The 心理学
御名前
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最近見つけた隠れ家的なバー。
客は少なく、流れてる音楽も心地良い。通い出してから顔なじみが増えてきた。
話した事はないが目が合うと、軽く手を上げたり、会釈を交わしてくれる様になり、通う楽しみが増えていた。
今日は珍しく人が多く、いつもなら空いている席も埋まっていて、席を探そうとキョロキョロした。
……ああ、常連さんが今日は知り合いを沢山連れて来てるんだ。
今日は出直そう……と入口を見ようとした時、
「今日は混んでますね……よろしかったらこちらどうぞ?」
低い声に顔を上げると、
いつも同じ場所にいるあの人が、グラスを少し寄せて席を空けていた。
「……私がお隣に座ってもいいんですか?」
「ええ。最近週に何度か通い始めましたよね?おひとりで。」
「何件か寄ってみたんですけど、ここがゆっくりして落ち着くのでついつい通い始めました。」
「ふふ……私も同じです。ゆっくり出来ますからね、ここは。……飲み物は何にします?」
「あ……、お恥ずかしながら素人なので……。いつもマスターのオススメを頂いて、美味しいのでオカワリしてます。」
「最近、マスターが悩んでいましたからね。貴方の期待値に応える事が出来るか……と。」
「そんな……。」
私が驚いていると、少し恥ずかしそうに笑ったマスターが私を見ていた。
「ごめんなさい、私詳しくなくて……。マスターのオススメはいつも美味しくて楽しみだったんですけど……そんな事とはつゆ知らず……勉強します。」
「それは半分正解で、半分間違いです。マスターはオススメしたカクテルをオカワリしてくれる貴方を見るのが嬉しいと言っていました。ですが、カクテルに興味を持ってくれることも嬉しいですよね?」
「いやー、ハンさん。その通り。誤解しないで下さいね。いつもありがとうございます。ところで、今日はどんな気分ですか?」
「へへ、良かったです。……そうですね……、今日は初めて常連のハンさんとお話出来て……出会いって感じのカクテルありますか?……今日は味は冒険したい気分なので、何でもいいです。」
「出会いを意味するカクテルはありますが、意味合いが……」
マスターはチラリとハンさんをみた。
「そうですね、アイ・オープナーなんてどうでしょう。運命の出会い……まあ深く考えないで下さい。味はハーブ系のリキュールで卵も入りますよ……飲んだ事がないのでは?」
「甘めか柑橘系しか頼んで無かったので……卵は確かに冒険ですね。でも運命の出会いってなんだか……ドキドキしますね。」
「ふふ、キリッとした清涼感が運命を感じた衝撃のようだと言われています。マスター、アイ・オープナーを2杯お願いします。」
マスターの手際に見蕩れていると、ハンさんから肩を叩かれた。
「そういえばお名前をお伺いしてもよろしいですか?」
「田中あまねです。この辺でOLしてます。」
「あまねさんですね。私はハン・ジュンギです。」
「ハンさんって……日本の方では無い……ですよね?」
「ふふ、その通りです。韓国人ですよ。ジュンギと呼んで頂けますか?そちらの方が私は好きなので。」
「じゃあジュンギさんって呼びますね。言われ慣れてると思いますけど日本語がお上手で、逆に私がカタコトに聞こえるかもですね。」
笑っているとマスターがグラスをそれぞれの前に差し出し、磨き上げたお酒の瓶を何本か並べていた。
「わあー、楽しみです。」
ジュンギさんはグラスを持ち私を見てきた。
慌てて私もジュンギの真似をしてグラスを持って、ジュンギさんを見ると少しだけグラスを上に上げた。
「それでは、あまねさんとの出会いに……乾杯。」
「乾杯!」
しばらく最近の話や趣味の話をしていたが、そもそもバー通いのきっかけを聞かれて、私は少しだけ目を逸らした。
「あー、ちょっとだけ職場でストレス溜めちゃって、気晴らしにお洒落な一人時間を……っていうのがきっかけです。」
「……いつも少しお疲れのように見えますね。」
「……そんなに顔に出てました?」
「ええ。……元気が無さそうに見えますよ。」
「……私……断れないんですよね。本当に些細な事なんです。今度の食事会も断れずに参加する事になっちゃったし……、二次会三次会も断れずに……歌いたくもないカラオケに行ったりで。…………分かっているんです、私が断ればそれで終わりなんですけど。」
「今度の食事会は予定が入った事にしてはどうです?……私とここで飲む予定が入ったとして。」
「へ!?」
「素敵な男性からお誘いを受けたので、とでも言っておけば断りやすいのではないですか?」
「あ……、でも彼氏いる子は断ってたりしてますね……。アドバイスありがとうございます。実践してみます。」
「いえいえ。お気になさらず。いい報告をお待ちしていますよ、このお店で。……あまねさんはもっとご自身を大切にされた方がいい。」
次の日、このアドバイスのお陰で無事に食事会を断ることができた。彼氏候補?かっこいい?と沢山聞かれたが、まだ彼とはまた会う約束をしただけだからと濁した。運命の出会い……かあ。
そしてギリギリ残業することなく、急いで鞄に荷物を詰めてオフィスを出た。次は行こうね!と手を振る同僚に頭を下げた。
近くのコンビニの御手洗に入り身だしなみを整えた。
申し訳なさからガムを購入し、バーに向かいながらガムを口に放り込んだ。
……ジュンギさんはいるかな……。……まあ居なくてもマスターに言伝でも頼もうかな。
呑気に歩を進めていたが、後ろから肩を叩かれた。
「っっ……あっ、ジュンギさん?」
「後ろ姿を見付けて声をかけたのですが……今からバーに寄る予定でした?」
「そ、そうです。ジュンギさんがいたらいいなと思ってたので良かったです。」
「ふふ、それは丁度良かったです。……リップ変えました?」
「え……?はい、新色が出てたのでついつい。……ジュンギさんってよく見てるんですね。」
「あまねさんはもう少し淡い色がお似合いだと思いまして。」
「やっぱり似合ってないですかー。職場の子にも発色良すぎない?って言われたんですよ。」
「少しだけ私に時間を頂けますか?」
「?……ええ、今からバーに向かうだけですから、時間はありますよ。」
「それは良かったです。こちらへ。」
自然に手を繋がれ、来た道を少し戻るとコスメショップに着いた。
「私がプレゼントしますから、受け取って頂けますよね?」
「いえ、そんな。自分で買いますよ。」
「気に入ったリップを否定してしまったのですから、それくらいのお詫びはさせて下さい。」
「いえいえ、否定だなんて。ジュンギさんに選んでもらった方が直感で私に似合うんだろうなって思うので、選んで頂けたらそれだけで十分ですから。」
「謙虚過ぎますよ、あまねさん。是非私の顔を立てて頂けませんか?」
「本当に……いいんですか?」
「ええ。私はあまねさんにプレゼントしたいだけですから。」
ジュンギさんは私の顔をじっと見た後に、私に店の前で待つように言いリップを選び始めた。
言われるままに店の前で待っていると、暫くしてジュンギさんが出てきた。
「ジュンギさん。」
私が彼の名を呼んだ瞬間の事だった。
私の顎を軽く持ち上げ、親指で今の色を拭った。
「っっ。」
「口を閉じてて下さい。」
スッとリップを私の唇に塗っていく。
ジュンギさんの顔は真剣で、よく分からずに見つめていたら、パチリと目が合った。
「こちらの方があまねさんにお似合いですよ。」
「あ、ありがとう、ございます。」
ドキドキと心臓が高鳴り、恥ずかしさから顔を背けるとお店のガラスに映る私と目が合った。
「……あ。」
落ち着いた赤色で、私の顔に違和感なく見えた。
「……ああ、失礼。鏡で見てみます?あまねさんが可愛くなってしまい、私だけが満足してしまいました。」
「えっ、あっ、っっっ。」
顔に熱が集まってくる。
そんな事を人に言われた事無く……リップサービスかもしれない。でもジュンギさんの気持ちを否定したくない。でも、可愛いでしょ?って自信はない。
私が、アワアワしている姿をクスリと笑って、手鏡を差し出してくれた。
小さくお礼を言って、鏡に映る私を見ると真っ赤な顔をしていたが、その唇はとても似合っていた。
「すごいです……ジュンギさんって本当にすごいです。」
「ふふ、あまねさんからそう言ってもらえると自信になりますね。」
「そんな事……、これから化粧品の事もジュンギさんに相談した方がいい感じかもしれませんね。……お肌も綺麗ですよね?」
「あまねさんが頼って頂けるのであれば教える事が出来ますよ。私の上司が美容に五月蝿く、鍛えられたので。」
「……じゃあ、オススメのスキンケアも教えて下さい。……となると服選びとかも得意ですか?」
「乗ってきましたね。あまねさんに似合うお化粧、髪型から服の色まで……トータルコーディネートは出来ますよ。」
「すごい気になります。私、いつも同じような服だったり、流行りの……で買っちゃうので。」
「今度買い物に行きませんか?今日みたいに。」
「ジュンギさんのお時間があれば、私はいつでも開けますよ。」
他愛もない話をしながらバーに二人で向かった。
ジュンギさんのいつもの席の隣に座り、ジュンギさんと同じお酒を頼んだ。
「あ……そう言えば、食事会断れました。」
「心配していましたよ。あまねさんはいい人ですから。よく頑張りましたね。」
「ジュンギさんのお陰ですよ。嘘無く、素敵な男性に誘われたのでって言えました。……次は行こうねって言われちゃいましたけど。」
「大丈夫です。私が空いた時間にお迎えに行きますよ。そうすれば誘いにくくなるのでは無いでしょうか。」
「え……それはジュンギさんに負担かけますよ。」
「あくまでも私の手が空いた時間です。バーに向かう前にあまねさんの職場近くに寄るだけであまねさんの力になれるんですよ?
それにあまねさんと長くお話が出来るのも嬉しいのですが。」
「そ……うですか?……私も、ジュンギさんにお話聞いてもらうの、嬉しいんです。……頼りっぱなしで情けなくもなりますけど。」
「いえ、私の上司はとても厳しく……今はあまねさんだけが私の癒しですよ。」
「癒し……ですか?私が?」
「ええ、あまねさんの声を聞くだけで今日あった上司の我儘をも全て流せます。あまねさんの元気そうな顔を初めて見れましたし。」
「そ……そうですか。私がジュンギさんを……。……それは良かったです。私ばかり頼りっぱなしだと、気が引けてしまうので。」
「やはり、あまねさんは優し過ぎるが故に全て背負ってしまう。……その重荷は私に預けてもいいんですよ?」
その後、私はたくさんのアドバイスを貰い、元気づけられてバーを後にした。
――――――――――――
「最近、変わっちゃってない?……やっぱり彼氏?」
「彼氏ではありませんよ。……まだ、友達です。」
「まだ友達?……友達が職場まで迎えに来るの?」
「私にお構いなく。皆さんで楽しんで下さいね。」
「その、まだ友達の話、今度こそ聞くからね?」
「はーい、お疲れ様でした。」
私はにこやかにオフィスを出て、直ぐに御手洗で身だしなみを整えて、エレベーターで下へ降りた。
見慣れた顔に手を振って走り寄った。
「こんにちは、ジュンギさん。もしかしてまた私遅かったですか?」
「いえ、今来たばかりですよ。それとあまねさん、今日は仕事が入ってしまったので今日はお家へ送り届けますよ。」
「最近多いですね。夜からお仕事ですか?」
「不定期ですからね。でもあまねさんと会える時間位は融通がききますから。……いい匂いがしますね。」
「オススメして頂いた香水使ってます。ジュンギさんが何個かオススメして頂いた匂いが全部良くて毎朝悩むんですよ。」
「オススメした香水の中でこの匂いが1番好きですよ。」
「そうなんですか?……ジュンギさんもこの匂い好きなんですね。」
「ふふ、あまねさんの匂いであれば、どの匂いでも好きですよ。」
「っっ…………あ、もう少しで家に着いちゃいますね。」
「……仕事が終わったら、顔を見に来てもよろしいでしょうか?」
「あ……それは嬉しいんですけど、その、部屋汚くて、……いや掃除します。」
「無理にとは言いませんから。」
「私ももっとジュンギさんとお話したかったので。明日はお休みですから、遅くても大丈夫です。」
「それでは、お酒を買って向かいますね。」
「部屋片付けて、なにかおつまみ準備しますね。」
「あまねさん、この辺は暗くなると物騒ですから、家に居てください。しっかりと戸締まりはして下さいね。」
「何から何まですみません。お部屋綺麗にしておきますね。」
「私の方も早めに片付けてきますね。……仕事の話ですよ?」
「頑張って下さいね。行ってらっしゃい、ジュンギさん。」
――――――――――――――――
「……いらっしゃいませ。……田中さん?」
「お久しぶりです、マスター。」
「お久しぶりですね、田中さん。雰囲気が大分変わりましたね、一瞬、気が付きませんでしたよ。」
「そうですかね?」
「いつもより遅いですね、残業でしたか?」
「いえ……仕事は人間関係に疲れちゃって辞めたんです。落ち着いたら探そうと思ってます。」
「ああ、そうでしたか。大変でしたね。」
「今は身体も心も疲れてるから、ゆっくり休んでからお仕事を探しましょうってジュンギさんに言ってもらって……あ、飲み物何にしよう。……ジュンギさんと同じ飲み物頼めます?」
「ハンさんは結構強いお酒を飲まれていて……。」
「ふふ、私と同じ物を頼むと後悔しますよ。」
後ろを振り返るとジュンギさんが直ぐに隣の席に座ったので、私はホッとした。
「ジュンギさん、今日は早かったですね、お疲れ様です。……あ、ジュンギさんと最初に飲んだお酒が飲みたいです。あの……なんでしたっけ?」
「アイ・オープナーですね。今考えれば、まさに運命的な出会いでしたね。」
「本当にそうです。ジュンギさんに会えて、私、変われたんです。」
「今も十分優しいですよ。ただ、他の人に自分の意見を言えるようになりましたからね。頑張りましたね。」
マスターは目の前の光景から目を背け、黙々とシェイカーの前に必要なお酒を並べていく。
彼女はどこに行ってしまったのだろう。
密かな楽しみとしてバーに来て、オススメのお酒を楽しんで笑顔で帰って行ったあの彼女は……。
出来上がった酒をグラスを持ち上げて乾杯して、他愛もない会話……。本当に今日あった出来事を彼女が話し、微笑みながら聞く男。
「ジュンギさん、この後どうします?」
「そうですね、まずは買い出しをしましょう。」
ジュンギさんはそう言って、自然に私のバッグを手に取った。
「……帰りますよ、あまね。」
「はい。」
私は彼の腕にそっと腕を絡める。
「ありがとうございました。」
扉が閉まり、店内に静かな音楽だけが残った。
カウンターの上には、空になったアイ・オープナーのグラスが二つ並んでいた。
(終)
