夏と先生 (氷室×主)
何種類もの蝉の鳴き声が混ざり合う。
太陽は真上からじりじりと地面を照らし、コンクリートはやけどするほどの熱を帯びていた。
「あっつー...」
美奈子は汗を拭い、この後合わせる予定の曲の楽譜を読みながら、楽器を吹く。
楽器ごとに練習の間は他の教室を使うが、同じ楽器の生徒は補修になっていたため、美奈子は1人で練習をしていた。
(あと30分か。完璧にしなくちゃ。)
吹奏楽は中学の時から部活で経験があるが、高校に入ってからは更に熱が入るようになった。
やる気の根源は、部活顧問で担任の、あの人。
あの冷酷と言われる氷室に褒められたくて、部活も勉強も人一倍努力してきた。
「それにしても、暑いー...。」
下敷きでぱたぱたとあおぐが、若干の涼しさしか得られない。クーラーは不幸なことにこの部屋はついていなくて、窓を開けるしかなかった。汗がジャージの中で滴る。
(うーん...ここは...)
ひとつひとつ確認し、確実に音を出す。
先生に認められたい。頑張ったな、なんて言われたなら。
そんなことを考えながら、息を吹き込んでいく。
(はぁ、さすがにこの暑さはバテる...なんだか、クラクラしてきた...)
視界が揺れる中で、机に一旦顔を伏せるが、ドアの外の足音で瞬時に起き上がる。
「いるか。どうだ、調子は。」
「...氷室先生。」
(あぁ、クラクラする。)
「...ここはやたら暑いな。場所を変えなさい。」
「...はい。」
「小波。どうした、具合でも悪いのか?」
氷室はそれこそ顔色を変えないが、美奈子の側に寄り顔を近づける。
(先生が...近くに...)
「...いえ、大丈夫です。」
「そうか。よろしい。」
(なんだか、おかしい。先生...)
だんだん揺れる視界の中、やっと好きな人を捉える。
その異変に気付いたのか、氷室は美奈子の前にしゃがむ。
「小波、君は具合が悪いように見える。...今から保健室に連れて行くが、立てるか?」
「...はい。」
「私につかまりなさい。」
「..........はい。」
美奈子は氷室の誘導のまま、腕を掴む。
(先生の、腕だ...)
立ち上がったあと、ふらつく美奈子を咄嗟に両肩に手を添えて支える。
「小波」
(先生の声、優しいな。)
(先生のそういうところも、好きなんです。)
辺りがチカチカと眩しくなり、氷室の真剣な、少し焦ったような顔がぼやける。
遠のいていく意識の中、美奈子は氷室の胸元のシャツをぎゅっと掴む。
(先生...私は)
(あなただけが欲しいんです。)
小波、と声をかけながら顔を覗き込む氷室の顔に手を添え、そっと唇を重ねた。
美奈子の意識は、ここで遮断された。
...................
(ここは...)
白い天井に、クリーム色のカーテン。
見慣れない景色と、急な白い光に目を細める。
「気がついたか、小波。」
「.......先生、私...」
「熱中症だ。病院に来ているから、点滴が終わるまでまだ休んでいなさい。」
「...先生、そばにいてくれたんですか。」
「君がこうなったのも私の責任だ。その義務がある。...すまなかった。」
固い表情の中に少しだけ悲しそうな表情をする氷室と目が合う。咄嗟に、布団で目の下まで覆う。
(そうだ私、先生と...)
「...先生、部活戻らなくて大丈夫ですか?」
「倒れた生徒がいるのに部活をするのは顧問としての責務を果たしていない。...心配するな、既に解散している。」
(もう少し、そばにいてくれるかな?)
(なんだかまだぼーっとする...)
「...先生」
美奈子は、ベッドサイドの椅子に姿勢よく腰掛けている氷室の手に自分の手をそっと重ね、布団に引き込んだ。
「小波。何をしている。」
「まだ具合が良くないんです。手を握ってくれれば、安心します。」
「.........」
ハァ、と氷室は小さくため息をつく。
そして、視線を背けながらほんの微かに美奈子の手を握る。
「...5分だけだ。5分後には直ちに離すぞ。」
「...ふふ、はい。」
氷室の手はほんのり暖かく、大きく美奈子の手を包む。心地よく、幸福感に満たされる。
いつもなら、ガチガチに緊張してしまうところだが、今は安心感に包まれたような気分になった。
「...先生、あの」
「どうした。」
「....いえ、なんでも。」
(キスのこと、...聞くのはやめとこう)
聞いたら、今すぐこの手を離されてしまうような気がした。
「先生、ありがとうございました。」
「構わない。むしろ、私は謝らなければならない立場だ。」
氷室は相変わらず、簡潔に返答する。
興味なさそうで、冷たいと思う人も多いだろう。
(でも私は....)
「...小波?」
「.......」
「.....寝たのか。」
目を閉じ、すうすうと寝息を立てている美奈子に気づいた氷室は、1人小さく安堵のため息をつく。
「....君は無理しすぎだ。」
そして、小さくそう呟くと、美奈子の髪に触れるか触れないかの距離で触れ、ぎこちなく撫でる。
5分たっても、布団の中の2人の手は重なり合ったままだった。
END
太陽は真上からじりじりと地面を照らし、コンクリートはやけどするほどの熱を帯びていた。
「あっつー...」
美奈子は汗を拭い、この後合わせる予定の曲の楽譜を読みながら、楽器を吹く。
楽器ごとに練習の間は他の教室を使うが、同じ楽器の生徒は補修になっていたため、美奈子は1人で練習をしていた。
(あと30分か。完璧にしなくちゃ。)
吹奏楽は中学の時から部活で経験があるが、高校に入ってからは更に熱が入るようになった。
やる気の根源は、部活顧問で担任の、あの人。
あの冷酷と言われる氷室に褒められたくて、部活も勉強も人一倍努力してきた。
「それにしても、暑いー...。」
下敷きでぱたぱたとあおぐが、若干の涼しさしか得られない。クーラーは不幸なことにこの部屋はついていなくて、窓を開けるしかなかった。汗がジャージの中で滴る。
(うーん...ここは...)
ひとつひとつ確認し、確実に音を出す。
先生に認められたい。頑張ったな、なんて言われたなら。
そんなことを考えながら、息を吹き込んでいく。
(はぁ、さすがにこの暑さはバテる...なんだか、クラクラしてきた...)
視界が揺れる中で、机に一旦顔を伏せるが、ドアの外の足音で瞬時に起き上がる。
「いるか。どうだ、調子は。」
「...氷室先生。」
(あぁ、クラクラする。)
「...ここはやたら暑いな。場所を変えなさい。」
「...はい。」
「小波。どうした、具合でも悪いのか?」
氷室はそれこそ顔色を変えないが、美奈子の側に寄り顔を近づける。
(先生が...近くに...)
「...いえ、大丈夫です。」
「そうか。よろしい。」
(なんだか、おかしい。先生...)
だんだん揺れる視界の中、やっと好きな人を捉える。
その異変に気付いたのか、氷室は美奈子の前にしゃがむ。
「小波、君は具合が悪いように見える。...今から保健室に連れて行くが、立てるか?」
「...はい。」
「私につかまりなさい。」
「..........はい。」
美奈子は氷室の誘導のまま、腕を掴む。
(先生の、腕だ...)
立ち上がったあと、ふらつく美奈子を咄嗟に両肩に手を添えて支える。
「小波」
(先生の声、優しいな。)
(先生のそういうところも、好きなんです。)
辺りがチカチカと眩しくなり、氷室の真剣な、少し焦ったような顔がぼやける。
遠のいていく意識の中、美奈子は氷室の胸元のシャツをぎゅっと掴む。
(先生...私は)
(あなただけが欲しいんです。)
小波、と声をかけながら顔を覗き込む氷室の顔に手を添え、そっと唇を重ねた。
美奈子の意識は、ここで遮断された。
...................
(ここは...)
白い天井に、クリーム色のカーテン。
見慣れない景色と、急な白い光に目を細める。
「気がついたか、小波。」
「.......先生、私...」
「熱中症だ。病院に来ているから、点滴が終わるまでまだ休んでいなさい。」
「...先生、そばにいてくれたんですか。」
「君がこうなったのも私の責任だ。その義務がある。...すまなかった。」
固い表情の中に少しだけ悲しそうな表情をする氷室と目が合う。咄嗟に、布団で目の下まで覆う。
(そうだ私、先生と...)
「...先生、部活戻らなくて大丈夫ですか?」
「倒れた生徒がいるのに部活をするのは顧問としての責務を果たしていない。...心配するな、既に解散している。」
(もう少し、そばにいてくれるかな?)
(なんだかまだぼーっとする...)
「...先生」
美奈子は、ベッドサイドの椅子に姿勢よく腰掛けている氷室の手に自分の手をそっと重ね、布団に引き込んだ。
「小波。何をしている。」
「まだ具合が良くないんです。手を握ってくれれば、安心します。」
「.........」
ハァ、と氷室は小さくため息をつく。
そして、視線を背けながらほんの微かに美奈子の手を握る。
「...5分だけだ。5分後には直ちに離すぞ。」
「...ふふ、はい。」
氷室の手はほんのり暖かく、大きく美奈子の手を包む。心地よく、幸福感に満たされる。
いつもなら、ガチガチに緊張してしまうところだが、今は安心感に包まれたような気分になった。
「...先生、あの」
「どうした。」
「....いえ、なんでも。」
(キスのこと、...聞くのはやめとこう)
聞いたら、今すぐこの手を離されてしまうような気がした。
「先生、ありがとうございました。」
「構わない。むしろ、私は謝らなければならない立場だ。」
氷室は相変わらず、簡潔に返答する。
興味なさそうで、冷たいと思う人も多いだろう。
(でも私は....)
「...小波?」
「.......」
「.....寝たのか。」
目を閉じ、すうすうと寝息を立てている美奈子に気づいた氷室は、1人小さく安堵のため息をつく。
「....君は無理しすぎだ。」
そして、小さくそう呟くと、美奈子の髪に触れるか触れないかの距離で触れ、ぎこちなく撫でる。
5分たっても、布団の中の2人の手は重なり合ったままだった。
END