第2章―少女ミズラ、伝説の"皇帝の半身"と出会う―
「面倒ごとを可愛い甥っ子に全部押しつけて、こんなところで暇してるただのおばちゃんだわ。
アバロンへは、いつ来たの?」
「えっと、3日ほど前に…」
「そう。ステップはどう?アルタンは、元気にしてるかしら?」
「あっ、はい。おかげさまで…」
突然父親の名前を出されて驚くが、よく考えれば30年ほど前、若かりし日の父と共に七英雄の地上戦艦に立ち向かったのは、他でもないこの人である。
子どもの頃から聞かされた、あの伝説の皇帝陛下…そう思うと、ミズラは不思議な気持ちになる。
それだけ高貴な人であっても、彼女からはなんの威圧感も感じない。
祖国の英雄ともいえる人なのに…ミズラは、良い意味で緊張することを止めた。
「それは良かった…このたびは、大切なお姉さんをうちの甥っ子がもらうことになって、アルタンにはちゃんと挨拶しないとって思ってたんだけど」
「いえ、父はまだ、姉が結婚することは知りません。あたしも、こっちへ来ていきなり聞かされて、驚いているところですから」
「あら、そうなの?まあ、ジャックはやたら几帳面だから、ちゃんとご挨拶には行くでしょうけど…私からも、一筆送っておこうかしらね。
アルタンのことだから、ビックリして跳ね上がりそうだけど」
そうクスクスと笑う姿は、彼女がアルタンと年齢的に違わないという事実を忘れさせそうだ。つられて、ミズラも笑顔になる。
「それにしても、ジャックが結婚するような歳なのね…どうなのハリー?貴方は」
「僕ですか?僕はそれどころじゃないですよ。何より、国が大切なんですから」
「それもそうね…まあ、そうさせちゃったのは、私なんだけど。
あんまり皇帝業務に集中してると、婚期逃すわよ。私やピーターみたいに」
ハリーは苦笑しつつ、「それでも良いかなとは、思ってるんですけど」と答える。
その言葉が、ほんの少しミズラの心の底に刺さった。
「(そうだよね、ハリーは皇帝陛下なんだから…)」
だからどうしたというか、そんなことは自分とは関係ないのだろうが。
その時、廊下からガチャンという音が響いた。
あまりに大きい音で、反射的にミズラが振り返る。しかし、彼女より早くハリーが病室のドアを開けた。
「どうか、しましたか?」
廊下の向こうにいたのは、先ほどの修道女だった。
彼女は「これは、陛下。申し訳ありません」と深々と頭を下げる。
水の入った花瓶を落としたらしく、辺りにその破片が飛び散っていた。
状況を察したハリーが、スッと足を折ると、テキパキと辺りに散らばった破片を拾い始める。
「そんな陛下、お手を汚すようなことは…」
「気にしないで、僕がやりたいだけだから」
自ら手を濡らして花瓶の破片を拾う皇帝に、シスターは困り顔だった。
ミズラが近づくと、彼女の指先に血が滲んでいるのが分かる。
「あっ、傷が…大丈夫ですか?」
「えっ?あら、本当…落とした時に切ったのかもしれません」
ミズラがポケットから出したハンカチを宛がうと、彼女は恐縮して「本当に、すみません」と頭を下げた。
「それを、片づけてしまいましょう。どこへ持って行けば?」
「そんな、陛下にそこまでやっていただく訳には…」
「だって、それ以上指を切ってしまっては大変でしょう。今は一般人として来ているのだから、どうか気にしないで」
一般人であっても、訪問先の病院でここまでする人間がいるだろうか…?
生憎、病院という概念がよくわかっていないミズラには、なんとも言えないが、とりあえずハリーが人並みはずれたお人好しなのは間違いない。
「あの、あたしが行きましょうか?」
そう申し出てみたが、変なところが頑固な皇帝は「いや、乗りかかった船だから」と譲らない。
「ミズラ、君はアガタさんの側にいてもらえないかな?すぐ戻ってくるから」
「…分かったわ」
これ以上は何を言っても仕方ない。シスターも観念したようで、「では、こちらです」と彼を先導した。