【3代:リチャード帝】


前述の通り、リチャード帝はジェラール帝の孫、レオン帝の曾孫にあたる。
母親は、本来であれば皇子に嫁げるような身分の女性ではなく、正式に結婚していたとはいえ、「皇子の私生児」として扱われてもおかしくない身の上であった。

ジェラール帝は、唯一の男系男子であり、早くに亡くなった息子の忘れ形見として、リチャード皇子を可愛がっていたらしいが、リチャード本人に皇子という自覚はなかったようだ。
早々に士官学校に入り、軍人となってしまったことからも、本人にジェラール帝の後継者としての意識はなかったと思われる。
実際、友人に皇子と呼ばれると「俺はただジェラール爺様の孫に生まれただけさ」と言っていたそうだ。

一応、その身分から軽装歩兵団の上官として扱われていたが、それはリチャード本人の力量も伴ってのことだ。
大伯父に当たるヴィクトール皇子の再来と言われ、特に大剣を扱わせたら右に出る者はなかったという。

ジェラール帝時代の主な業績として、ヴィクトール運河の奪還があるが、その現場において実際に戦闘を指揮していたのも、このリチャードであった。
当時19歳。いくら皇帝の孫とはいえ、ただの看板でこんな大役を任されるとは思われず、間違いなくその実力を認められてのことであっただろう。

本人は、あくまで軍人として人生を終えるつもりでいた。
親友である格闘家・フリッツに語ったことによると、「親父が早くに死んだせいで苦労させた母親と、静かに暮らしていきたい」と口にしていたらしい。
もちろん、金銭的な面ではなんの問題もなく、単純に皇太子の未亡人というなんとも微妙な立場に置かれ、元々身分もないことから精神的な苦労を負わせていると感じていたのだろう。

しかし、安泰と思われていた皇帝ジェラールの時代も、彼の発病で先行きが暗くなる。
様々な思惑が絡み合う中、結局ジェラール帝は嫡孫・リチャードにその力を譲渡し、逝去した。

こうして誕生した皇帝リチャードは、軍人としての信頼は篤く、人々を自然と惹き付けるカリスマを持ち合わせてはいたものの、帝王学とは無縁だった。
しかし、貴族特権の緩和、税制の改革など、庶民にとって求められる施政を行った。
国立軽装歩兵団の団員は、庶民や地方出身者も多く、そこから影響を受けた部分が大きかったと思われる。

また、本人が推し進めたものとして、皇位継承権を旧王家の血統から切り離すという方針があった。

「伝承法による継承が行われている以上、そこに血族が絡む必要はなく、むしろ将来の有望な人間に後を任せるべきだ」

その主張は、もちろん保守派の人間には受け入れられなかった。
しかし、革新派役員や大臣を説得させ、それを法案として立ち上げた。
すなわち、「生まれ、血統に関係なく、伝承法により力を継承した者が皇帝となる」法律である。

それまでの長い帝国の歴史からしてみれば、とんでもない法律であった。
しかし、国民の大多数を占める一般市民階級の圧倒的な支持を受けていたリチャード帝は、その法案を成立させるに至る。

それはまるで、自分がわずか31歳で戦死し、それをもってレオン・ジェラールの男系男子が途切れることを予知しているかのような姿勢だった。

リチャード帝は、生涯独身であった。
くだんの法案が通るまで、彼の子が帝国を率いていく未来を思い、多くの人間が結婚を勧めたものの、本人が頑として受け入れなかった。

一説に寄れば、リチャード帝には自身の父親と同じように、身分違いの恋人がいたともいう。
その女性は、彼の皇位継承直後に儚くなってしまった実母よりさらに身分の低い、市民の女性だったともいわれ、皇族と結婚したために気苦労が多かった母親のこともあり、結婚に踏み込めなかったのだとも。
更に、彼女との間に密かに一子もうけたとも言われているが、今となっては誰にも分からない。

そのことについて当然知っていたであろう、後継者のフリッツ帝は、リチャード帝の私情について訊ねられても何も語らなかったという。

リチャード帝は、偉大なるレオン帝、ジェラール帝の血を引いていたが為に、その運命を伝承法の歯車に引き込まれた人物だとも言える。
しかし、その運命を更に大きな世界へと託し、身分も出身も問わない、すべての人のための帝国へと舵を大きくきったのは、まさしくこのリチャード帝なのである。

その31年の人生のうち、10年を皇帝として生きた彼にとって、伝承法とは「自身を巻き込んだ運命」そのものであり、「後世を解放へと導くための手段」だったように思われる。
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