ある皇帝の叙情詩


カリカリと、羽根ペンを走らせる音が響く。
巨大な石造りの机には似合わないほどに縮こまって、アメジストは黙々と写本をしていた。

木製の、それも安定の悪いボロボロの机で作業をするのが普通であった頃からしてみれば、この豪華すぎる華美な机はどうも落ち着かない。
冷たい板に体中の熱を持って行かれるような気がして、むしろ気味が悪かった。

それでも、この皇帝執務室の他に、彼女が1人になれる場所はない。
自室の机は、写本をするには弱冠手狭であり、以前使っていた術研究所準備会や図書室へ行こうものなら、「もったいない」と言われて恭しくもてなされてしまう。

仕方がない。今のアメジストは、第5代バレンヌ皇帝―バレンヌ帝国を治める女帝なのだから。

「ちょっとアメジスト、入るわよ!」

いきなりドアを開け放たれ、ずかずかと入ってきたのは、すみれ色の髪を高く括った女性。
名前をアグネスという。

バレンヌ帝国軍に所属する猟兵ではあるが、今はオフなのか、はたまた仕事上がりなのか。
鎧などは一切着ておらず、随分とお洒落な格好である。

それに引き替え、皇帝とはいえ地味な魔術士のローブを愛用しているアメジストの方が、華やかさに欠ける。
長い黒髪は艶やかで、顔立ちも悪くはない。

しかし、皇帝らしからぬ遠慮がちな態度は、どことなく小動物のようなか弱さを見せ、「近くが見えにくいから」と書類を扱う時のみ掛けている厚ぼったい眼鏡は、どうにも野暮ったく見える。

実際に、必要以上にはきはきしているアグネスとは対照的に、アメジストは自己主張の少ない人間だった。
こうして慇懃無礼に彼女が入ってきた事に、特に反応を示すわけでもなく、一瞬顔をあげて「あらアギィ、どうしたの?」とだけ言って、また作業に戻ってしまう。

そんな皇帝―いや、無二の親友の態度に、アグネスはわざとらしくため息を吐いた。

「執務室に籠もってるっていうから、何してんのかと思えば、また魔導書の写本?まったく、不健康なんだから」

「…これが一番落ち着くから」

こんな細かい字を延々と書き続けることの何が面白いのか、アグネスにはさっぱり分からない。
ただ、この写本作業がアメジストの数少ない趣味であることは、十分に理解しているつもりだった。

特に、継承法により図らずも皇帝となってからは、アメジストの自由は著しく減った。
公務の合間にできることなど、数が限られる。

そんな親友を立場を、アグネスは不幸とは思わないが、間違いなく不自由だろうなと察している。
こうして顔を出しに来るのも、少しでも気が紛れるならと思うからだ。

アメジストとしても、この親友の存在を非常にありがたく思っている。
その引っ込み思案とも言える性格のせいか、それほど友だちも多くない。

両親も早くに亡くしており、頼れる身内といえば祖父のレグルスくらいであった。
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