「伝承法」というシステム ~バレンヌ帝国の400年~


帝国歴1000年、バレンヌ帝国に「伝承法」というシステムが導入され、「伝承皇帝」というものが誕生した。
言うまでもなく、そのきっかけは七英雄・クジンシーの襲撃であり、その後帝国は七英雄との戦いの時代に流れ込んでいくが、それに関しては友人が論文にまとめているところなので、そちらに譲ろう。

ここでは、「伝承法」というものを歴代皇帝がどう捕らえていたのかという考察を、私なりにまとめてみようと思う。



【初代:レオン帝】

言うまでもなく、伝承法の始祖となったのはこのレオン帝である。
導師・オアイーブによって伝えられた伝承法は、受ければ必ず死をもたらすクジンシーの「ソウルスティール」を回避するための切り札であった。

恐らくは、レオン帝もその力については半信半疑だったことだろう。
先代の力を引き継がせる「伝承法」の力は、実際に歴史を紡ぎ、共和制となって20年以上が経つ現在であっても、本当にそんなものが存在したのかと疑いたくなるほどのものだ。
しかし、クジンシーを打倒することは、皇太子ヴィクトールの仇ということだけでなく、バレンヌ帝国そのものの危機を乗り越えるために必要なことであった。

自らの命を賭してまで、国民をクジンシーの脅威から救ったレオン帝は、その後のジェラール帝の治世の礎を作った。
ジェラール帝はそんな父親を尊敬し、後世に「皇帝の鑑とはまさに父・レオンのことであり、後継者はレオン帝を模範とせよ」と残した。
しかし、3代リチャード帝は「本音を言えば、曾祖父の存在は重すぎる」と漏らしており、その言葉を聞かされた4代フリッツ帝は「皇位を継承して、リチャードの言っていたことがわかった。始祖の存在は、ほんの数十年生きただけの人間には大きすぎるのだ」と言ったという。

レオン帝が今際に、ジェラール帝がその力を継承した姿を確認できたのかは、誰にもわからない。
しかし、彼の存在はまさしく後の伝承法時代を切り開くものであった。
1/1ページ
スキ