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軽率に恋に落ち、儚くも散っていった友達を見て、馬鹿なんじゃねーの、って思った。たった一目見ただけで、恋するなんて馬鹿馬鹿しい。そんで、焦って告白して見事玉砕。本当に馬鹿だと思った。
そもそも恋ってなんだっけ?
今日も振られたと泣く友達を励ましたあと、いつもどおり部活へ行って、バレーボールを床に叩きつける。
『なんで一目惚れ? どう考えても一目見ただけじゃ勘違いだろ。その場の感情とかさ』
『分かってねーな、二口。こう、ビビッと電気が体に走る感じがするんだよ。直感的にな、この人が運命の人だ! って感じがすんの』
『結局振られてんじゃ、運命の人でも何でもないだろ』
『うっせーな!』
電気がビビッと……ね。
馬鹿馬鹿しい、と零しバレーボールを上に放り投げた。
そこは紅茶の良い香りとケーキの甘い香りが漂い、居心地の良いクラシックやオルゴールの音楽が流れる場所だった。
学校の帰り道にある喫茶店。子どもの頃からあった喫茶店だが、入ったのは今日が初めて。部活が終わり携帯を弄っていると母から夕飯無いから外食してきなさい、という連絡があったからだ。
こういった事は初めてではない。だが、なんとなくいつも行くファミレスの物を食べる気分でもなく、母が前に美味しいと言っていた喫茶店へ足を運んだのだ。ただ、それだけの理由。
おとぎ話に出てきそうな小屋の扉についた取手を掴んで引くと、カランカラン――、と小さなベルが音を鳴らす。すぐに「いらっしゃいませ」と店員が声をかけてくれた。扉についたベルに負けないくらい、澄んだ綺麗な声だった。
「お一人様ですか?」
「あ、はい」
どうぞ、と案内されたのは窓際の席。窓際に花瓶が添えられていて、数本の花が生けられている。時間帯が閉店ギリギリの8時ということもあってか、客も少ない。
「あの、量がある料理ってここにあるのしか無いんですけど大丈夫ですか?」
渡されたメニューの一箇所を指で囲みながら説明してくれる店員。先ほど出迎えてくれた人と同じだ。机に置かれた水を端の方に寄せながら、メニューに目を走らせる。喫茶店らしく、オムライスやパスタなどしかない割に値段も少し高め。やはり、ファミレスに行ったほうがよかったか……。
想像される料理の量と財布の中身を思いだし、ため息が出そうになったのを我慢し、大丈夫です、と一番安かったミートソースのパスタを頼む。どうせならセットの方が量もあるし、値段も量にしては特だろうと飲み物とデザートも注文する。店員は、注文を確認すると奥の厨房へと姿を消した。
さらさらと揺れる結ばれた髪の毛。彼女が去っていった後も、花のような優しい香りがその場に残っていて、鼻腔をくすぐる。何よりも、鈴の音のような心地よい声が印象深く耳に残った。
順番にサラダと飲み物が運ばれてきて、その後にメインのパスタが届く。問題の味はファミレスと比べるのもおかしいかもしれないが、最高。けれど、やはり食べ盛りで部活帰りの体には量は少なく感じられた。
「デザートのケーキです」
「え、あの俺こんなに頼みました? あとコーヒーも頼んでないと思うんですけど」
「私からのサービスです。食べ盛りの高校生にはうちの料理じゃ少ないでしょう。大丈夫、残り物のケーキとかなんでお金は心配しないでください」
頼んでいたショートケーキの他にも色んな数のケーキ。そしてコーヒーを置いていった彼女は、ふわりと微笑んだ。入口で思ったんだ。何かに似てるな、って。ケーキだ。彼女の笑顔は柔らかくてケーキに似てる。我ながら変な喩えだ。
お言葉に甘えて運ばれた3種類のケーキを口に入れていく。最初から頼んでいたショートケーキの生クリームは甘さ控えめで、いくらでも食べられそうだった。甘いものより酸っぱいものが好きな俺でも大丈夫。チョコレートケーキもチーズケーキも全部美味しかった。
問題だったのが苦手なコーヒー。苦くて好んで飲んでいなかったその飲み物もケーキを食べながら少しずつ飲んでいけば全部飲み干すことができた。
砂糖とミルクを用意してくれたのに使わなかったのは、ほんの小さなプライドが許さなかったから。
サービスで持ってきてくれたケーキとコーヒーのお陰で腹も十分満たされ、伝票が挟まれたプレートをレジの方へと持っていく。
「あの、ケーキ、ありがとうございました」
「いいえー、お腹は満たされましたか?」
「はい。美味しかったです。御馳走様でした」
それならよかった、と笑う彼女を見たとき、心臓が高鳴った。ドクン、と一際大きな音。
財布から提示された金額を支払い、会計を済ませる。財布を乱雑にバックの中へと放り込み、ドアの取手を掴んだ。
「また来てくださいね」
カランカラン――、とまた音が鳴る。外に出ると、室内とほとんど気温は変わらないはずなのに、風が少し冷たく感じて、火照った顔には気持ちの良いものだった。
人は、人を忘れるとき、まず声から忘れていくという。そりゃ一度しか会ったことがない人なんて、顔もうる覚えなのに声まで覚えているわけがない。
なのに、数日経っても彼女の声は未だに耳にこびりついていて消えてはくれないし、顔だって鮮明に覚えてる。特に、シフォンケーキみたいな笑顔。花のように可憐な笑顔じゃなくて、ふわっふわの笑顔。
「おい、二口。ニヤニヤしてんぞ。気持ち悪い」
「お、二口にもついに春模様か? 相手はどんな子?」
昼休み。どうやら表情まで緩みきってしまったようで、クラスメイトにツッコミを受ける。その中には当然、以前一目惚れをして、その恋を早急に終わらせてしまった奴もいるわけで、勝手に一目惚れだと突っ走り一人で盛り上がる。
一目惚れ? 俺が? 馬鹿馬鹿しい、と悪態付きながら話を聞いていた俺が……、ひとめ、惚れ……。
「そうなのかもしれない」
心の中で呟いたつもりだった。なのに、声に出してしまったようでクラスメイトも「え!?」っと思いがけないような声を出した。
暴雨のように浴びせられる質問の嵐に巻き込まれないよう、「うるさい」と一喝して青根のところに逃げ込んだ。
カランカラン――。
「いらっしゃいませ」
あの時と同じチャイムの音。そして、耳にこびりついて消えなかった、彼女の声が店内から聞こえてきた。
「あ、この前の……」
「……ッス」
どうやら彼女は俺のことを覚えていてくれたらしく、俺の顔を見ると「また来てくれてありがとうございます」とお礼を言われた。それに対して軽く頭を下げながら挨拶することしかできない俺。正直、変な緊張で手汗が尋常じゃない。
「この前と同じで大丈夫ですか?」
「あ、はい」
金銭的にピンチなのは変わらないので、結局この前のと同じメニュー。また彼女はデザートのケーキを余分に持ってきてくれた。この前と違うことと言ったら、俺の他に誰も客がいなかったこと。
彼女は自分のコーヒーを持ってくると、俺の座っているテーブル席の隣に腰を下ろした。「へへ、もう閉店なんで」と悪戯に微笑み、両手でカップを持ち口を付けた彼女に、一瞬見惚れてしまい時計を見るのが少し遅れてしまった。確かに携帯のディスプレイに映し出された時間はこの喫茶店の閉店時間を示していた。
「す、すみません! 今出ます」
「ああ、いいのいいの。ここ、私の両親が経営してて後片付けはいつも私の仕事だから気にしないでゆっくりしてって」
慌てて席を立とうとしたが、彼女に制されついでにコーヒーのおかわりも貰ってしまう。
しまった、一緒に飲むためのケーキがもうない。
さすがに無糖のコーヒーをそのまま飲めるわけもなく、ミルクと砂糖に頼ろうかとも思ったが手が出せずそのまま口に含む。苦い。
「ミルクと砂糖、使っていいよ?」
クスクスと笑う彼女は、俺が無糖で飲めないことなんてとっくに見過ごしていたようで、変な意地と闘ってた自分が恥ずかしくなった。
閉店時間が過ぎたからなのか、俺が変に気を負わないようにするためなのかどうかは知らないが、敬語が砕け彼女本来の話し方が聞けているのだと思うと、また胸が高鳴る。
そのまま自己紹介を始める彼女。悠月さん。名前が分かった。好きな人のことを少しでも知れることが嬉しかった。
俺も自己紹介をすると、悠月さんも伊達工の出身だったようで、バレー部だということを話すと「ああ、そっか。君が……」と驚かれた。なんでも、学年は去年卒業した俺の2つ上で、茂庭さんとは委員会が一緒で仲が良く、よく俺の話しをしていたそうだ。羨ましさに歯ぎしりしながら、ありがたくコーヒーのおかわりを貰った。
「え、悠月さん? 知ってるよ?」
翌日、部活終わりに茂庭さんに悠月さんのことを聞いてみると、懐かしそうに話し始めた。鎌先さんも知っていたようで、今何してるんだっけか、と会話に参加してくる。
「なんだ、二口。悠月さんに惚れたか」
ニヤニヤとした表情をした鎌先さんの腕が首に絡んでくる。正直、二人が悠月さんの名前を呼んでいることから気に食わない。だが、昨日の自己紹介の時に名前で呼んでいいよ、と言っていた彼女の様子からしてみんなに対してそうなのだろう。
「だったら何なんすか」
「おお……」
違います、と言うのだろうと思っていた先輩たちにとってみたら予想だにしてなかったことのようで、面食らったように目を丸くさせる。うじうじ考えてたって仕方がない。恋に落ちてしまったんだから。
「じゃあ、丁度いいや。これお前にやるよ」
そう言って鎌先さんから渡されたのは映画のチケット二枚分。どうやら約束していたのが駄目になってしまったようだ。彼女ですか? とからかうと顔を真っ赤にして怒鳴り声をあげられたので、耳を塞いで更衣室を後にする。もちろん、チケットはありがたくもらった。
「いらっしゃいませ……あ、二口くん」
お店の扉を開ければ、カランカランというチャイムの音と共に悠月さんが笑顔で迎えてくれた。いつもの席に案内され、いつものメニューを頼む。昨日と同じように、閉店時間を過ぎると悠月さんは隣りのテーブルに座ろうとした。
「あ、の。ここ、どうぞ……」
指を指したのは俺の前の席。悠月さんは一瞬、驚いたように目を見開いたが、すぐにありがとう、と椅子を引いて腰を下ろした。
映画はいつ誘おうか。それしか頭になかった俺は、彼女に何度か名前を呼ばれたあとに、ようやく返事を返すことができた。
「もしかして疲れてる? ごめんね、無理に付き合わせちゃって」
申し訳なさそうに眉を垂らす。茂庭さんが悠月さんはお喋りだから、一度捕まると全然逃げられない、ってため息をついてた。そんな彼女は近所の老人たちのいいお喋り相手になるらしく、昼間はそんな人たちがたくさんくるらしい。一方的に話しを聞いてる時も、もちろんあるのだが、それでも彼女の話はおもしろいから聞いてて楽だ。
大丈夫っすよ、続けて。と言えば、最近気になる映画の話しをはじめた。その映画は、今まさに俺が持ってるチケットのもの。
「あ、あの。その映画のチケットあるんすけど……よかったらどうですか?」
「ほんとっ!? 行きたい!」
(鎌先さんありがとう……!)
それはもう嬉しそうに笑う悠月さんを見て、思わず目を瞑って心の中で鎌先さんにお礼言う。今度何か奢ろう。
そのまま流れるように日時と待ち合わせ場所が決められる。あらかじめ調べておいてよかった。思っていた以上に楽に事が進んでしまい、ここにくるまでの緊張は何だったのか、と自分にツッコミを入れたくなった。
「楽しみにしてるね」
だが、ふにゃり、と笑った彼女を見てしまえば、そんなことはどうでもよくなった。
そして迎えた当日。待ち合わせの30分前に待ち合わせ場所についてしまい、張り切りすぎか! とこそばゆい感覚を覚えた。鎌先さんやクラスメイトがいたら絶対に笑われる。妙にそわそわした気持ちは約束した日から続いていて、昨夜も満足に寝ることができなかった。遠足前の幼稚園児か! と突っ込まれても、今なら誰にも反論できない。
携帯を弄って、今日の映画の時間や昼食を取る場所を何度も確認する。プラウザを開いている間に、右上に表示される数字が変わるのが普段よりも遅く感じられた。
「ご、ごめん。遅くなっちゃって」
「だ、だいじょうぶ……ッス」
約束の時間十分前。薄手のカーディガンを風になびかせた悠月さんが目の前に駆け寄ってきた。喫茶店で見るエプロン姿とはまた違う彼女の姿。なんで一年前に知り合ってなかったんだ、と激しく後悔する。茂庭さんたちに見せてもらった制服姿も可愛かったから。
行こっか、と歩き出す彼女を慌てて追いかける。昼食をどこで食べようかと一応聞いてみると、普通にファミレスでいいよ、と答えられる。ケーキが美味しい喫茶店の店を一応調べてきたのだが、その必要もなく、結局いつもの値段が手頃なファミレス。
ドラマとかでよく見る、彼女がトイレに行ってる間にお勘定……っていうのもできなかった。チケット代がタダになってる分私が払う、ときかなかったのだ。彼女の方が年上、という意地もあってか結局ご馳走になることに。
映画館に着いたら着いたで、ポップコーンいる? と聞かれ、悠月さんが食べるなら……と呟くと、分かった! と売り場にさっさと行って買ってきてしまう。あっという間に映画も終わって、そのまま感想を話しながら帰り道を歩く。
今日、俺財布出してない。
え、いいの? これで。おかしくないか?
当初の予定と全然違う風に進んでしまったデート(仮)に困惑しながら帰り道をゆっくり歩く。どうしてこうなった、と(実際には抱えていないが)頭を抱えていると、隣で悠月さんがクスクスと口元を手で少し隠しながら笑った。
「二口くん、頑張りすぎ」
「え、」
「そんなに気張らなくていいよ。だって、私だし。敬語とかも本当はいらないよ。なんか壁感じる」
「茂庭くんに話し聞いてたからかな、なんか初めて会った気しなかったんだよね。あの時」
そう口にした彼女は足を止めた。彼女のコミュニケーション能力が高いと言っても、確かに会うのは初めて喫茶店を訪れたのを入れても4回目。それを考えるとこの仲の良さは少し異常なのかもしれない。
「相手が悠月さんだから頑張るんです」
「え?」
「悠月さんだから、少しでもカッコよく見られたくて、デキる男に見てもらいたくて、気ぃ張ってました」
今が日が沈んだ後でよかったと心底思った。いつもだったらこんなこと絶対恥ずかしいこと絶対言わない。自分の靴元を見ていた視線を少しだけ上げる。俺の頭一つ分くらい下にある彼女の表情は、外灯の光が当たっていないこの場所では見えづらかった。
「俺、悠月さんのことが好きです。初めて会った時からずっと。ずっと好きでした」
誰だ。会ってすぐに焦って告白する奴は馬鹿だとか言ってた野郎は。一目惚れなんかくだらない。そんなことを言っていたのは、どこのどいつだ。
思わず込み上げてくる笑いを何とか奥歯で噛み殺し、返事を待つ。その時間はとても長く感じられた。1分、10分――いや、それ以上に。時間的にはそんなに経っていなくても体感していた時間はとても長かった。
「私が好きなのは、つま先立ちじゃない二口くんだよ」
「え?」
どうせ振られるんだろう、と身構えた体が瞬間的に緩んだ。
今、なんて言った。
どうしようもなく、悠月さんの顔が見たくなって外灯の下まで彼女の手を引く。焦ったように小さく声を発した彼女の意見を聞かずに、顔を覗き込むと、熟れた苺のように真っ赤に頬を染めていた。釣られるように自分の顔も、ぐあっと熱くなり視線を逸らす。
「ははっ、それ。私が好きな二口くんは。二口くん人見知りするでしょ? 心開いた人には結構強気でいくけど、最初はちゃんと年上の言うことも聞くって感じ」
合ってる? と意地悪そうに笑う彼女に何も言い返せず、どんどん熱くなる顔を上に向けて腕で目を覆い隠した。クソカッコ悪い。
「私、もっと素の二口くん見てみたい。もっと二口くんのこと、知りたい」
下から服をつままれ、腕をどかされる。意地悪そうに笑う彼女の頬はほんのり赤くて、リップが艶めく小さな唇に見惚れた。
「だから私に合わせようとしないで」
ね? っと、とどめにシフォンケーキのようなあの笑顔をくらい、あ゛ー……っと呻き声にも似たため息が口から飛び出した。
俺は、一生彼女に勝てる気がしない。
◇◇◇
恋というものは突然訪れるものだ。と誰かが言っていたような気がする。高校のときにずっと一緒にいた友達が言っていたのだろう。
「男友達はたくさんいるのに、なんで彼氏はいないのかなー」
これが彼女の口癖。それに反して私の口癖はこうだった。
「気になる人がいないんだもん」
友達は首をすくめながら、そういう人にいつどこで会うか分からないんだからねー。と耳にタコができるくらいまで聞かされたのが2年前。高校を卒業すると同時に、両親がやっている喫茶店を手伝うことになった私には、恋、と言うものはさらに縁のない話になってしまった。
カランカラン――。いつものように開いたお店の扉。来店したのは一人の高校生だった。部活帰りの制汗剤の匂いは、懐かしい記憶を呼び起こす。少し低めの声が心地よく耳に残り、まだ少し幼さの残る顔が脳裏に焼き付いた。ああ、こういうことなんだな、って思った。恋をするって、こういうことを言うんだ、って。
話しをしてみれば、後輩である茂庭くんから「手の焼いている後輩がいる」と、以前から話に聞いていた子だった。前に会ったときに、客と店員という立場でしか会話をしなかった癖に、それを知ってから一気に距離が縮まった気がした。
苦手なコーヒーも砂糖とミルクを使わないで飲もうとするところ。茂庭くんたちの話しをするとバツの悪そうな顔をして口をすぼめるところ。考えてることが上手くいかなかったこと。ほんの些細なところに、まだ子どもっぽさが残っている。それを見ると、トクンと心臓が音をたてた。今まで聞いたことのない音だった。
生まれて初めての告白は考えていたものと全然違った。もっとムードとか、事前の準備ってものがあると思ってた告白は、突然始まった。それは二口くんも同じなのだろう。だって出会って一ヶ月も経ってない。勢いに任せて告げた言葉に、二口くんは少しだけやってしまった、という顔をしている。それが、たまらなく愛おしく思えたんだ。
「悠月さん。口元、クリーム付いてる」
「え、うそっ」
「うん、嘘」
また騙された、とケラケラ笑う目の前の男。三ヶ月前の謙虚な堅治くんはどこに行っってしまったのだろうか。お付き合いというものを始めて早三ヶ月。変わったことはと言えば、堅治くん、と名前で呼ぶようになったことと、私の要望通りに背伸びをしていない堅治くんがたくさん見られるようになったこと。しかし、少し度が過ぎる。元々、悪戯好きなのだろう。茂庭くんが手を焼くわけが分かった気がする。それでも、真面目に取り組むべきことは真面目にやるし、根は良い子だのだ。
一口にしては少し大きめのケーキの欠片を大きく口を開けて頬張る。すると、また堅治くんは自身の口元をポンポンと叩いて、クリーム付いてますよ、と言った。
「ふん、今度は騙されないんだから」
二度も同じ手が通用すると思ったら大間違いだ。しかも、ついさっき使った手だぞ。そう思いながら、紅茶のカップに手を伸ばす。しかし、その手は堅治くんの手に握られてしまい、何かと顔を上げるとすぐ目の前に彼の顔があった。ペロリ、と口の端を舐められる。思わず変な声をあげてしまい、キョトンとしていると、堅治くんはまた悪戯っ子のように笑った。
「今度は本当っすよ。さすがにすぐ同じ手は使わない」
何がおもしろいのか、必死に笑いを堪える堅治くん。
「ちょ、笑いすぎ!」
「だって、悠月さん、すっげー変な顔してた」
「変な顔で悪かったわね!」
「ははっ。でもそういう顔も、俺すっげー好きですよ。可愛い」
頬杖付きながら、にっこりと微笑んだ堅治くん。目元はほんのり赤く染まっていて、とても優しい表情をしている。
「へ……」
また変な声が出た。顔は熱いし、心臓もドクドクうるさい。そのまま何も言えずにいると、堅治くんの顔もどんどん赤く染まっていく。
「ちょ、なんか言ってくださいよ。恥ずかしい……」
「え、あ、ご、ごめん……」
顔の下半分を隠し、私と視線を合わせないようにそっぽを向く堅治くん。耳まで真っ赤にしている。恥ずかしくなるなら言わなきゃいいのに、と言いそうになるのを我慢して私も顔を両手で包んで隠す。
「照れてる堅治くんも可愛いよ」
「悠月さんに言われても嬉しくない」
ちょっぴり拗ねてしまった堅治くん。年下だし、可愛いと思うところがあってもおかしくないはずだ。
「でも、バレーやってる時の堅治くんが一番カッコいいし、大好きだよ」
顔を隠していた両手の指の隙間から様子を覗いてみれば「あー、もう、大好き」と机に突っ伏す彼が見えた。