ある皇帝の叙情詩


「そんなに術研の関係ばっか手を出すと、色々他から言われるわよ?」

「でも、術研究所設立も歴とした公務だし…」

「他の部隊がどう思う?『これだから魔術師出身の皇帝は…』って。あんたのお祖父ちゃんのことだって、悪く言われるかもしれないわよ」

祖父・レグルスは術研究所を立ち上げるプロジェクトの責任者をしている。
それはアメジストが皇帝になるより以前からのことではあるが、彼が孫の権力を術研のために行使しているなどと言われる可能性だって、無くはない。

「特に重装歩兵部隊の連中は、予算繰りその他諸々でうるさく言うわよ。装備品に金かかるし、魔術士嫌いの人間も多いから」

「そんな、ウォーラスさんはそんなこと…」

「あのくらいの人になってくれば、別格よ。もっと下の連中のこと。自分たちは最前線に出てるんだって、変なプライドがあるんでしょ。
あたしたち猟兵だって、『飛び道具は卑怯だ』とか訳の分かんない言いがかりつけられるんだから、もう最悪!
それに、ルイ辺りが『壁役のくせに』とか言い返すもんだから、決闘だなんだってうるさいのなんの…」

「あの、その…喧嘩は良くないわよ?」

そんなことを言われても、アメジストにはどうしようもない。
アグネスは「そんなこと、子どもでもわかるわよね」と肩を竦めた。

「ま、気にしないで。そのうち収まるだろうから。下っ端の小競り合いなんか、上の人間が気にすることじゃないわよ」

「…うん」

一度気に掛けてしまったことを、今更気にするなと言われても難しいが。

アメジストはため息をひとつ、ペンを置いた。

「あら、あたしのことなんか気にしないで、続けてて良いのよ?」

「ううん、良いの。インクが切れちゃったから、今日はここでお終いにする」

殆ど底をついてしまったインク瓶に蓋をして、アメジストは立ち上がった。

「いずれにせよ、インク必要でしょ。あたしの予備持ってこようか?」

「大丈夫、急ぎの写本じゃないから。それに、このインクじゃないと落ち着かないのよ、私」

特別製というわけでもないが、アメジストが愛用しているのは下町の専門店で買ったものだった。
他のインクに比べてのびが良く、にじみが少なく書きやすい。魔術士になる以前からの、アメジストのお気に入りである。

「それじゃ、あたしが買ってきてあげよっか。どうせこれからルイと呑みに行くし」

「ありがとう、でも平気よ。たまには息抜きに、自分で買いに行くから」

幸い、宮殿から比較的近い場所に、その店はある。アメジストが自分で買いに行くには、ちょうど良い距離だ。
アグネスは「そう、わかった」と言いつつも、どことなく心配そうであった。

「ジェシカ辺りに、一緒に行って貰いなさいよ。仮にも皇帝陛下が、一人で街中歩くなんて、不用心だからね。あんた、頭良いくせに抜けてるんだから」

「ありがとう、そんなに心配しなくても大丈夫よ」

そんなに、自分は危なっかしいのだろうか?アメジストは心の中で呟いたが、答えなど出るわけがない。
少なくとも自分では、そんなに心配をかけるようなことはしていないつもりなのだが。

いずれにせよ、皇帝という立場になれるには、まだ時間がかかるのだろうか。

―むしろ、精神的に「皇帝」になることなど、永遠に出来ないのかも知れない。

そんな不安が、まだ若い"皇帝"の頭の中をよぎった。

2/21ページ
スキ