第1章―少女ミズラ、海を超えて運命の場所へ―
「だって、あなたには私の代わりに、陛下の直属部隊に入ってもらうんだから、何の問題もないじゃない。職場が近いって、すごく楽よ?」
「あぁ、なるほど。それは確かに近くて良いかも…って、えぇ~?!」
どっきり発言の繰り返しで、ミズラの心臓は休まる時がない。
「あっ、あたしが皇帝陛下の直属部隊にって…どういうことよっ!!」
今度ばかりは、衝撃で声がひっくり返る。
ベスマは、「いいから落ち着きなさい」と思わず立ち上がった妹を、ベッドの端に座らせた。
「私がジャックと結婚することになって、彼の本国であるカンバーランドから、『嫁にするからには、危険な目には遭わせないでくれ』って連絡があってね。夫婦で部隊にいるのもなんだからって、私が陛下のお許しを得て、寿退職させてもらうことになったの。
それで、陛下の直属部隊が一人欠けてしまうから、良い人材はいないかって話になって…」
「それで、なんであたしって話になるのよ。アバロンには、優秀な弓使いなんていくらでもいるでしょ?」
「それが、どうも陛下のお眼鏡に適う人が見つからなくてねぇ…。陛下自身もまだ若いし、先代のアガタ陛下のお気に入りだったこともあって、やっかみとか色々あってね。
それで私が『弓の得意な妹が居ます』って言ったら、『ベスマの妹なら、優秀なんだろうね。それは会ってみたいな』と」
そんな理由かい。
とりあえず、宮仕えが本決まりではないことを聞いて、ミズラはほんの少し落ち着いた。
もっとも、こちらで働き口がなければ、すごすごとステップに帰るしかないのだが。
幸い、糸紡ぎと機織り、裁縫その他諸々の針仕事なら、ミズラの得意とするところだ。
いきなり直属部隊なんて言われずに、ただの一般兵で良いのならば、宮仕えもやぶさかではないが。
「大丈夫、陛下はとってもいい人よ。気にしないで良いわ」
「そうは言ったって、一国の皇帝なんだからね…」
ハーンの娘とはいえ、明確な格差のないノーマッド出身のミズラからしてみれば、巨大な帝国の皇帝など、それこそ雲の上の人だ。
大げさにため息を吐き、ミズラはベッドに転がった。
そこで、コンコンとドアがノックされる。
ドアのそばにいたベスマが「はい、開いてますよ」と声をかけた。
仕方なくミズラも起きあがると、入ってきたのは長身の青年。
もちろんミズラは知らない人だが、ベスマは「ジャック!」と声を上げて飛びついた。
「遅くなってすまない。ここの女将さんに、この部屋にいると聞いて…」
「いいえ、全然待ってないわ。妹と楽しくおしゃべりしていたところよ」
なにが楽しくだ。ミズラは内心でため息を吐きつつ、立ち上がった。
「姉さん、紹介してくれないの?」
「あっ、ごめんね。ジャック、私の妹のミズラよ。たった今、ステップから着いたところ。
ミズラ、彼がジェイコブ。いつも手紙で話してたでしょ?」
よろしく、と手を差し出されて、ミズラは「こちらこそ」と握手をした。
見るからに、いい人オーラをまとった好青年である。
自分よりは多少落ち着いているとはいえ、何故こんなおてんばな姉と結婚する気になったのだろう。
ミズラは疑問に思ったが、手紙での姉のぞっこんぶりからして、本気で愛し合ってはいるのだろう。
「ミズラ、私たちこれから、新居に行くんだけど…一緒に来る?」
「…新婚家庭に、いきなりお邪魔する気はないわ。勝手に街を見て歩くから、どうぞお気になさらずに」
ほんの少しの嫌みをこめたつもりだったが、ベスマは気づかない。
ジェイコブだけが恐縮して、「良かったら、わたしが案内するけれど…」と言い出したが、ミズラは「いえ、大丈夫ですよ」と笑った。
「もう子どもじゃないですし、そんなに遠くには行きませんから。こちらこそ、姉のことどうかよろしくお願いします」
「そう…それじゃ、せめて夕食を一緒に。この近くに、食事も美味しい酒場があるから、そこへ行こうと思っているんだ。
日が暮れる頃には戻ってくるから、ここでまた落ち合おう。構わないかな?」
「わかりました。それじゃ、2時間くらいしたら戻ってきますね」
ベスマは「アバロンは広いから…」と心配そうであったが、ミズラは「大丈夫」と言い切った。
とにかく、このなんとも言い難い状況から抜け出したかった。