第2章―少女ミズラ、伝説の"皇帝の半身"と出会う―


病院から宮殿までの道のりで、ハリーは幼少時代のことを語った。

皇帝姉弟とお茶したり、遊んだりしたこと。
剣の稽古を見てもらったこと。
軽装歩兵となってからは、術法の手ほどきもしてもらったこと。

10年以上前のことを、まるで昨日のことのように語るハリーは、キラキラした目をしている。ミズラには、そう思えた。


あっという間に城門について、門番の兵士に敬礼される中を入っていく。
すると、宮殿の入り口付近に、長いローブ姿の影があった。

その顔を見るなり、ハリーが苦笑して「やあ、待たせてしまったかな?」と肩を竦める。

「約束の、夕刻までには帰ってきたつもりだったけど…」

「約束は夕方5時です。残念ながら5分ほど遅刻ですよ、陛下」

ローブの男は、そう懐中時計を突きつけてきた。
その態度に、ミズラは「なによ、5分くらい」と小声で呟く。

それが聞こえたらしく、男は「たかが5分でも、遅れは遅れでしょう」と時計を懐にしまった。

「すまないハクヤク、例の書類はどうなったかな?」

「すでに殆ど片づけてありますので、あとは陛下のサインをいただくのみかと。どうか、今日中に完了されますよう。
先帝陛下のお見舞いはともかく、ステップからやってきた小娘と世間話をするような無駄は、残念ながら許されません」

ハクヤクと呼ばれた男は、めがねの向こうで厳しい目をしていた。

あからさまな皮肉に、ミズラはムッとなって「誰が小娘よ!」と食って掛かる。

「あたしには、ミズラっていうちゃんとした名前があるのよ!!小娘じゃないわ」

「そうですか。しかし、まだ正式に士官の手続きが踏まれていない以上、たとえベスマの妹であっても、ただの小娘に過ぎないでしょう」

「あなた、最低ね。紙に書いてなきゃ、人の名前も覚えられないなんて!」

にじり寄るミズラとハクヤクの間に、ハリーが「そのくらいで」と割って入った。

「今のは、ハクヤクが悪いね。ミズラは歴とした、バレンヌの国民だよ。
若いお嬢さんだからといって、軽く見るのは間違っているよ」

皇帝に言われて、ハクヤクは「これは、失礼を」と一歩下がった。

「まだ、紹介していなかったね。
彼はハクヤク。軍師兼術士として、僕の部隊に所属してもらっている。
ハクヤク、彼女がミズラ。ベスマの妹で、今度僕の部隊に入ってもらうことになったから」

ハクヤクは「どうも」と頭は下げるが、尚もその態度を改めるつもりは無いらしい。
ミズラは他にも言いたいことがあったが、ハリーの手前それらを飲み込むしかなかった。

「では陛下、小生はこれで。また明日、参内致します。テレルテバ視察の件で、お話したことがありますので」

「わかった。お疲れ様」

ハリーには頭を下げるも、ハクヤクはミズラの存在は完全に無視したまま、スタスタと門へ向かっていった。

「(なによ、あの態度…あたしのこと、田舎者だからってバカにしてるのね)」

憮然とするミズラに、ハリーが「すまない」と真面目な顔で言った。

「ハクヤクは気むずかしいところがあって…決して、君のことが嫌いなわけじゃないんだ。初対面の相手には、大抵ああだから」

「あんなんで、あの人はやっていけるの?」

「そうやって、ミズラみたいに言い返す人じゃないと、今後相手にしないんだよ」

ようするに、試されたのか。
いずれにせよ、ミズラとしては良い気はしない。

「悪い人ではないんだ、どうか仲良くやってあげてほしい」

そう言えば、姉にもそんなことを言われたような…ミズラは、あまり自信はなかったが、とりあえず「わかったわ」と頷いた。

「ところで、視察って何?テレルテバって、ワイリンガ湖をもっとずっと、砂漠の方へ下っていったところでしょう?」

「ああ。あの辺りは領地ではないけれど、異常がないか視察に行かないとね。
ビラハより北は帝国領だし、何かあったら他人事ではいられないから。2ヶ月後くらいに予定している」

なるほど、と納得するミズラに、ハリーは「もしかしたら、それがミズラの初仕事になるかもしれないね」と笑った。

「ミズラは、暑いのは苦手?」

「分からないわ。砂漠の暑さなんて、想像つかないもの。でも、仕事なら精一杯がんばらなきゃね」

そう笑い返しはしたが、実のところミズラが心配していたのは、あの気むずかしい軍師と仲良くやっていけるか…そこであった。

「(…まあいっか、あと2ヶ月あるなら、そのうちにもうちょっと仲良くなれるかもだし)」

ミズラはそう、心の中で呟いて、空を仰ぐ。

ステップのものと同じ、オレンジ色の夕暮れが、何事もなく城壁の向こうへ沈んでいく。

アガタが、ピーターが、そしてハリーが守ったこの街を、これからは自分も守っていこう。


それは、ミズラに、そう思わせる空だった。


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