関連用語集

【廃位政変】
帝政初期の5代カプリコーン帝治世で発生した”皇帝廃位“とそれに至った経緯の総称。

伝承法により即位していながらレオン皇統の流れを組むこともあり、伝承法以前の皇帝中心の政体を志向したカプリコーン帝と、
伝承法を前提とした国務会議体制を維持しようとする術士タウラスが対立。


”冥王の書”取得を優先しコムルーン島噴火で島民を見殺しにした責任を問う形で議長が皇帝の責任を追求。
近衛軍団を除く国軍の過半も国務会議に組する動きを見せたことから、内戦を危惧したカプリコーン帝が最後に国務会議の退位勧告を受け入れて決着した。


帝国史上、皇帝に対して臣下(国務会議)からクーデター同様の手法で退位勧告を行った唯一の例であり、自発的な退位と区別する形で“廃位”と表現している。

本政変を通じ、創設から日の浅い国政の最高機関たる“国務会議”抜きの帝国運営が困難であることが広く認識された。

国務会議自体を無視して国政を行うことが相応のリスクを伴うことを歴代皇帝や自治領は念頭に置くようになり、会議権力との拮抗・並立や補佐機関としての活用を経ながらも、結果的に臣権(国務会議)と帝権の共存が既定のものとなっていく。


なお皇帝廃位を主導する形になった2代議長タウラスは長らく“逆臣”的な扱いを受けてきたが、
共和国成立以降は師である初代議長アリエスの改革を一過性のものにすることなく国務会議体制を磐石にした功労者として再評価されている。




【”アバロンの晩鐘“事件】
帝政中期の14代オニキス帝治世で発生した帝都アバロンで発生した騒擾事件。

当時帝国臣民として権利保護が不十分だった多数の”異種族“が皇宮に向けて請願行為を行った際、同請願を国務会議が反帝国暴動と見なし皇帝オニキスも鎮圧を認めたことで、近衛軍団により多数の逮捕·死傷者を出す結果となる。

本事件ではー説に国務会議内の改革の芽を摘もうとする保守派の暗躍も指摘されている。

事件後に副議長ライブラが巻き返して議長や保守派の一部閣僚を辞任に追い込み、
議長任命後は保革同数になるよう改革派閣僚を増やしたことで以後保革の政争が激化していくことになる。


事件時の請願参加・同調者は長らく”反帝国の逆賊“として扱われたが、16代ポール帝治世下における歴史見直しに伴い
”請願行為は平和的行為で、反帝国暴動ではない“と再評価され、
”請願参加・同調者は種族間差別の撤廃に尽力した時代の先駆者“として逆賊の汚名も公式に取り消された。




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