第1章―少女ミズラ、海を超えて運命の場所へ―
と、その時である。
「や、やめてください!」
どこからか、そう声がする。
周囲の人間は気づいていないようだが、ステップ育ちのミズラは、人一倍目も耳も良い。
気になって、声がしたと思われる方に駆け足で向かうと、大通りをいくつか入っていった裏路地だった。
ミズラよりいくらか幼い少女が、明らかに酩酊している大男に絡まれている。
「いいじゃねえか、酒くらい。減るもんじゃねえし」
「わ、わたしは急いでるんです!放してください!!」
絡まれていたのは、大きな本と帳面を抱えている少女。どうやら、学生らしい。
そう言えば、路地の向こうにアバロン帝国大学が見える。
おそらくは、大学へ行くのに近道をしようとして、裏道を通ったら酔っぱらいに捕まったのだろう。
正義感云々以前に、理不尽なことが嫌いなミズラは、ずんずんと歩み寄ると、いきなり背後から膝に蹴りを入れた。
当たり前のようにバランスを崩し、男は盛大に転ぶ。
「ちょっと!こんな真っ昼間から酔っぱらって、いたいけない女の子に絡むなんて、人間の風上にも置けないわよ」
「あぁ?なんだてめえ」
ようやく起きあがった男の目に映ったのは、仁王立ちで腕を組み、鷹のように鋭い視線を向けてくる、民族衣装の少女。
明らかに年若い女性なのに、何とも言えない恐怖を感じさせる。
父アルタンは無謀にも、七英雄の地上戦艦に生身で立ち向かったことがあるというが、ミズラにもその気迫は受け継がれているようだ。
男の本能が、「この娘には逆らうな」と警告していた。
「急いでるみたいだから、謝れとは言わないわ。さっさと立ち去りなさい」
さらに目を細めて言い放つと、男は数回口をパクパクさせてから、逃げるようにこの場を立ち去った。
「あっ、あの…ありがとうございました」
本を抱えた少女が、ぺこりと頭を下げる。
「あの、何かお礼を…」
「いいわ、気にしないで。それより、急いでるんでしょ?」
そうこう言っているうちに、大学の時計塔から鐘の音が聞こえてくる。
少女はハッとなって、「本当に、ありがとうございました」と再び頭を下げ、大学に向かって走っていった。
小気味の良いブーツの靴音が、だんだんと遠ざかっていく。