鋼玉の透明度
「でも、無駄なことじゃないと思いますよぉ。
シャーリーさんが、言ってましたから。
『指先なんて、1日に一番何度も見るのは、他でもない自分自身でしょ。だったら、綺麗にしてた方が、断然元気が出るじゃない』って。
目に付くところから、コツコツと、ですよ。自分のことは、自分自身が大切にしてあげなきゃいけませんよ」
そう言って、メアリーは爪を削り終えた左手を、指の付け根から丁寧に揉みほぐす。
…きっと血の巡りがよくなったせいだろうが、彼女に触れられている手がますます熱を帯びてきた。
「いいって、そんなもんで!!」
「遠慮しないでくださぁい。労ってあげないと、手が可哀想ですよぉ」
だからなんだよ、可哀想って。
オレの気も知らず、メアリーは先ほど爪を切り終えた右手も、丁寧に揉み始めた。
「これだけのことでも、ずっと手が元気になるんですよぉ。
心がいくら頑張れても、身体が疲れちゃうことだってあるんです。無理しちゃダメですからねぇ」
「大丈夫だって、オレまだ若いんだからっ!!」
「ダメです。リチャード兄様も、昔ライブラ兄様に怒られたんですよ。
『何事も気合いと勢いでなんとかなると思ったら、大間違いです』って」
…なんか、その情景が自然と目に浮かんだ。
一国の皇帝相手に、そんなことを言ってしまう辺りが、ライ兄の恐ろしいところだ。
そしてそのライ兄曰わく、オレの血の気の多さは、一昔前のへーかにそっくりらしい。
だから、気に入ってくれたんだろう。
ライ兄も、へーか自身も、それにこのメアリーも。
「はい、できましたぁ!もうすぐライブラ兄様も、帰ってくるでしょうから、もうちょっと頑張ってくださいね。そうしたら、すぐ晩ご飯にしますから」
「あ、あぁ…。ってか、わりぃな。忙しい時に、余計な手間かけさせて」
「良いですよぅ、このくらい。それに…本音を言えば、ちょっとお姉さんぶってみたかったんですよねぇ。
この家に、私より年下の人がいることって、今までありませんでしたから」
そう、メアリーは「てへっ」と笑い、ちょっとだけ舌を見せた。
…なんだろう、この生き物は。可愛いなにかとしか思えない。
というか、メアリーがオレより4歳も年上であることを、今の今まですっかり忘れていた。
「それじゃあ、ご飯の支度ができたら、呼びにきますねぇ。
…そうそう。それと、人に嬉しいことをしてもらったら、『悪い』じゃなくて『ありがとう』ですよ」
「あっ、あぁ…。ありがとう、メアリー」
ほんの少しどもったが、メアリーはそんなことは気にならなかったらしく、「はい、どういたしましてぇ」と満足げに頷いて、部屋から出て行った。
…なんなんだ、あれは。
正直なところ、メアリーのことがわからない。
傭兵の世界に男も女もないし、ましてや大した身分ではないとはいえ、紛うことなき貴族のお嬢さんなんか、いるわけがない。
でも、メアリーについては、男とか女とか、年上とか年下とか、そういう次元じゃない。
今まで、自分がこんなに挙動不審になるような存在を、オレは知らなかった。
なんなんだ、この落ち着かなさは。
それでいて、なんとなく癒されるようなこの感覚は。
…ずっとモヤモヤしていたが、現実として時は過ぎ、遅々として課題が進まないまま、ライ兄が帰ってきた。
結局オレは、ノルマ半分程度の成果だけ上げて、案の定「明日もまた来るように」とキッパリ言い切られる。
正直ヘコみはするが、どこかで喜んでいる自分がいた。
【Fin】