【HQ】そのランプが消えるとき【及川徹】
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「38.6℃。真冬にあんなびしょ濡れで帰ってくるから……」
お粥持ってくるから、と愚痴を零しながらリビングへと降りるお母さん。昨日から泣きすぎて、目もパンパンに晴れてしまっているが、何も聞いてこないお母さんには感謝すべきなのだろう。
泣く気力も無く、ただボーッと自分の部屋の天井を視界に映していた。時刻はお昼時。本来ならば今頃は徹と一緒にどこかへ出かけていたはずだ。考えるだけで目頭が熱くて、頭上にあったティッシュに手を伸ばす。すると、ドカドカとお母さんにしては荒々しい足音が階段を駆け上ってきた。ノックも無しに乱暴に開けられるドア。
「一……。ノックくらいしてって毎回言ってるじゃん」
「うっせ……。それより、及川が隣のクラスの女と一緒にいた。どういうことだよ」
険しい顔をしながら部屋の中にズカズカと足を踏み入れてきたのは、もう一人の幼馴染、岩泉一である。眉間にシワを寄せたままベッドのすぐ脇に胡座をかいて座る一に、ため息を一つ零して昨日の出来事をそのまま伝えた。
「昨日ね、フラれたの。徹に。その子のことが好きなんだって」
「フラれた」。その一言を言うだけなのに、目頭が熱くなってまた涙が出そうになった。「は?」と驚愕の声を漏らした一は、狼にような鋭い瞳を大きくさせた。
私だって信じられない、信じたくない。昨日のことが全部夢だったらいいのに。けれど、何度瞬きをして左薬指にあったはずの指輪は無い。
今思えば先週くらいから、何となく徹が冷たかったような気がする。否、いつも通りだったけれど、どこか距離があったのだ。先週。二人でふたご座流星群を観測しに行った時から、彼の様子は少しおかしかった。
◇◇◇◇
「待って、徹、早いってば……」
「部活やめてから運動しなくなったから少し太ったんじゃない?」
「そ、そんなことないし……」
憎まれ口を叩きながらも、暗い夜道の少し先で私が来るのを手を差し伸べながら待っていてくれる徹。小さい頃、私はこの暗い道がとても怖かった。けれど、徹がいつも私の手を握ってくれて、ここにいる。大丈夫だよ。って道標になってくれた。繋いだ手から伝わる温もりがとても心地よくて、大好きだった。
懐中電灯で足元を照らしながら、大きな石を避けて足を着地させる。差し出された手を握ると、彼は私の手を掴んで自分の方へと引き寄せた。バランスを崩した私の体は彼に向かって倒れる。けれど、それを徹はしっかりと受け止めた。
「ん。やっぱり少し柔らかくなった」
「実は少し太りました……。徹は、あんまり変わってないね」
「ちゃんと筋トレとかしてるし」
ぎゅう、っと背中に回した腕に力を入れて、彼の存在を確かめる。胸元に顔を埋めて、ゆっくりと息を吸ってみる。彼の体温や匂いを堪能すると、彼も同じように私の存在を確かめた。髪を梳いてくれる、彼の指が少しだけくすぐったくて、笑い声が少しだけ小さく零れた。
「徹、急にどうしたの? 早く広場まで上がろう」
「なんか昔のこと思い出した。いこっか」
体が離れると、冬の冷たい風がその温もりを奪うように吹き、一気に体を冷やした。離れる際に、彼が小さく鼻をすすったのは寒さから来るものだったのだろうか。暗くてよく見えなかったけれど、この時の彼はどんな表情をしていたのだろうか。少しだけ震えていた声に、大丈夫? と声をかけてあげればよかったのだろうか。
◇◇◇◇
「あー……っ、たま痛い……」
「もう寝ろ。熱上がってきてんだろ」
悠月のお母さんがお粥を持ってくるが、食欲が無いのか半分ほど食べたところでギブアップだと声を上げる。残ったものを片して、一緒に持ってきてくれていた薬を飲ませる。布団に入ったところを確認し、そろそろ帰ろうかと床とベッドに手をついて腰を上げる。すると、ベッドについていた右手をグイット引っ張られて傾いた重心。
「って! なに、す……」
ドサッ、っとベッドに倒れこみ、ベッドの端にぶつけたみぞおちと、床に打ち付けた膝がズキズキと痛む。悠月との距離はわずか一センチほど。心拍数と体温の上昇を感じ、慌てて顔だけ引く。
(及川は、いつもこの距離でこいつの顔を見ていたのか……)
自分の知らないところで、嫉妬心が湧き上がる。
「行かないで……ここに、いて……ッ」
うっすらと開けられ濡れた瞳は、何を見つめているのだろうか。俺は及川じゃない。岩泉一ということを、こいつはちゃんと認識しているのだろうか。
「行かねぇよ。どこにもいかない。お前のそばにいるから……」
そう言って掴まれた手を握り直して、頭をそっと撫でてやると嬉しそうに表情を緩めて瞼を閉じた。その際に溢れた涙が目尻から溢れ落ち、枕に染みを作る。涙が伝った跡を優しく拭ってやると、くすぐったそうに身じろぎした。
長い睫毛、白く柔らかな肌、さくらんぼのように色づく唇。触れたい。もっと、触れたい――。
無意識のうちに悠月の唇に近づけてしまった唇は、あともう一息というところで止まり、また離れた。
「ったく……ほんとに世話のかかるお姫様だな」
なぁ、知ってるか? 俺、ガキの頃からお前のことずっと好きなんだぜ? 今だって、心臓がバクバクいいすぎて死にそうだし、顔もきっと真っ赤になってる。俺だったら泣かせないのに。どんなにワガママ娘でも、俺なら受け入れてやれるのに。
「……俺にしとけばいいのに」
◇◇◇◇
「なんでお前、悠月に告白しねーんだよ。好きなんだろ? 悠月もお前のこと好きなの知ってんだろ」
中学三年生の夏。太陽の光がガンガンと照りつける中、校庭で野球部が元気にランニングに興じている。その姿を見ながらパックに入った牛乳をズコーッと飲み干してゴミ箱に投げると、それは綺麗に弧を描いて目的の場所へと身を投じた。
「岩ちゃんはそれでいいの? 俺が悠月と付き合って」
「は? いいに決まってんだろ。お前、バカか?」
「バカじゃないし! 岩ちゃんだって悠月のこと好きじゃん」
小さい頃カラずっと三人でいた。一人っ子で甘やかされて、男二人に囲まれて育った悠月は周りから見ればお姫様のようだった。本人は少しワガママなところがあるが普通の女の子。友達もたくさんいたし、女の子の中ではモテていた方だった。
ずっと三人で家族のような友達、という関係を貫いていたからだろうか。突然その関係が崩れないように慎重になっていたのは俺だけじゃなく、及川も悠月もだったらしい。
端から見れば、どう考えても俺が不憫になるだけだ。三人の中の二人がデキて一人があぶり出される。みんな俺を見て笑うだろう。
「恋が叶わなくて可哀想なやつだ」と。
「いいんだよ、俺は。その代わり、泣かせたら殴りにいってやるからな」
「うわー、岩ちゃんこわーい!!」
ケラケラと笑う及川に腹が立って一発足蹴りをかますと、またいつものようにキャンキャンと吠える。及川といるときのあいつの笑顔が好きなのに、それを俺自身が壊すわけにはいかないだろう。それに、好きな女を任せるなら信頼できる奴がいい。
「ま、そんなこと絶対無いし。俺が岩ちゃんの分まで悠月のこと幸せにするから」
木漏れ日が及川の顔を照らす。元々及川の顔は綺麗な顔だが、その笑顔は今までで一番綺麗だと思った。
「はじめ!」
もう少し静かにしろ、って言いたくなるほど大きな声で俺の名前を呼んだくせに、すぐ近くにまで駆け寄ってきてみれば、その表情はとても暗いものだった。何か用かと尋ねれば、言いづらそうに顔を俯かせる。催促するわけにも行かずに、川辺に座って悠月が言い出すのを待った。
「あのね……徹に告白された」
風の音が一際大きく聞こえた。心臓がキュッと収縮して痛かった。知ってるよ。だって俺が及川の背中を押したんだから。
「で?」
「で? って……」
「お前は何を求めてるわけ? 付き合えば? って言えばいいのか。それとも、付き合うなって言ってほしいのかよ」
膝を抱えながら体を丸めた悠月はいつも以上に小さく見えた。
「好きなんだろ? 及川のこと。答えは決まってんだろ」
「で、でも……」
「でもじゃない」
風になびく悠月の髪をぐしゃぐしゃと掻き混ぜながら頭を撫でる。ぐりんぐりんと豪快に撫で回すと、あわあわ言いながらやめてよ、と抵抗するために俺の腕を掴む。その手の小ささに、少しだけ違和感を感じた。いつの間にか、身長差も開き、手の大きさも随分と変わった。昔と変わっていく。
「幸せになれよ」
「なにそれ、結婚式に送り出すお父さんみたい」
「うっせ」
クスクスとようやく笑った悠月。それに釣られて口角が上がるのが分かった。ぐりんぐりんと頭を揺らして、仕上げに軽く突き飛ばすようにして頭を開放してやる。頬を桃色に染めた悠月が、頭に手を当てて嬉しそうに笑うのを見て、心がポカポカとした。
◇◇◇◇