最初の盗賊、最後の皇子。
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翌日、リチャードは軽装歩兵としての勤務を終え、飲み会に誘われそうなところをスルリとかわして、酒場のドアを叩いた。
幸い、まだ仕事上がりの人間が来るには早いらしく、中はがらんとしている。
「おや、隊長殿下。今日はおひとりで?」
カウンターでグラスを拭いていた主人が、毎度の事ながら妙な呼称で呼びかけてくる。
いつもならムキになって反論するところだが、リチャードは「あぁ、訊きたいことがあって」とカウンターに近寄った。
「マスター、『小ネコ』は元気かな?」
「…えぇ、元気いっぱいで困ってますよ」
わずかな空白の後、店主はグラスを置くと、小さなマッチ箱を投げて寄越した。
「それを持って、共同墓地の管理をしてるじいさんに訊けば、もっとよく分かるんじゃないですか?
向こうも、そろそろ隊長殿下がお越しになる頃だと思って、心待ちにしてるでしょうよ」
「別に、そんな期待してもらえるような人間じゃねえよ。
…あと、いい加減その呼び方、なんとかしてもらえませんかね」
「いやいや、だってそれが一番しっくり来るんですよ。
あっ、行くならそろそろ行った方が良いですよ。あのじいさん、自宅に引っ込むの早いから」
もはや言い返す気にもなれず、リチャードは大げさにため息を吐いて、店を出た。
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あの店は、軍の人間がよく利用している。
当然、会話の合間に国家情勢や軍の内部事情が漏れることはざらにあるだろう。
それを自然と聴ける人間が繋がっている組織ならば、その情報網の広さも伺えるという物だ。
「(いや、恐らくあの店は…そのほんの一端でしかない。
シティシーフという組織の、情報網の端末…恐らくは、アバロンだけにはとどまらない筈だ)」
リチャードは、共同墓地までの道のりで、なにが最善なのかを考えた。
アバロン…いや、バレンヌ帝国と、その中に横たわる『シティシーフ』という組織の関係が、どうあるべきか。
そうこうしているうちに、目的地は目の前だった。
アバロンの東地区に広がる、共同墓地…。
そこは、特に裕福でもないアバロンの一般市民にとって、もっとも身近な墓所であった。
殆どの民は、この墓地に埋葬される。
そこに、軍の将校服を纏った男が居ることは、墓参りと思えば何ら不思議はないだろうが…通路の掃き掃除をしていた老人は、リチャードの姿に目を留めた。
「おや、これはこれは…。小ネコに会いに来られたのでしょうか?」
「酒場のマスターに、ここへ行けと…。これを、預かってます」
渡されたマッチ箱をちらつかせると、老人はなにも言わずに奥へと向かった。
夕暮れの中、その後についていくと、彼はとある墓の前で足を止めた。
平凡な男の名前が書かれた、なんの変哲もない墓石。
その墓石は、老人がわずかに押すだけで、いとも簡単に動いた。
「どうぞ、この下へ。そのマッチ箱を持って行けば、彼らも話くらいは聞くでしょう」
「…ありがとうございます」
年配者には気を遣うリチャードは、深々と頭を下げると、下へと続く階段に足をかけた。