最初の盗賊、最後の皇子。



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シティシーフという組織については、その起こりすら曖昧ではあるが、ジェラール帝時代に行われたヴィクトール運河奪還の際、協力関係にあったという記録が残る。

更に遡ると、旧王朝時代である950年頃に、やはり皇帝に直接使えた密偵の存在を記す資料もあり、これが後のシティシーフの原型ではないかとも言われる。


運河要塞の攻略以降、皇位がジェラール帝からリチャード帝へ移る頃には、正式な国家記録から"シティシーフ"の名は見られなくなった。

組織が改めて帝国と協力体制を敷いたのは、更に30年ほど後、アメジスト帝の時代である。


シティシーフの構成員は、時に密偵として、時に戦士として、皇帝の力となったという。


直属部隊員として名を残す者だけでも、

アメジスト帝代のクロウ。

キャサリン帝代のロビン。

タンクレッド帝代のスラッシュ。

シュウサク帝代のフォックス。

彼らは、皆シティシーフ組織から出向していたと言われる。


もちろん、部隊に加わらずとも、活躍していたシティシーフはこの限りではない。


ならば逆に、ジェラール帝時代末期から、アメジスト帝即位までの間、何故彼らの存在が全く表に出なかったのだろうか。

ジェラール帝の代行とはいえ、運河要塞攻略の実質的指揮官であったリチャード帝が、彼らの有能さを知らない筈がなく、それはこの作戦当時からの戦友であったフリッツ帝にとっても同じことである。

それについては、当時のシティシーフ頭目と、リチャード・フリッツ両帝の間で何らかのすれ違いが発生していたというのが、一般的な説である。


また、異説としては、リチャード帝には、シティシーフ組織に属する恋人が居り、その存在を秘匿するために態と組織との距離を置いていた、とするものもある。

しかしこちらは、リチャード帝が生涯独身であったこと、両親が貴賤結婚であったことから、彼もまた身分の低い人間と親しい仲にあったのではないかという、諸々の条件から生まれた推測が、独り歩きをしたものであろう。


帝国の歴史を支えたと言っても過言ではないこの組織は、あくまでその内部をひた隠しにしたまま、今なおどこかで存在しているのかもしれない。


【バレンヌ共和国 伝承皇帝史研究会】




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