ラビットがライト向けと言い張る歴史同人誌〜マグやんを添えて〜

『無題』

あいつに出会ったのは、殆ど知らない土地で、会う人会う人に「この度は…」と目を伏せられることに、ほとほと飽きてきた頃だった。

俺の立場は「急逝した先帝の親族」以外の何者でもなく、俺がヤウダで築いてきた名誉も実力もなにも、このアバロンには存在していない。しかし、大叔父上のことを知らない人間は、それ以上に存在しない。
故人を悼んでくれることは、身内としては嬉しかったし、他ならぬ大叔父上もそう思っていただろうけど、王宮という緊張感の必要な場所で、緊張感をもって接せられるのも、なかなかにしんどい。
とはいえ、自分の使命は果たさねばならない。俺が家の代表としてここに居るのは、大叔父上の遺品を整理して引き上げるためだ。

「こちらでございます」

案内されたのは、王宮の最上階の、奥まった一室だった。
歴代皇帝が、プライベートルームとして使っていた部屋だそうで、俺も数年前、ただの姪の息子という立場で入ったことがある。

「ありがとうございます。あの、大分時間がかかると思うので、しばらく部屋を使わせてもらいますけど、いいですか?」

「もちろんです。なにかご入用でしたら、いつでもお声がけください」

そう、女官さんが静々と去っていく。ようやく1人になったことで、俺は大きくため息をついた。

大叔父上の部屋であり、歴代皇帝の部屋。
それは、どこの、誰の代からここにあるのか分からないものの寄せ集めで、歴代皇帝のプライベートが少しずつ積み重ねられているような気がした。
螺鈿装飾の硯箱や、壁に立てかけられた刀…この辺りは間違いなく、大叔父上の私物だろう。手をつけなければ進まないのは分かっていたが、下手に開けると、他の皇帝の大切なものを暴いてしまいそうな気もして、結局気を遣う。

とはいえ、既に次の皇帝が即位している。いつまでも部屋を占領し続けるわけにもいかない。
俺が意を決して引き出しに手をかけると、どこからか隙間風を感じた。
よく見れば、隣の部屋へのドアが、ほんの少し空いている。
隣がなんの部屋なのかは聞いていないが、おそらくはプライベートルームの続きだろう。
少し気になった俺は、その中途半端なドアをそっと開けてみた。

そこは恐らくは、皇帝の私用の書庫だった。
大して広くはないが、天井まで伸びる書架には、古めかしい本がぎっちりと詰め込まれている。

そして、その一角…書見台と思しき場所に、台に突っ伏して寝こける人間がいた。

品の良い白いシャツの腕と、長い銀髪…近づけば、その凄まじく整った顔立ちくらいは伺えた。
眠れる森の美女、というか、眠れる書庫の王子…いや、その正体を知っている人間からすれば、「皇帝」と称するだろうが、まるで1枚の絵画かのように、あいつはそこに存在していた。

そして、隙間風の正体は、この部屋の窓が僅かに開いていたからだと気づく。
今は12月だ。このままだと風邪をひく。
ごく普通のヤウダの羽織だが、無いよりはマシだろう。俺は自分の腕から抜いたそれを、そいつの肩にかけた。
本来なら、ちゃんと起こして暖かい部屋へ行かせるべきだったのかもしれない。
しかし、気持ちよさそうにうたた寝していたならともかく、その寝顔はどこか切なげで…まるで、何かに縋るように、投げ出したその手はギュッと握り締められていた。

もしかしたら、こいつは泣いていたのかもしれない。
誰にも知られない、悟られない場所で、ひっそりと。
なんとなくそんな気がして、俺にできるのはここまでだ、と思った。


それから、意を決して引き出しを開けて、大叔父上の私物らしきものを、壊れないように包みながら、箱にしまった。
刀剣類は、船に乗せるのに特別な許可がいる。その申請の為の書類やらなんやら、やればやるほど作業が増えて、どう考えても1日じゃ終わらない。
冬の日が沈むのが早いのは、ヤウダもアバロンも同じだ。いつの間にか、窓の外はすっかり暗くなっていた。

今日はここまでにしよう。
そう区切りをつけ、案内してくれた女官さんに一声かけて、俺は王宮を出た。

さすがに真冬だ。生まれ育ったリャンシャンも、チカパ山からの吹き下ろしで、冬はかなり寒いが、アバロンの大都会の隙間を縫う風も、ずいぶんと冷たかった。
「寒っ」と無意識に呟いたところで、羽織を置いてきたことに気づく。
まぁいいか。どうせ明日もまた来るのだし、わざわざまた許可を取って、最上階まで戻るのも面倒だ。

上の外套は着ているし、すぐそこの宿まで帰るのに、耐えられない寒さではない。
とっとと帰ろう…そう思って、心なしか足早に、広い庭を抜けようとした時だった。

「待って」

後ろから声をかけられ、振り向くと、そこにあいつが立っていた。
この寒空に、例の品のいいシャツ1枚で。

「これ、君のだろう?」

そう差し出した手には、俺の群青色の羽織があった。
わざわざ、俺を追いかけてきたのか。ほんの少し上がった息が、ハッキリ白く見えた。

相手は皇帝だ。どう返事をすべきか少し悩んで、向こうも年上のこちらに対して敬語ではないし、いいかと思い、普通に「わざわざありがとう」と手を出した。
受け取る瞬間、ほんの少し触れた手が冷たくて驚いたが、あいつは「こちらこそありがとう、おかげで久しぶりによく眠れた」と小さく微笑んだ。

大叔父上の急逝、すなわち新帝の即位はほんの2週間ほど前。
もしかしたらそれ以降、この男はまともに眠れずにいたのかもしれない。
そう確信したのは、俺が「陛下のお役に立てたなら、なにより」と少し冗談めかして言った時、あいつが僅かに顔を曇らせたからだった。

男に対してこの表現もおかしいのかもしれないが、あいつは「儚げ」という言葉がよく合った。
少なくとも、その時には。
まるで、触れれば壊れる雪像のようだった。

俺の知っている皇帝は、大叔父上ひとりで、比べようが無い。
だが少なくとも、俺より少し年下のこの男の肩には、【皇帝】という衣はあまりにも重いのかもしれない。

「…あんた、名前は?」

その時なんで唐突に、そういう切り出し方をしたのかは、自分でもよくわからない。
案の定、向こうも「えっ?」と目を丸くしている。

もちろん新帝の名前は、とっくに世界中で報道されている。
あいつは念を押すように、「僕の名前、知らないわけがないよね?」と訝しがった。

「…俺はトシ。正しくはトシアキだけど、家族と友達はみんなトシって呼ぶ。だからトシでいい。
あんたは?俺になんて呼ばれたい?」

捻り出した言葉は、そんなものだった。
今思えば、ヤウダには言霊信仰がある。名前の持つ力は絶大で、全てのものは名前によって縛られ、支配されているという考え方だ。
その時はそこまでは考えてなかったが、俺はあいつを、あいつの望む形で定義したかったのかもしれない。

もちろん、俺自身も気づいていなかったその意図に、あいつが気づいたわけはないだろう。
でも、ほんの僅かな空白の後に、小さく「フェリックス」と呟いた。

「正しくはフェリシアン・ジェラール…でも、母は僕をフェリックスと呼んだ。だから、僕はフェリックスだ」

「そうか…よろしく、フェリックス」

羽織の下から、改めて手を差し出すと、あいつは遠慮がちにその手を取った。
相変わらず冷たい手で…でも、口元は小さく笑っていた。目が濡れているのには、気づかないふりをした。

この時はまだ、ろくに戦えなかったその綺麗な手…俺は二度と、この手を離してはいけない。
漠然と、何故か、そんな気がしていた。


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