【6代:アガタ帝】


後年、その評価が最も分かれるのは、このアガタ帝かもしれない。

唯我独尊でとりつく島もないと言われていた武装商戦団を説き伏せ、同盟を締結。
ステップを地上戦艦で荒らし、麻薬汚染の原因となっていた七英雄・ボクオーンとの対決。
そして、ステップ一帯の領土化及び回復。

これだけの偉業を、17歳の即位から20代のうちにやってしまったのである。

言うまでもなく、アガタ帝は即位当時17歳と最年少の皇帝であった。
その即位の裏には、アメジスト帝時代にバレンヌ帝国自治領として傘下となったカンバーランドの民を、納得させる必要性があったのだろう。

アガタ帝は、カンバーランドが王国であった時代、最後の国王となったハロルド王の長男・ゲオルグ殿下の孫に当たる。
いわば、旧王家の正統な血筋であり、あの内乱が起こらなければ王女と呼ばれていた身分である。
そして、ゲオルグの妻は、アメジスト帝が妹のように可愛がっていた、直属部隊員である元帝国軽装歩兵団員・ジェシカであった。

アメジスト帝は、カンバーランドが滅亡の危機に瀕した際、それを救った英雄である。
カンバーランド併合の後、彼の地の民は帝国に下ったというよりは、アメジスト帝を信頼してそれについて行くと決めたに過ぎなかった。
その頭が交代した時、果たしてカンバーランド…特に、王国時代に貴族と呼ばれ、その特権の多くを失った旧貴族の面々が、従来のように帝国を信頼してくれるかは、別の問題だった。

そこでアメジスト帝は、かつて妹分として可愛がったジェシカ、内紛時に共に戦ったゲオルグの血を引くアガタを、皇帝とすることに決めたのだろう。

アガタ帝は、わずか7歳の時からその素質を認められ、大叔母に当たるホーリーオーダーの始祖・ソフィアの元で修行を積んでいた。
そして、弱冠15歳でホーリーオーダーとなり、次期フォーファー領主に任ぜられたほどの才女だった。

しかし、アメジスト帝が彼女を後継者に選んだことから、フォーファーという一都市のトップから、バレンヌ帝国の皇帝という地位に収まることとなる。

アガタ帝の施政を語るとき、絶対に欠かせない人物が数人いる。
その中でも、副帝として彼女を支え、共に国を導いたアガタ帝の双子の弟・ピーター公の存在は、最早皇帝と同等に歴史書に記される。

アガタ帝は、当時は美しく気品もあり、非の打ち所もない女帝として国民に捕らえられていたようだ。
しかし、後に彼女に近しかった人間の証言から、実際は強情で、親しい人間以外は部屋にも入れないほどの人嫌いだったと伝えられている。

お飾りの皇帝として玉座に座ったり、国民に手を振ったりということが嫌いで、各地の公式使節団との謁見すら、嫌だと言って放り出したこともあるらしい。
世間に姿をさらさないことから、余計に美しく気高い女帝像が造り出され、それが市民に流布されていたというのが真相なのだろう。

反面、副帝たるピーター公は実に人当たりがよく、穏やかで真面目な人柄だったそうだ。
皇帝姉弟に側近として仕え、晩年まで公私ともに親しくしていた宮廷魔術士長・タウラスの晩年の言葉によれば、「2人は誰にも入り込めないほどにお互いを信頼していた。性格はまるで真反対で、アガタには慎みが、ピーターには行動力が足りなかった。あの2人を足して2で割れば平均的な人間が生まれ、いいとこ取りにすれば完璧超人が出来たに違いない」とのことである。

お互いの足りないところを補完し合いながら、2人で皇帝という役割を果たしたのが、この双子皇帝なのである。

アガタ帝の評価が分かれる最も大きな原因は、50歳過ぎで突然退位したことによる。
理由は、副帝ピーターが発病し、回復後も半身麻痺で車いす生活を余儀なくされたからだ。

皇帝本人には、なんの問題も無いにもかかわらず、彼女は周囲に有無を言わさず退位を表明し、後継者に伝承法の力を渡して皇帝を辞めてしまったのだ。

もちろん、当時の宮廷は大騒ぎであり、国民にもその理由は殆ど説明されなかった。
しかし、「ピーターの居ない宮廷に、居場所などない」と漏らした皇帝の一言は、彼女の心情を最もよく現しているのだろう。
人を信用することが下手だったアガタ帝にとって、それを補完してくれていたピーター公の居ない宮廷は、敵だらけであったのかもしれない。

6代目の皇帝であるアガタ帝の時代には、すでに伝承法の力は大きくふくれあがっていた。
それを、2人がかりで乗り越えたのが、この双子皇帝なのである。
彼女らを月と太陽に例える者もあったが、アガタ帝本人は「私たちはどちらも月であり、自ら輝くことなどなく、伝承法と守るべき国家に照らされていただけ」と言った。

その言葉を取り、アガタ帝および副帝ピーターを指す称号は「双月帝」となったのである。

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