ある皇帝の叙情詩


「あっ、メッサじゃん!」

カウンターの上に座っていたクロウが、パッと顔を輝かせる。

「久しぶり!オレに会いに来てくれたの?!」

軽々とそこから飛び降り、アメジストに飛びつこうとする。

それをジェシカが「無礼者!」と止めようとして…その前に、彼の姿が消えた。
一瞬のことで、何がなんだか分からなかったが…紫色の髪の女性が、目の前に立っている。

そして、その足下に…むしろ、痛そうなヒールのサンダルの下に、踏みつぶされているクロウの姿。
一瞬のことで、アメジストにはわからなかったが、ジェシカは確かに目で捕らえていた。

離れた場所にいた彼女が、遠くから凄まじい跳び蹴りでクロウを沈めたところを。

「このおバカ!!あんたって子は、お客様に対してなんて馴れ馴れしい態度を!!」

「痛い、痛いってばビーバー姉!!だって友達だし!」

「寝言は寝てから言いなさい!皇帝陛下に対して、なんて失礼な態度を…」

いきなり目の前で跳び蹴りをかますことが、失礼ではないのか…アメジストには分からなかったが、とりあえず彼女が、クロウが言っていたシーフギルドの副頭目・ビーバーなのだろう。

「あの、そのくらいにしてもらえませんか?私、クロウとは本当に友達なんです」

怖ず怖ずと言い出すと、グリグリとヒールでいじっていた足が、ふと止まる。
その隙に、クロウは飛び起きた。

「だから言ったじゃん、メッサとは友達なんだってば!」

「だから、その態度が馴れ馴れしいって言ってのよ!皇帝陛下の御前でしょうが!お里が知れるわよ」

「えっ?皇帝陛下?」

ぎょとんとしてクロウが小首を傾げる。
今まで黙っていたことが後ろめたいアメジストは、ますます恐縮してしまった。

「…だってビーバー姉、今の皇帝は二十歳の術士だって言ってなかった?この子、どう見てもオレより年下っぽいけど?」

と、指さしたのはジェシカの方。
それに本人は、「どう見ても年下ってなんですか?!」と声を上げる。

「だって、お嬢さんまだ13歳くらいかと…」

「し、失礼な!!これでも16歳です!」

「えっ、マジ?いや、でも年下には変わりないじゃん。
ってか、術士じゃないでしょ?足音が、明らかに武術やってる人間の足取りだったし」

ドアを開ける前の足音を、聞き分けていたというのか。
アメジストは驚いたが、そんなことはシーフギルドでは当たり前なのか、特にそのことに反応した人間はいないようだ。

幼く見られたジェシカは、未だ不服そうではあったが、わざとらしく咳払いをした。

「わたしは直属部隊の軽装歩兵・ジェシカ。皇帝ではありません。
そしてあなたが先ほど飛びつこうとしたこちらのお方こそ、第5代バレンヌ皇帝・アメジスト陛下です」

紹介されて、クロウは「えっ?」と目を点にする。
アメジストは、居たたまれなくなって「今まで黙ってて、ごめんなさい」と勢いよく頭を下げた。

「あのね、その…騙すつもりはなかったの。でも、久しぶりに自分が皇帝であることを知らない人と出会って、話ができて…嬉しくって。
同時に怖かったの。私が皇帝だと知ったら、こんな楽しさも離れていくんじゃないかと思って…。だから、言えずにいて。ごめんなさい、本当に」

すべては、自分の勝手な思いのせい。
アメジストはそう思っていたが、クロウはただ、彼女の手を取った。

「謝ることないよ。というか、オレ騙されたなんて思ってないし、メッサが誰であったって、オレは友達だと思ってる。
それにさっき、メッサはオレのこと、友達だって言ってくれただろ?オレにとっては、それ以上の関係はないんだから、それで良いんだよ。
だから、もう謝らないでくれって。な?」

明るい笑顔でのぞき込まれて、心の中に残されていたわだかまりが、すっと消えていく。
アメジストは静かに頷いた。

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