囚われのお姫様

オレンジがふんわりと香り、その後少しのミントを加えたような爽やかな香りが鼻孔をくすぐった。砂糖を入れることを前提に調合された茶葉は全く渋みを全く感じさせず、その物珍しさから国の特産品として扱われているらしい。
その慣れ親しんだ味はどこまでも幼い自分の好みに整えられていて、過去を感じさせるそれが無性に腹立たしかった。
「ふふっ、美味しいかしら?昔はこれじゃないと駄々をこねてたものねぇ」
そう柔らかく微笑む女性はまるで年齢を感じさせず、明日には成人する娘がいるだなんて到底思えない。まるで日の光を浴びて白い花弁を輝かせる小振りなスノーフレークのようで、その眩しさは目に毒だ。
いつまでも薔薇にはなれない、けれども健気なスノーフレーク。
王宮でこのような純真さは早々に萎れてしまいそうなものだが、それこそが彼女の処世術らしい。特筆する能力もなければしがない子爵家の娘でしかないこの人が国王の寵愛を一心に受け続けているのはその珍しさ故かもしれない。
「お母様、私ももう成人の儀を迎えるのです。いつまでも紅茶ごときにこだわってなどいられません」
大量に鎮座する菓子へ手を伸ばせば、これまた幼い自分が好んで食していたものだった。その甘すぎる味付けは成長した私にはいささか重すぎるのだが、この体にはいつまで我儘で傲慢な少女を映されているのだろうか。
それをにこにこと美味しそうに頬張る母の姿こそ幼い少女のようである。
「そうねぇ、姫ちゃんも明日には成人して勇者様と婚姻を結ぶんだもの。寂しくなっちゃうわ」
言葉の通りに顔を歪めるこの人は、やはり側妃などという大役を務めるべきではない。親子といえど、素直に感情を顔にまで表すのはあまりに実直だ。
その点、あの腹黒さを隠し崇拝の域にまで達されている勇者の方がよほど適任に違いない。
「本当に、…あの者と婚姻を結ばねばならないのですか」
これで最後だろう。幾度となく口にした言葉を、再度繰り返した。
「あら、あらあら……いい?勇者様はあなたを邪悪な魔王から救ってくれたのよ。きっとあなたを幸せにしてくれるに違いないわ。だからそんなに嫌がらないで、ね?」
子供に話すかのようにゆったりとした口調だが、その顔には微かな嫌悪が伺えた。
勇者が私との婚姻で王となるように、この人も側妃から王太妃となる。本来なら夢見ることすらおこがましいその地位を手に入れることができるのだから、それを拒絶する私は鬱陶しいに違いなかった。
「幸せ、とは…?私はあの人を殺した人間と結婚するだなんてっ…」

いつものように話を聞こうと書斎に向かえば、本に囲まれて読書に勤しんでいるはずの彼はどこにも居なかった。城中を散策してもどこにもいなくて、最後に”あそこだけは嫌なんだ”と珍しく感情を表した王座の間に行ってみれば、やはり彼の姿はもなくて。
紫色の瘴気が漂うその場所には人好きのする笑みを浮かべた一人の男がいた。
”ああ、あなたが攫われたお姫様ですね。安心してください、かの魔王はオレが倒してさしあげましたから”
よく見てみれば、彼が絶対に近づこうとしないあの王座には、見慣れた悪趣味のマントだけがかけられていて。
彼は、だーりんは、この男の手で…!

「お母様、もう一度問いますね。私は、あの痴れ者と婚姻しなければならないのですか?」
視界がぐるぐると回る。息の詰まるような感覚に自然と呼吸が荒くなった。
「ええ、わかっています。子爵家ごときの娘ではいつまで経っても正妃になれませんものね。私を利用してようやくお父様の隣に立とうとでも思っているのでしょう?ええ、もういいです。私は、あの勇者も、お母様も、全て…」
活けられた花はポインセチア。赤い花弁と青い花瓶がどうにもアンバランスで、なんだか無性に心を奪われた。
「姫ちゃん?そ、そんなに追い詰められてたなんて知らなくて。そうだ、神父様に相談しましょう?そうすればきっと気持ちも楽になるわ」
手にした花瓶は水が入っているからか大きさのわりに重かった。
年齢に不釣り合いな愛らしいティアラを乗せた頭がか細い腕に守られる。
腕ごと壊してしまえ。そうひと思いに花瓶を振り上げれば、濃紫が視界を覆い占めた。
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