【2代:ジェラール帝】


上記の理由で皇位を継承したジェラール帝は、本来ならばその位に就くことはなかったと思われる。
彼はレオン帝の第二皇子であり、特に剣に優れていたわけでもなく、ヴィクトール皇子の存命中は「武のヴィクトール、文のジェラール」と明確にされていたようだ。
しかし、そのヴィクトール皇子のあまりにも唐突すぎる死、レオン帝殉死…その畳みかけるような現実は、わずか18歳の皇子に覚悟を決めさせる余裕もなかった。

即位当時、ジェラール帝は生来の文弱さから、多くの国民に不安を抱かせた。
城内に駐留していた傭兵部隊が、一斉に職務をボイコットしたという記録も残る。

しかし、剣に優れたレオン帝の力を受け継いだジェラール帝は、タイミング悪くアバロン市内を襲ってきたゴブリンを、精鋭部隊のみを率いて出撃し、見事撃破している。
これにより、ジェラール帝は周囲から「陛下」と呼ばれるようになり、クジンシー討伐の為ソーモンへと向かう軍を揃えることが出来たという。

ジェラール帝は、元々自分が持っていたのは文官としての力であり、武力が足りないことは大いに自覚していた。
かといって、優秀な兄に引け目を感じていたわけではなく、自分の得意分野である学問で兄を支えようと前向きに捕らえていた。
しかし、兄の死、父の死…突然の即位。それに対応できたのは、伝承法によりレオン帝の力がジェラール帝に注がれていたからに違いない。

「父上の力を、ここで終わらせてしまうわけにはいかない。この力は、残る6人の七英雄と戦わねばならなくなった時、必ず必要になるだろう」

ジェラール帝は、その言葉とともに、皇位継承者には必ず「伝承法」による継承を行わせるように決めた。
しかし、その後継者選びについては特に考えもなく、王朝時代と同じように自身の家系から選ぶようにするつもりだったようだ。

許嫁であった遠縁の女性と結婚。皇子ヴィクトールと、皇女リゼットの二子に恵まれたが、兄の名を冠した息子は同名の伯父と同じく、若くして亡くなってしまった。
皇女リゼットは、王家の分家である名門・イアサント家に嫁ぎ、後に最終皇帝がその血筋から産まれている。

しかし、長男ヴィクトールは、とても旧王家とは釣り合いの取れない、下級貴族の娘と結婚した。
まだ血族主義の抜けないバレンヌの貴族社会に、これは大事件だったに違いない。
なぜなら、このヴィクトール皇子の息子がいずれ皇帝になることは、ほぼ揺らぎのない未来であると捕らえられていたからだ。

ジェラール帝も、長男の決断に最初は渋っていたようだが、「皇位継承権などいらない」とまで言った彼の熱意に折れ、結婚を赦したようだ。
この夫婦から生まれたのが、3代リチャード帝である。

息子の早すぎる死の翌年には、妻にも先立たれ、ジェラール帝の晩年は決して幸せなものではなかった。
しかし、引き継いだ皇位とその力を、確実に発展させ次代へと引き渡した彼の功績は、非常に大きい。

文弱な皇子を、名君と呼ばれるまでの皇帝に育て上げたのは、まさしくこの「伝承法」に他ならなかった。


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