古びたオルガンの見る夢の
ミアが寮に帰り、学長とグスタフが最後の事務的な打ち合わせのために学長室へ戻った後。
もう一度オルガンを確認していく、という名目で残ったアデルは、右手の手袋を外し、黙ってテオに差し出した。
それで全てを察したテオも、黙って自分の手を差し出す。
手のひらを通じて、互いの霊力が通い合う。
アデルは閉じていた目をそっと開いて、【視た】。
「そちらにいらしたのですね、マートル先生」
オルガンの隣に立つ、高齢の女性。
ハッキリと自分を認識していることに、彼女は驚いたようだった。
「ご挨拶が遅くなって、申し訳ありません。王立精霊学研究所所長、アデルハルト=フォン・フレムトモルゲンと申します」
《まあ、こんなおばあさん相手にご丁寧に……。随分長くここに居るけれど、こんなにしっかり私を視て下さったのは、貴方が初めてだわ。不思議な方ね》
「いえ、僕自身の能力ではなくて……弟の目を、借りているのです。僕だけでは、肉体を持たない存在を【視る】ことはできません。弟の“銀眼”を、霊力を介して使わせてもらっているだけです」
ぺこり、と小さく頭を下げるテオ。
どう見ても実の兄弟には見えない2人だが、マートル先生と呼ばれたその女性は、掌を介して霊力を共有しているその関係性を、理解出来ているようだった。
「僕でも、雰囲気だけは察していました。どなたか、
オルガンのことは、人間の手によるものだろうと思っていましたが……ミアさんがここを出るまでの時間稼ぎに、正面のドアを開かなくしていたのは、先生、貴女ですよね?」
《えぇ……基本的に、生徒のやることには関わらないことにしているのだけれど、あまりにもあの子が一生懸命だったから……。むしろ、そのせいでかえって事を大きくしてしまったようで、申し訳なくもあるのだけれど。
このオルガン、誰も弾かなくなってしまったことで、可哀想だとは思っていたの。寄贈されてからずっと、つい数年前までは、定期的に職人さんが来ていたのに。あの子の一生懸命さを応援したくて、つい》
「じゃあ、マートル先生は、ずっとこの学校に居たの?50年もの間、ずっと?」
テオの疑問に、マートル先生は《えぇ、ずっと》と微笑んだ。
《生徒たちは、勝手なことを言ってたでしょう?私が、帰る家も嫁ぐ予定だった家も無くなった、可哀想な女性だったと。確かに、そうだったのかもしれない。
でもね、私はただ、この学校が好きなの。生徒だった頃から、先生になってもずっと。笑顔があって、仲間がいて、辛いことがあっても助け合って。だから、自然に反してでも、まだまだここに居たかった。この魂がすり切れるまで、ずっとここで、学校のことを見守っていたかった。それだけのことなのよ》
「……若い女性は、比較的霊力の高い人が多い。希に、先生の存在を感じ取る生徒がいて、それが噂話になって伝播し、『可哀想なマートル先生の幽霊』というイメージを作り上げてしまった、ということですね」
《えぇ。きっと生徒たちも、本当に私がここにいるとは思っていないでしょうけどね》
そう、上品に笑うその姿に、アデルは事情を理解した。
おそらく、彼女は生前から霊力が高く、その強い意志もあって、自然に反し、その魂を現世に残すことを、自分で選んだのだ。
ここまでしっかりと、生前の人格と意識を保っている霊は珍しい……だからこそ、「
アデルは、彼女への敬意を込めて、ゆっくりと膝を折った。
「先生の意思は、僕が確かに聞き届けました。でも、この後もしも、この世界にいることが辛くなったら……その時は、このオルガンを鳴らして下さい。精霊術士の友人と共に、すぐに参ります」
『霊力がすり切れるまで』という表現から、その覚悟を察したアデルに、先生は穏やかに《ありがとう》と礼をした。
《貴方を見ていると思い出すわ。あれはまだ、私が生きて先生をしていた頃……60年くらい前になるのかしら?今日のように、生徒たちが黄色い声で騒ぎ立てるのを、静かにしなさいと叱ったことを。
あの時いらしたのは、貴方と同じ綺麗な金髪の、この国で最も美しい方……当時の王太子殿下。後のヴォルフラム二世陛下。貴方は、あの方によく似ていらっしゃる》
「……祖父です、母方の。僕は亡き母に生き写しだとよく言われて、母は祖父に似ていたそうなので。僕が生まれる前に亡くなっているので、会ったことはありませんが」
《やっぱり。血縁の方だろうと思ったわ。しがない商家の娘であっても、フレムトモルゲン公爵家のことは存じています。陛下の、お孫様だったのね》
「……つまり、兄貴が女の子にキャーキャー言われるのは遺伝だった、と。そりゃ逃げられないわけだ」
「余計なお世話だ」
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