第2章―少女ミズラ、伝説の"皇帝の半身"と出会う―
病室に残されてしまったミズラは、小さくため息を吐く。
「まったく、ハリーったら相変わらずね」
ベッドの上から一部始終を見ていたらしいアガタが、クスリと笑みをこぼした。
「そういう所、血は繋がってないのにピーターにそっくりだわ」
「ピーター?」
「私の弟よ。私たち姉弟の従姉が、メディア姉さん―ハリーのお母さん。
ピーターは、ハリーのお父さんのロンとも親友で、ハリーは私たちにとって本当に甥っ子みたいな存在だったのよ。昔から」
そう言えば、父アルタンが言っていた。
アガタ陛下の双子の弟のピーター様―七英雄の地上戦艦を沈めるのに活躍した、もうひとりの皇帝陛下とも言うべき人。
地上戦艦に苦しめられたノーマッドの人々に、明るい笑顔で「必ず、明るい未来を作ってみせる」と言ってくれたと。
「ねえミズラ、少し昔話に付き合わない?」
「ええと、あたしでよろしければ…」
勧められたベッドサイドの椅子に、ミズラは遠慮がちに腰掛けた。
アガタは優しく微笑み、フッと悲しそうな目をした。
「アルタンからどう聞いてるかわからないけど…ステップの戦役は、本当はもっと早く行うべきだったって反省してるの。
私が皇帝として未熟だったばっかりに、防げたはずの事件が起こってしまった。犠牲になった人も多かった…。もっと早く私が動いていれば、あの惨劇は起こらなかったかもしれない」
「でも、あの戦役の前はステップは帝国領ではなかったですし、相手は七英雄です。そうそう簡単に手を出せる事態では…」
「そうね、当時もそう言われたわ。でも、あれは私の怠慢から起こったの。
アバロンから遠く離れた土地のことだからと、油断していた私がいけなかった。もっと早く対策を考えていれば、ああはならなかったかもしれない…。
でも、結局のところ、歴史に『もしも』は存在しないのね。
出足は遅れてしまったけれど、私にできる精一杯のことをやったつもり。
ジャックの母親…私がカンバーランドで修行していた頃の後輩で、モニカというのだけれど、あの子の両親は、あの惨劇で亡くなっているの。
私は皇帝として、あの子や他の遺族に、申し訳ない気持ちでいっぱいだった。
でもあの子は、私たちの地上戦艦攻略戦に参加してくれた。そして、すべて終わった時に言ったのよ。『陛下のおかげで、私は解放されました』って。
そのモニカが、私の兄と結婚して、ジャックが生まれて…そのジャックが、あのアルタンの娘と結婚する。そう考えると、なんだか不思議な縁よね」
アガタは、そう言って微笑んだ。穏やかな表情で。
ミズラは「あたしも、そう思います」と笑い返す。
「姉が幸せな結婚ができるのは…いえ、あたしたちノーマッドが平和に暮らせているのも、アバロンやカンバーランドの人たちが幸せなのも、アガタさんが築いて下さった土台のおかげです。
もしも、まだステップにあの地上戦艦があったなら、あたしはこんなにノビノビ生活して、馬で走り回ったりは出来なかったと思います。
だから、ありがとうございます」
「ありがとう。でもね、お礼を言うのはこっちよ。
あなた達が引き継いでいってくれるから、この国があるのだもの。
隠居した身で言うのもなんだけど、これからのバレンヌはあなたたちのものよ。
国に仕えるなんてこと、考えないでいいわ。ミズラにお願いしたいのは、どうかハリーの側にいてあげてほしいの。
あの通り、すぐに自分のことは二の次にして、人のために手を出しちゃうような子だから、どうか一緒にいてあげてね」
「あたしに…務まるでしょうか?」
「ええ、もちろん。一目見て分かったわ。あなたはベスマと同じ、大らかで優しい心の持ち主よ。目を見ればわかる。
だから、お願いね」
細い指でそっと髪を撫でられ、ミズラはほんの少しの恥ずかしさと嬉しさを覚えた。
「あっ、でもあの子、色恋沙汰にはとんでもなく鈍感だから、どんどんアタックしていかないとダメよ?
向こうからは絶対気づいてなんてくれないから」
「はい、わかりました…って、えぇっ?!」
勢いに任せて返事をしてしまったが、一瞬後になって我に返る。
「(あっ、あたし今なんてことを…?!)」
顔に血が上り、頬が熱くなる。
アガタは笑顔で「あら、気づいてないとでも思った?」とウィンクしてみせる。
「これでもバレンヌ皇帝だった私よ。それに、恋心なんて隠してても案外バレるものよ?」
「いえ、あたしは別にその…恋愛とか、よくわかんないし、その…」
確かにハリーに対しては、他の人間に対して抱く物とはまったく違う感情を覚えている。
しかしそれは、向こうが皇帝だからであり、一市民が君主に対して抱く尊敬の気持ちなのだろうと、漠然と捕らえている。
それが、実は恋愛だというのか?
今ここで言われるまで、そんな思考はミズラにはなかった。
混乱から、頭の中がグルグルしてしまう。そんなミズラを、アガタはそっと抱き寄せた。