彼の地に花が咲かずとも


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1342年
術士・サジタリウス、宮廷魔術士に就任。
バレンヌ帝国の長い歴史の中で、初のヤウダ出身術士として有名になる。

また、生家の家業であった弓術の腕も確かで、その技術を更に高め、術と弓の融合技を独自に編み出した。

その名を歴史書に確かに認めたのは、彼が皇帝の最も身近な側近であったことが大きい。



1343年
イーストガード・シュウサク、アバロンへ着任。
新市街住まいのアバロン駐在員として、その剣を振るう。
幾度と無くモンスター討伐に関わり、時の皇帝ディアネイラに「若いながら確かな目を持った剣士だ」と目をかけられる。

1350年
ディアネイラ帝、逝去。
イーストガード・シュウサク、第14代伝承皇帝として即位。


シュウサク帝は、伝承皇帝としては終盤、七英雄との戦いも末期に迫りつつある時に即位した皇帝である。

その50年の即位期間に、彼が残したものは大きく、特に氷海における七英雄・スービエとの死闘は有名。


遠く東国から現れたこの巨星を、人々は敬愛し信頼した。
そして彼も、それに力強く答えた。


そんな彼が、最も信頼した部下が術士・サジタリウスであり、幼なじみで無二の親友であると周囲に公言していた。

2人は、アバロンへ来てからも遠く離れた祖国を忘れることはなかった。

アバロンで流行したヤウダ文化の大半は、この2人が持ち込んだものだと言われている。


また、新市街の一角に植えられた「渡り桜」と呼ばれる大樹は、シュウサク帝の即位時にヤウダから持ち込まれたものである。

海を渡り、砂漠を越え、湖や草原を抜けてようやくアバロンへたどり着いたこの桜に、シュウサク帝は自身の来歴を重ね、「この地に根を張り、人々に親しまれる人間でありたい」と言ったという。



2人が故郷・ヤウダの地に帰ったのは、ほんの数回…即位後については、公式の記録が一度残るのみである。

それでも彼らは、ヤウダ人の誇りを亡くさなかった。


花を愛で、茶を楽しみ、武術の"道"を立てるその生き様が、バレンヌ帝国におけるヤウダという土地そのものをイメージ付けたと言えるだろう。


バレンヌ帝国が、共和国に移行してから数十年。

シュウサク帝即位から百年近くが経った今でも、ヤウダの民とアバロンの民は、同じ花を眺めて"春"を生きている。


〈終〉
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