第1章―少女ミズラ、海を超えて運命の場所へ―
「はぁ?!結婚?!」
姉の言葉を聞くなり、ミズラは大声を上げた。
ここは帝都アバロン。
ステップ高原で暮らす遊牧民族・ノーマッドのハーン(族長)の娘であるミズラは、時のバレンヌ皇帝ハリーに仕える姉・ベスマを訪ねて、はるばる上京してきたのである。
姉が用意してくれた市内の宿に荷物を置き、落ち着いたところで、数年ぶりに再会したベスマから衝撃的な言葉を聞かされた。
すなわち、「私、結婚することにしたの」と。
「ちょっと、どういうこと?!というか、久々に会ったのに最初の会話がいきなりそれって、どうなのよっ!!」
ミズラはまくし立てるが、ベスマはニコニコとした笑顔を絶やすことなく、「だって、早いほうがいいかと思って」と平然という。
19歳のミズラより3歳年上のこの姉は、2年前にノーマッドの代表としてアバロンへやってきた。
その数ヶ月後に、当時の皇帝であったアガタ帝が退位。勇猛な軽装歩兵として名を上げていた、彼女の遠縁であるハリーが皇位を継承した。
ベスマはそのままハリー帝に仕え、弓の腕を買われて彼の直属部隊に配属される。
そんな生活を、ミズラは手紙で散々聞かされていた。
そして、同じ直属部隊で、ハリー帝のはとこであるジェイコブと、恋愛関係にあることも。
しかし、姉から「アバロンで暮らさないか」との手紙をもらい、大荷物を担いで単身海を渡ってきたミズラとすれば、まさに寝耳に水である。
「だったら、なんであたしに『アバロンへ来い』なんて手紙寄越したのよ!いくらなんでも、新婚家庭に居座る気は…」
「あら、私『一緒に暮らそう』なんて書いた覚え、ないんだけど…」
言われてみれば、その通り。
ミズラはてっきり、姉が自分の住まいで一緒に暮らすつもりで、自分を呼び寄せたのだと思いこんでいたのだ。
いきなり宿へ通されたので、その段階で何かおかしいとは思ったのだが。
「じゃあ、あたしはどうすればいいのよ。すっかり引っ越すつもりで、こんなに色々持ってきて、このまま帰ったら村の笑い者だわ」
元々移動民族であることから、ミズラにとって大切なものなど、そう多くはない。
しかし、ゲルの移動に持ち歩くのとほぼ同じだけの大荷物を抱えて、マイルズから船に乗ってきたのである。
その中には、服や愛用の弓はもとより、織りかけの布と織機まであった。
ベスマはそれに「まさか、こんなに色々持ってくるとは思わなかったわ」と笑う。
「大丈夫よ。ここは借りてある部屋だけれど、近いうちに私がジャックの部屋に引っ越すから、王宮内の私の部屋が空くわ。そこに住めば良いのよ」
「あぁ、なるほど…って、王宮内?!」
「えぇ。正確には、王宮の敷地内にある宿舎だけど…」
「いや、そうじゃなくって。いくら妹だからって、あたしなんかが勝手に宮廷の宿舎に住まわせてもらうなんてこと…」
必死になる妹に、ベスマは「あら、どうして?」と首を傾げた。
ごく自然に、まさにきょとんとした顔で。