第2章―少女ミズラ、伝説の"皇帝の半身"と出会う―
2人で頭を下げて病室を出る時も、アガタはベッドの上からにこやかに手を振ってくれた。
病室を出て、階段を下りて…そこで何故か、ハリーは小さくため息を吐く。
それも、なにやら複雑そうな顔で。
「…どうしたの?」
思わずミズラが訊くと、彼は「いや、少し思い出したことがあってね」と苦笑した。
「あの、別れ際の笑顔が…あの頃のピーターさんに似て見えたものだから」
「ピーターさんって、アガタさんの弟の?」
「そう。バレンヌ帝国第6代伝承皇帝の双子の弟にして、伝承皇帝初の副帝…僕の父の親友で、アガタさんが最も信頼していた人だよ」
話ながらも、彼の足は確実にどこかへ向かっている。
その横を小走りになりながらついて行くと、抜けた先は病棟の裏手…多くの墓石が並んだ、墓地だった。
その中でも、奥の一角に、特に目立つわけでもないのに、目を引く墓があった。
綺麗に手入れがされ、パラパラと花が置かれているその墓石の前で、ハリーは足を止める。
「バレンヌ帝国副帝、偉大なる"もう1人の賢帝"ピーター、ここに眠る―」
その文字に、ミズラはハッと息を呑んだ。
今まで、気づかなかったのだ。
アガタが笑顔で語った「ピーター」が、既に故人だということに。
「もうそろそろ、1年経つかな…。未だに、どこか実感が沸かないんだけどね。ピーターさんがこの世にいないってこと。
アガタさんも、僕の両親も…みんな、ピーターさんのことを過去形では決して語らないから」
ミズラが違和感なく話を聞いていたのは、そのせいだろう。
先帝が退位したのは、副帝が身体を壊したからであり、その副帝は闘病の後、1年前に亡くなった…そんな話は、姉からの手紙で聞かされていたはずなのに。
「ピーターさんが、亡くなる前に言ったんだよね。
『僕はアガタで、アガタは僕だから―アガタが生きている限り、僕が完全に死ぬことはないんだよ』って。笑顔で。
息を引き取るその時ですら、あの人は笑顔を絶やさなかった。
最期の最期まで、後を継いだ僕や残されるアガタさんのことを気遣って…とっても、優しい人だから」
ハリーは膝を折り、アガタに託された香雪蘭を手向けた。
よく見れば、他の花々も一輪ずつ、バラバラに置かれている。
アガタが、自分宛に持ってこられた花を、一輪だけここへ手向けるように言ったのだろう。
「アガタさんが言っていたわ。『ハリーは、血の繋がりはないのにピーターに似てる』って」
「似てる…そうかな。でも間違いなく、ピーターさんは僕が子どもの頃から、一番憧れた人だよ。
教養があって、剣の腕も立って、高貴な生まれで気品もあるのに、全くそんなことを感じさせないほど人当たりが良くて…。
何より、他人を思いやる心の持ち主だった。
僕が皇帝として、人間として目標にした人であり、尊敬してる人、なんだ」
墓石に手を添えて、ハリーはどこか遠い目をしていた。
ミズラも、その隣に膝をつく。
「(この人が、アガタさんの弟…ハリーが憧れた人で、もうひとりのアガタさん)」
もちろんミズラは、彼がどんな人なのかは知らない。
副帝としての業績や、今ハリーから聞かされたことしか。
それなのに、どこかで会ったことがあるような気がする。上手くは言えないが、彼の"魂"を知っている。
「(まだ、生きているのね…ピーターさんの思いは、アガタさんやハリーの中で)」
もしも、生前の彼に会うことがあれば、転びかけた自分を助けてくれたかもしれない。
昔のことを語って、優しく抱き寄せてくれたかもしれない。