関連用語集

【皇后、摂政、副帝】
“皇后”は皇帝の公的な配偶者であり、正室を意味する地位だが、伝承法による帝位継承では血縁より能力を優先するため、継承上“皇后の産んだ皇子”の必要性は極めて薄く、皇后冊立は2代ジェラール帝以降4例しかない。

その他の皇帝は妻や恋人を有していたが、皇后として冊立していない。


皇后冊立時は古王朝時代の格式を準用し、皇宮内大広間で皇帝が戴冠後は、皇帝の玉座の1段下に寄り添うようにして玉座が新たに設けられる。

儀式・行事には皇帝と共に参列し、皇帝不在時は代行を務めるが、具体的な職務については明文化されていないため、その範囲は時の皇帝の考えにより左右される。


“摂政と副帝”は、皇帝の代行を意味する地位だが、こちらは皇后以上に慣例・明文化されたものではない。



数少ない皇后冊立者として著名な人物には10代ベア帝の皇后ジャンヌと、
16代ポール帝の皇后ウィーゼルがいる。

皇后ジャンヌはベア帝が彼女の政治家としての能力を見込んで即位と合わせて皇后に冊立しており、ベア帝治世前半は夫の補佐役や不在時の代理をこなした。
だがベア帝が大病を煩い半身不随になった時にジャンヌへの譲位を望んだが彼女が辞退したため、“夫の全快まで”という条件付きで(結果的に7年近くに及ぶ)“摂政”指名を受け入れさせた。

ジャンヌは国務会議議長に軍師シゲンを指名して軍への押さえ役や高所からの助言役を託しつつ、自ら前面に出て国務を総覧した。
この間、元帥制度・方面軍管区態勢の創設や叙勲制度の改正等が行われている。
彼女はベア帝臨終時の譲位も重ねて辞退し、夫崩御後は“単なる皇太后”として新帝即位を見届け表舞台を去っている。



皇后ウィーゼルもジャンヌ同様に結婚直後に夫から皇后に冊立され、こちらは終始皇帝の補佐役や不在時の代理に徹している。
特に皇帝不在時の代理として夫の意志を踏まえながら重要案件を的確に処理する姿は、時の国務会議議長をして、

『極めて英邁であられ、共に国政を語れる御方』

と言わしめ、後世“賢后”と謳われた。



“副帝”は16代ポール帝が自身の即位50周年を期して、皇子ベリサリウスを指名した際の称号であり、独自の副帝旗や、少数ながら直属の側近団(ベリサリウス軍団)を有した。

これには重要案件を除く国務を委任することで経験を積ませる意図があった。
そのお陰もあり副帝期間を通じた実績と存在発揮が父帝崩御後の(世襲となる伝承法による)円滑な即位を可能にしている。





【2大皇統】
レオン帝の治世から世界統一後の共和国成立までの間、伝承法による能力重視の帝位継承の中にあって、(結果的に)皇帝を多く輩出した2つの血統、すなわち“レオン皇統”と“ポール皇統”のことを指す。


レオン皇統は古王朝以来の帝室の流れを組み、由来となった初代レオン帝以外に、

2代ジェラール帝、3代ヘクター帝(一説にレオンの庶子)、5代カプリコーン帝(帝室の傍流)、20代オイゲン帝(最終皇帝、レオン長男ウィクトールの子孫)

を輩出している。

特に帝政初期には能力重視の伝承法よりも、血統重視の世襲の考えが根強くあり、

実際に伝承法で即位したカプリコーン帝が皇統による継承を志向した結果、伝承法を前提とした統治を目指す国務会議と対立し、最終的に皇帝廃位(世にいう『廃位政変』)を経て、国務会議と帝権の並立そして伝承法による帝位継承が既定路線となる。

以後伝承法の限界の観点から最終皇帝が即位するまで、レオン皇統から皇帝は即位していない。


ポール皇統は、カンバーランド王国出身の16代ポール帝を始祖とする“外来王朝”であり、ポール帝以降、

17代ベリサリウス帝(ポール帝長男)、18代サジタリウス帝(ベリサリウス帝長男)、19代フリードリヒ帝(サジタリウス帝長男)

を輩出しており、ポール帝の直系が4代連続して即位することで成立する。

これはポール帝以降婚姻により直系子孫が産まれたこと、当初は血縁よりも能力を重視した結果により衆目の一致する後継者が血縁だったこと等の理由による。


ポール帝は子息ベリサリウス帝を副帝にして経験を積ませ、またベリサリウス帝もサジタリウス帝の補佐に娘ディアネイラを配する等能力前提の継承処置を行っているが、

サジタリウス帝逝去直後にディアネイラが抵抗勢力を力で排除したことで、能力の有無ではなく血統を理由にサジタリウス帝の子息フリードリヒが即位している。


結果としてポール帝の威信と歴代皇帝の配慮と努力が、能力重視の伝承法による世襲を成立させたことになる。


以上、2大皇統はそれぞれの始祖である“大帝と国父”の名と共に帝国史上に記録されるが、それらの対比として世襲を伴わない4代から15代皇帝の時代を“無皇統時代”と呼称することもある。

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