゃないから安心して!」
「…」
自分に厳しいはるかのことだから、渚の推論はおそらく正しいだろう。
はるかの話題に辿り着く情報収集のやり方をぜひ教えてもらおう、と思い立ったところで、意識が数秒前に遡る。
「ん?“動画”…?」
「あ、もしかしてそれも知らなかった?ちょっと待ってね…」
ポケットからとスマートフォンを取り出す渚の手元を、楽しみなような怖いような心持で眺める。
すいすいとタップして開かれたのは、鍵盤と手だけが映し出された画面だった。
弾むように踊る指と、唯一無二の音色は、どう考えても。
「はるか…」
「そう、さすがだね。収益化するには登録者がたくさん必要だからって、こっちは直接連絡もらったんだ」
「え、でもすげーじゃん、もう!」
「ね!僕が見た時にはもうこんな感じだったけど、普通に聴きたいから登録しちゃった!」
二人の会話はまったく耳に入らず、瑛は小さな画面を食い入るように見つめていた。
スタンダード・ナンバーを最後の一音までいとおしむように奏でたその指が止まる頃、渚は瑛に微笑みかけた。
「瑛君も、応援してあげて。演者にとっては、聴いてくれる人がいることが一番の喜びだから」
──そこに瑛くんがいないなら、弾かなくていい
そうまで言ってくれたというのに、教えてくれなかったなんて、やっぱり天邪鬼だ。
今夜電話で問い詰めてやろうと、頬が緩んだ。
いつも通り迫力のある顔の樫井と、顔面蒼白の正也に挟まれ、瑛は小さく息を吐いた。
机の上にはマイクが並び、視線を上げると、見慣れた教室に見知らぬカメラマンや記者たちが詰めかけている異様な光景に眩暈がする。
自分たちと横並びに配置されたスクリーンは、完全に死角になっている。
どう考えても真正面からガン見していたいところなのに、ひたすら目の前の光景を眺めるしかないことがもどかしい。
音声だけで察するに、スクリーンの向こうでは、はるかの愛する球団が2巡目の指名を終えたところだ。
今頃向こうは深夜か明け方かだろうけど、はるかのことだから眠たい目を擦って配信を見守っていそうだなと思いを馳せる。
視界の端で、正也の拳が震えていた。
指名は3巡目に入る。
ここまでは大学生や社会人の指名が多かったが、そろそろ頃合なんじゃないかと、瑛も固く拳を握り締めた。
『第3巡選択希望選手』
その瞬間は、毎回教室に緊張感が満ちた。
開始以来、顔面も身体もピクリともしない樫井の拳にも、わずかに血管が浮く。
『神岡エルビリンク』
再び読み上げられた、はるかの愛する球団の名前。
はるかには悪いが、勝負はこの次。
少年時代から憧れ続けたチームを、今季日本一に導いた監督の顔を思い浮かべた。
教室がどよめきに包まれる。
無意識に下がっていた視線を上げると、記者たちが瑛に笑顔を向けていた。
『日坂 瑛──内野手、鷺嶋高校』
思わず身を乗り出して、スクリーンを見た。
無機質な書体で綴られた自分の名前の上には、はるかがありとあらゆる私物に忍ばせている“あの”ロゴマーク。
瑛の頭の中で、日本一監督の顔が、はるかの勝ち誇った笑顔に塗り替えられていった。
『はっはっは、ようこそ』
海を越えて電話口から聞こえた声は、実に朗らかだった。
「うるせえ、さっさと寝ろ」
『もう学校向かってるよ!ほぼ徹夜だよ!』
「はあ?お前最後まで見てたのかよ」
『瑛くんのとこで既に朝だよ…あはは…』
一気に力のない笑い声に変わる。
熱心すぎるほどのプロ野球ファンであるはるかにとって、やはりドラフト会議というものは重要な存在だったようだ。
特に、瑛が候補者となっていたならば尚更。
『高原君とはリーグ分かれちゃったね。拓真君とも…あ、でも市川さんとは同じリーグでまたバチバチだね』
「そんなのと同じリーグになるより、拓さんと同じチームになりたかったんですけど」
『いやー危なかったね!あの反応、たぶんウォルラスも行く気だったな…』
「…次だったのに。次、だったのに…!」
指名順への恨みに頭を抱えていると、スピーカーの向こうが急に静かになった。
そっと、鼻をすする音。
『おめでとう、瑛くん』
彼女の表情もぬくもりも、全部伝わってくるような声。
心の奥までじんわりと熱くなって、今すぐ抱き締めて涙を拭ってやれないことがもどかしくなって。
「…ありがと。覚悟してろよ」
それだけ言って、お互いしばらくじっと黙っていた。
翌日の学校は憂鬱だった。
指名直後から今朝も、巷ではドラフトの結果が取り上げられていて。
地元メディアに至っては、指名後の記者会見の映像を擦り切れるほど繰り返している。
そんな状態では野球に関心のない生徒でも、多くの者が正也に声をかけ、瑛にはただ意味深な視線を向けていた。
「お前、こんな時でも声かけてもらえねえのか…」
「いらねえよ。その目やめろ、手が出る」
握った拳に大げさに声を上げる正也に、また近付く人影。
「おはよう、ふたりとも!えっと、おめでとう!」
「おう!どうする?サインしとく?」
「あはは、まだいいかな!」
渚だけはいつも通り、二人に笑顔を向けるのだった。
「ビッグカップル実現もいよいよ現実味出てきたね」
「え?」
渚が瑛を見上げて、こくこくと頷く。
「月城先輩も、もうずいぶん向こうの界隈で顔が知れてきてるみたいだよ。動画もはじめたばっかりなのにすごい伸びてるし」
「…なんだそれ。俺聞いてねえぞ」
学友同士でしょっちゅうセッションやライブをしていて、ジャズ・クラブにも顔を出しているのはもちろん知っていたが、それだけだ。
「うーんと…月城先輩の中では、まだ瑛君に報告するようなレベルじゃないってことなんじゃない?僕だって、音楽系の情報収集しててたまたまだよ。連絡もらったとかじゃないから安心して!」
「…」
自分に厳しいはるかのことだから、渚の推論はおそらく正しいだろう。
はるかの話題に辿り着く情報収集のやり方をぜひ教えてもらおう、と思い立ったところで、意識が数秒前に遡る。
「ん?“動画”…?」
「あ、もしかしてそれも知らなかった?ちょっと待ってね…」
ポケットからとスマートフォンを取り出す渚の手元を、楽しみなような怖いような心持で眺める。
すいすいとタップして開かれたのは、鍵盤と手だけが映し出された画面だった。
弾むように踊る指と、唯一無二の音色は、どう考えても。
「はるか…」
「そう、さすがだね。収益化するには登録者がたくさん必要だからって、こっちは直接連絡もらったんだ」
「え、でもすげーじゃん、もう!」
「ね!僕が見た時にはもうこんな感じだったけど、普通に聴きたいから登録しちゃった!」
二人の会話はまったく耳に入らず、瑛は小さな画面を食い入るように見つめていた。
スタンダード・ナンバーを最後の一音までいとおしむように奏でたその指が止まる頃、渚は瑛に微笑みかけた。
「瑛君も、応援してあげて。演者にとっては、聴いてくれる人がいることが一番の喜びだから」
──そこに瑛くんがいないなら、弾かなくていい
そうまで言ってくれたというのに、教えてくれなかったなんて、やっぱり天邪鬼だ。
今夜電話で問い詰めてやろうと、頬が緩んだ。
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【ドラフト会議】プロ球団それぞれに対し、新人選手との入団交渉権を振り分けるための会議。全球団が所定の順番で指名を行っていくので、基本的に選手は入団する球団を選べません。
※もちろんあくまで「交渉権」なので入団を拒否することはできますが、代わりに他の球団に…ということはできません(1年後以降のドラフトで再挑戦)。
【指名順】1巡目(=いわゆる「1位指名」)は全球団が一斉に希望選手を発表し、被りがあった場合はくじ引きを行います。2巡目は両リーグの球団を交互に、最下位の球団から指名していきます。3巡目は1位の球団から、以降は最下位から→1位から→最下位から…を繰り返し、全球団が希望選手の指名を終えた時点で終了です。なお、2巡目からは早い者勝ちなので、希望選手を先に指名された場合、もうその選手を指名することはできません。