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[Theme 01]1年生編

01

街に穴が開いたようなその隙間から、階段を下りて地下深くへ。
建付けの悪い扉を開けば、一気に溢れてくる音の洪水。
仄暗いレンガ造りの、決して広くはない空間にひしめき合う大人たち。
金色や銀色、木でできた何か、それぞれが得体の知れない“相棒”を抱えている。
そんな大人たちが代わりばんこに己の力量を、熱量を披露していく。

その真ん中で、うずうずと身動ぎする少女がひとり。
大きな鍵盤の上 時折指を躍らせては、小さな唇をぎゅっと結び、頬をふくらませている。
高らかに音を響かせていた男がちらりと目くばせをした瞬間、少女は結んでいた唇を大きく開いて、鍵盤に飛びついた。
椅子から転げ落ちそうなほど腕を伸ばして、暴れ狂う小さな小さな指。
そこから飛び出していく音もまた、意気揚々と弾んでいた。

──アキラくん、わたしね。

生まれたての星のように燃える瞳で。

──お父さんみたいなピアニストになる!

小さな手にいっぱいの荷物を抱えて。

──だけど、瑛くんとふたりっきりのときはね、


あの日の彼女の言葉が、今も耳に残っている。
少し心細そうな、だけど胸いっぱいの夢に溢れたその表情も。



窓の外は、絵に描いたような桜並木。
綺麗だとは思いつつも、眠気が勝って目を閉じる。
イヤホンから流れる音楽が心地良い。

それにしても、今日はやけに音が遠いような…

「あの…外れてますよ…」
「え?」

小さな声に振り返ろうとしたその途中。
使い古したイヤホンの先が、ポケットから情けなく垂れ下がっているのが見えた。

「…すいません」

誰へともなく周囲に頭を下げて、開いたドアにこれ幸いと逃げ出した。
ふと、今度こそしっかり振り返ると、先ほどの声の主も電車を降りたようだ。

「あの、ありがとうございます…」
「あ、いえ!その…つい耳に入っちゃって」
「え?」
「ジャズポリス。かっこいいですよね」

スマートフォンの画面を見てみる。
確かに彼女が言ったものと同じ曲名が表示されていた。

「へー、そんな名前なんだ…」
「えっ」
「あ、いや…ジャズ、好きなんすけど、曲名が覚えきれなくて」
「…ああ、わたしも一緒です。さっきのはたまたま知ってただけで」

そう言って笑う彼女の出で立ちを改めて眺め、自分と同じ学校の制服だと気付く。
胸元を飾る赤色から、学年は違うらしいことを理解する。

「あれ、1年生?」

彼女も同じような思考に至ったようだ。

「入学おめでとうございます。わたしは2年生なんですけど、ひょっとしたらどこかでまた会うかもですね」
「…」
「ふふ。じゃあ、また?」
「あ…」

騒がしいホームに自分を残して、あっけなく歩いて行ってしまったその背中。
人混みの中に溶けてしまって、もう会えないような気がした。



本当に、“気がした”だけだった。

「おい瑛、あの先輩めっちゃかわいくない?俺、初恋かも…」
「バカか」

中学時代から顔見知りの、相変わらず単細胞な男を冷たくあしらいつつも、視線の先は同じ。
まるでコンサートホールのよう──行ったことはないが──な講堂のステージの上。
ずらりと並んだ吹奏楽部員の中に、今朝の彼女の姿があった。

「後ろの人もかわいいな…いや、やっぱあのサックスの、イテ!」

演奏が始まっても続ける男にノールックで肩パンをかまし、ぼんやりと彼女を見つめる。
流れているのは世間の流行に疎い自分でも知っている、夢の国関連の曲。
上手い下手は分からないが、きちんと揃っていて聴き心地も良い。

だけど、彼女にはもっと──


「はるか?」


なぜか突然、彼女の姿に重なって見えた、少女の名前がこぼれる。

「は?」
「なん…え?」
「おい、なんでお前が俺と同じリアクションしてんだよ」

怪訝そうにまた騒ぎ始めたその声は、もう耳に入らない。
やっぱり結構上手いかもしれない演奏と、記憶の中の あどけなくも力強いピアノが木霊した。



「え?お前グラウンド行くんじゃねえの?」
「行く。けど…」

まだ不確かな認識を頼りに、校内を突き進む。
目的地にたどり着く前に、特徴的なストラップを首に下げた生徒を見かけた。

「あの、すいません」
「はい?」

月城ツキシロ はるかって、いますか。

その名前を口にするのは、実に6年ぶりだった。



「おはるー!なんか、一年生が」

──え、いますけど…

明らかに警戒している声音で返され、目を見開いた。
“なんで私と同じリアクションしてんの?”とデジャヴのような言葉を呟きつつも、音楽室へ案内してくれた上級生は扉を開けるなり不思議な呼び名を叫んだ。

「なにー?」

手元の楽譜から視線を外さないまま、彼女が姿を現す。
段差に躓きそうになったところで、ようやく気まずそうに顔を上げた。

「あれ?ジャズポリスの子…?」
「人聞き悪ぃな」

あまりに間抜けな一言に、若干の苛立ちを覚えながら、そしてなんだか泣きそうにもなりながら、呼びかけた。

「…はるか」
「うそ、」

気付いた瞬間の自分と同じ──やっぱり少し違う表情で、彼女は立ちすくんだ。



「…ええと、ごめんね。気付かなくて」
「…」
「あ、部活…もしかして吹部やりた」
「違う」
「…えっと…や、きゅう?」
「そう」
「え?」
「え?」

まんまるに見開かれた瞳。
あの少女のようには、またたいていない。

「やめちゃったのかと…髪、長いから」
「んだよそれ…」
「え?うちって長髪OKなの?割と強いのに」
「…いろいろと突っ込みどころしかねえんだけど、そんなに長くねえだろ。ていうかそうじゃなくて…!」

まとまらない言葉が胸の底で暴れる。
そのどれもが口元へは辿り着かず、ただ彼女を見つめた。

夜の海のように、静かに揺れる瞳。

「…わたしは…やめちゃった」
「…」
「ごめんね。聞かないで、欲しいかな」

言われなくても、何も言えなかった。
6年経って、“少女”というより“女性”に近付いたはずのその姿は、あの頃よりも小さく見えた。

「…あ、野球部!入るつもりなら、早く行かなきゃ!」
「は?」
「初日から遅刻なんて、敷居すら跨がせてもらえないんじゃ…」
「いや、漫画の読みすぎかよ。もうとっくに部員だし、今日はオフなんだよ」
「そうなんだ…あは、切れ味増したね、瑛くん」

ようやく呼んでもらえた名前。
鼻の奥がツンとした。

「…いろいろと、話せなくて申し訳ないんだけど…でも、うれしいよ。すごく」

──やめろよ。追い打ちかけんな。

「合わせる顔ないって思ってたくせに、現金だけど…」
「なあ、聞かねえからさ」

楽譜が滑り落ちるのにもかまわず、腕を握りしめる。

「連絡先、教えてよ」

彼女は自分の隣に座っているのに、どこかへ行ってしまいそうな気がしたから。



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■The Jazz Police/Gordon Goodwin's Big Phat Band
「ジャズポリス」という言葉には日本のSNSでいう「〇〇警察」みたいなニュアンスもあり、ジャズの伝統を重んじるあまり何かとお気持ち表明しちゃう人を示す意味もあったりします。
厳密には、言葉の本質は全然違いますが、瑛の認識ならばその程度でしょう。
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