第3章-前編 ―戦士ミズラ、灼熱の砂漠を渡る―


「…ミズラ」

そこで突然話しかけられて、当人は思わず「えっ、なに?!」と声が裏返った。

向こうはそんなことは気にしていないらしく、ペンを一端置いて「これだけ、聞かせて下さい」と言う。

「あなたは、いつの間に『霧隠れ』などという高等術を覚えたのですか?」

てっきりまた怒られるのかと思ったミズラは、予想外の質問に「何だ、そんなこと」と安堵した。

「今まで習った術法を、ギリギリまで確認しておきたかったから、一週間くらい前までまた術研に通ってて…そしたら、キグナスが『せっかくだから、覚えていきませんか?』って教えてくれたの。
何とか発動できるくらいには覚えられたんだけど、あんなにあっさり上手くいくとは、我ながらびっくり…」

「なにがあっさりですか」

滅多に表情を変えない天才軍師が、わずかに眉をつり上げる。
皮肉ですらさらっと言ってのける彼が、珍しくあからさまに怒っているようで、ミズラは妙な迫力に心臓がビクついた。

「たまたま上手くいったから良かったものの、失敗してたらどうするつもりだったんですか。
普段から術を使い慣れている術士ならともかく、術法を習い始めて一年も経たないあなたでは、あれだけの術を使えば揺り返しが来るのは当たり前です。
すなわち、使用後に隙ができるということです。つまり、完全に無防備な状態になるわけですよ。
どういうことか分かりますか?」

「えっと…あたしがサンドバイターに吹っ飛ばされたのは、それが原因ってこと?」

「そういうことです。なんで、敵が攻撃しようとしている瞬間に、あんな高等術法に走ったのですか」

責められている感覚は、普段の皮肉の数倍だったが、ミズラは「そんなこと言ったって」と言い返す。

「たまたま、術が完成したのがあのタイミングだったというか、術に集中できるタイミングがあの一瞬しかなかったというかで…。
例えあたしが攻撃されても、回復役のハクヤクが倒れる方が問題だし。
使うなら今しかないって思ったら、たまたま攻撃されたというか…」

しどろもどろな言い訳を、ハクヤクは黙って聞いていた。
そして、最後に盛大にため息を吐く。

「…小生に霧隠れをかけることは、あの場合は確かに有効な戦術でしたが。今後は自分の心配も、少しはするように。
恐れ多くも、陛下がここまで背負って来て下さったのですからね」

「分かってるわ。確かに、ちょっとタイミングが悪かったとは思って…って、えぇっ?!」

さり気なく流すところだったが、ハクヤクの言葉に思いもしなかった単語があることに気づいたミズラは、またも素っ頓狂な声を上げた。

ハクヤクは「うるさいですよ」と再び本に目を向ける。

「ごめんなさい…というか、ハリーがあたしをここまで背負ってきてくれたの?」

「そうですよ。ご本人が、防御や攻撃に専念する必要のあるトータスやジェイコブよりは、自分の方が適任だとおっしゃって。
幸い、予想より早く町に着けましたし、その後敵襲はありませんでしたが…。
あなたが倒れていた間、戦力が減っているだけではなく、足手まといになるところだったのですからね。
少しはことの重大さを分かって下さい」

てっきり、運んでくれたのはトータスあたりだと思っていただけに、ミズラは驚きを隠せなかった。
ハクヤクの言う理由を鑑みれば、確かにその通りなのだが。

「(攻撃役がハリーで、ジャック兄さんがあたしを運ぶってこともできただろうけど…やっぱり、ハリーは優しいから、かな)」

当たり前だが、背負われていた間の記憶がないことを、ミズラは少し残念に思った。

そうこうしているうちに、宿の主人が「昼間の余り物だが」と言いつつ、パンとスープを持ってきてくれる。
ミズラはその場で食べ始めたが、ハクヤクは相変わらず黙々と作業を続けていた。

「食べ終わったら、部屋でもう少し休んでいて下さい。夜には出発です」

「うん。…というか、ハクヤクは休まなくて良いの?一緒に行くんでしょ?」

「情報を集めて整理するのが、小生の仕事です。
もちろん部隊として同行しますが、出来る限りの作戦を練らなければ、落ち着いて休むこともできませんからね」

あっさりそんなことを言うが、ここへ来てからまともに休んでいないのは見え見えだ。

ミズラは、彼らしいと思いつつも、小さくため息を吐いた。

「少しは自分のことも心配しろって、さっきあたしに言ったのはハクヤクじゃない。
情報も大事だけど、ある程度は現場でなんとでもなるわよ。
ちゃんと食べて寝ておかないと、身体が辛いわよ」

「ここであなたに説教されるとは思いませんでしたよ。先ほどの仕返しですか?」

「まさか。単純に心配なだけよ」

「…その性格、あまり感心しませんが時々羨ましくなりますよ。
これだけまとめたら、小生も休むことにしましょう。
それにしてもその言いぐさ、最近のあなたと喋っていると、まるでベスマと会話しているような気になります」

「そう、ありがとう」

そう言えば、嫌みを嫌みとも思わずあっさりいなしてしまうベスマのことが、ハクヤクは苦手らしいとトータスから聞いたことがある。

ミズラが思うに、姉は天然なだけでまったくそんな自覚はないのだろうが。

「(なんか、ようやくハクヤクとの付き合い方が分かってきたのかも…)」

初めて会ったときは、上手くやっていけるのか不安にもなったが、半年も同じ部隊にいればなんとかなるのだろう。

若干堅くなったパンをかじりながら、ミズラはそんなことを思った。

<後編へ続く>
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