最初の盗賊、最後の皇子。
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普段は軍の軽装歩兵隊寮で寝泊まりしているリチャードだが、今日は宮殿の自室に引っ込んだ。
城の全てが公の場ではないとはいえ、国民にとって中心的建築物に私室があるというのは、どうにもこそばゆい。
とはいえ、久々に祖父とお茶をし、そのまま晩餐まで付き合うこととなり、さらについでに城の大浴場で湯浴みまでしてしまっていては、街はとっくに眠りにつく時間である。
今更寮へ戻る気にもなれず、城の従者に「ベッドのシーツは取り替えておきましたので」などと言われては、今更帰るのも悪い。
「(久しぶりだな、この眺め…)」
自室のバルコニーにて手すりに寄りかかり、リチャードはため息を吐く。
広い広い城の中庭…よく手入れされた花々が、月明かりと警備の明かりに照らされ、暗闇の中に浮かび上がっている。
そう言えば、リチャードにとっては見慣れたあの中央の噴水も、作られたのはほんの百年前だという。
ちょうど、シティシーフの礎を作ったというジュリアン帝の時代だろうか。
今でこそ、街中にも噴水は存在しますが…当時はここまで水を引くというのは恐ろしく発展した技術であり、水を城内に呼び込むというのは一種の権力の象徴だったのですよ…そんなことを教えてくれたのも、アリエスだったかもしれない。
今となっては朧気な、父の記憶…その断片が、あの中庭にある。
暑い夏の日。
水辺で戯れる幼い自分と、それを見守る父の笑顔。
礼拝堂から聞こえてくる、母の弾くオルガンの音…。
…そこで、記憶は途切れている。
父が亡くなったのは、リチャードが6歳の時だ。
思い出せないのも無理はないが、それがどことなくもどかしい。
「どこに置いてきちまったんだか…俺の、"家族"ってのは」
「案外、近いところにあるかもね」
「そうか…っておいっ!!」
呟きに近い独り言に返答があり、リチャードは勢いよくそちらを振り返った。
気づけば、隣のバルコニーの柵にちょこんと座り、キャットが足をぷらぷらとさせている。
「キャット、おま…なんでここに居るんだよっ!!」
「なんでって言うか…あの部屋に入れるってことは、城壁伝ってここまで来るくらい、訳ないじゃない」
彼女の身体能力からすれば、そうなのかもしれないが…ここは、建物の3階である。
警備の人間は何やってんだ…いや、彼らは充分に働いている。相手が悪すぎた。
リチャードはそう思うことにして、やりきれない分はため息として吐きだした。
「それはともかく、なんでこんな中まで来たんだよ…。まさか、何か盗もうとして来たわけじゃないだろうな?」
「そんなわけないでしょ。たまたまよ。
夜のお散歩がてら、この辺をウロウロしてたら、あんたの姿が見えたってだけよ」
道楽で、夜中に屋根の上を走る趣味があるのは、お前の方じゃないか。
そんなリチャードの心の声を知ってか知らずか、キャットはリチャードのいるバルコニーへひょいと飛び移った。
「それにさ、この間はアニキに独り占めされちゃって、ちゃんと御礼言うタイミング逃しちゃったし」
「アニキ…あぁ、スパローか。ってか、兄妹なのか?」
「まあね。でも、血の繋がりとかまったく無いわよ。アタシ、捨て子だもん。
…あっ、悪いこと聞いたとか言わないでよね。アタシたちにとっては、当たり前すぎて最早気にするもなにもあったもんじゃないんだから」
あっけらかんとそう言って、キャットは肩を竦めた。
「なにはともあれ…この間は、助けてくれてありがと。
あのお人形、ちゃんと持ち主に返してきたわ。すごく喜んでた」
「それは良かった。
ま、ふたを開けてみれば、礼を言うのはこっちの方だな。あんたたちのおかげで、少しは先に進めそうだ」
「そう。ま、難しい話はアタシにはわかんないけど…。アタシはね、シティシーフは別に今のままでも良いと思ってんのよ。
スパローにぃは、もうちょっとドでかいことやりたいみたいだけどさ。そりゃ、組織を維持するためには、働くしかないんだけど。
…なんかね、あんたに会ったら、本来密偵ってこういうものだったんじゃないかなって気がしててさ」