彼の地に花が咲かずとも
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アバロンの暦で言えば、1338年春。
ヤウダの港町・ユウヤンから、週に2本程度出ているテレルテバ行きの船。
それに乗るべくして、リャンシャンからある家族がやって来ていた。
「別に、わざわざこんなところまで来てくれなくて良かったのに」
「そう言うなよ。もう何年も会えなくなる友達を見送ろうっていうんだから、出来るだけ遠くまで一緒に行きたいってのは当たり前だろ」
港町を見下ろす、小高い場所に立つ茶屋に並んで座り、2人の少年が串団子をつまんでいた。
手には湯飲みと、温かいお茶。その中に、ふわりと桜の花びらが1枚、舞い降りた。
「…アバロンには、桜の木は無いんだろうな」
それを見て、サジタリウスがポツリと呟く。
「寂しい?」
「そりゃな。桜はヤウダの心だって、よく言うだろ?そういう意味じゃ、今出発出来るのは幸いなのかもな。
『願わくば、桜の下にて春死なん』
誰だっけな、そう詠んだのは」
その答えを知ってはいたが、シュウサクはただ曖昧に微笑んだ。
バレンヌ人の血を引き、その名前を受け継いだ灰色の瞳の親友が、誰よりもヤウダ人らしいことは、自分が一番よく知っている。
「色々と考えたんだけどよ。まず一番最初に恋しくなるのは、この熱いお茶だろうな。
それから、春が来るたび桜が見たくなる。夏には朝顔、秋には紅葉…そこにあって、当たり前だったものが」
「…サジ、アバロンにはアバロンの花が咲くよ。
どうしてもヤウダのお茶が欲しいなら、送るからさ」
「ありがとよ。でも、俺は欲張りだから、『シュウサクの点てたお茶が欲しい』って言い出すぜ」
「それは…5年待ってもらうしかないかな」
本当は、こんなことを言うのは大人げないのだろうと、サジタリウスも分かっていた。
それでも、なんとなくそう言いたくなってしまう。
当分戻ることはないであろう、このヤウダの大地そのものに、別れを告げる為に。
「ま、俺は大丈夫さ。結局母さんも一緒なわけだし、伯父さん宅に居候させてもらうんだしよ。
問題は、俺と母さんが居なくなった後の家だぜ?
あと数年で、ワカサの道場が潰れないように、見張っててくれよ、シュウサク」
「わかってるよ。まったく、君は自分の家族をなんだと思ってるんだか」
「母さん無しじゃどうしようもない親父と、それにそっくりな兄貴。
姉ちゃんが居るから、どうにかなるだろうけど…いや、俺は母さんは実質1年くらいで帰るんじゃないかと思ってる。
じゃなきゃ、ホントに家が崩壊しかねないぜ?」
サジタリウスが予想外にアバロン行きを言い出したため、結局母・ベリルもそれに折れる形でアバロンへ行くこととなった。
もちろん、例の合成術が完成すれば、すぐさまヤウダへ戻るという条件付きで。
「他ならぬ君の家だ、そうそうなことじゃどうにかならないさ。
だから、サジは安心して、術の勉強をしっかり、ね」
「…わかってる。例え勉強を投げ出したって、お前との約束は守るからな」
"正直、お前が居なかったら…俺は、アバロンへは行かない。"
サジタリウスは、心の中でそう呟いて、それをお茶で飲み込んだ。