第2章―少女ミズラ、伝説の"皇帝の半身"と出会う―
「本当に、あのお店から近くてね。いつも、あそこに寄ってから行くことにしてるんだ。
ほら、もう着いた」
彼が足を止めたのは、向こうに十字架のついた建物が聳えている門の前。
「ここ…教会?ううん、修道院かしら?」
「どちらかと言えば、修道院だけど…ここは、病院なんだ。カンバーランドじゃ、修道院が医療施設を兼ねるのが普通らしいよ」
門の脇には、「アガタ記念病院」と書かれている。
「アガタ…先代の、皇帝陛下が建てた病院なの?」
「そう。元々は修道院なんだけど、空いている部屋を使わせてもらって。
ご本人は、『恥ずかしいから私の名前なんか入れないでよ』ってずっと言ってたらしいけどね」
そう言えば、先代のアガタ陛下はカンバーランド出身のホーリーオーダー…父アルタンは共に戦ったことがあるというが、もちろんミズラは会ったことはない。
ハリーは本当に来慣れているようで、門を押して中に入っていく。ミズラは遠慮がちに、その後に続いた。
高い建物と壁に囲まれてはいるが、庭に燦々と日の光が差し込んでいる。その太陽も、少し西に傾いていた。
中に入ると、その場にいた修道女が「これは陛下」と頭を下げる。
「(すっかり忘れてたけど…ハリーって、皇帝陛下なんだわ)」
全くそんな素振りも見せず、街中を歩き回っていることから、ミズラはしばらくその事が頭から消えていた。
皇帝と一緒に花屋へ行って、その足で病院へ来ていると思うと、なんだかおかしな気分になる。
「この時間、面会は大丈夫ですか?」
皇帝の問いに、彼女は慣れているようで「ええ、どうぞお上がり下さい」と、入ってすぐの階段へ促した。
高い天井に、洒落た飾りが彫り込まれた階段…普通の病院がどんなものなのか、ミズラにはよくわからないが、それにしてもどことなく豪華である。
あまりキョロキョロしても、ハリーの顔をつぶすかもしれない。そう考えて、ミズラは黙って後ろを歩いた。
「少々お待ち下さい…失礼します、入ってもよろしいでしょうか?」
ドアをノックすると、中から「どうぞ」と穏やかな声が帰ってくる。
修道女がドアを開け、「皇帝陛下がお見えです」と2人を促した。
「失礼します」
「えっと…失礼、します」
悠々と入っていくハリーの後を、縮こまりながら続く。
しかし、迎えたのは「あら、いらっしゃい」という明るい声だった。
「久しぶりねハリー、とは言っても、半月ぶりくらいかしらね?」
「そうですね。すみません、なかなか顔も出せなくて…。これ、アガタさんに」
差し出された花束を見て、彼女は「あら、素敵ね」と顔をほころばせる。
「そこの窓際に飾らせてもらおうかしら…シスター・サラ、あと半時ほどしたら、水を入れた花瓶を持ってきてもらえるかしら?」
「はい、わかりました。それでは、私はこれで一端失礼します」
修道女は、丁寧に頭を下げて部屋を出て行く。
その対応の丁重さ、そして室内の感じの良さからしても、ベッドの上に腰掛けるこの女性がただ者ではないことは、一目瞭然だ。
年齢は、50歳程度だろうか。
それなりに年齢を重ねているようではあるが、長い金髪が背中を流れており、微笑むその瞳はまるで少女のようだ。
「ところで、そちらのお嬢さんは?
あなたが女の子と一緒に来たのなんて、この間ジャックとベスマの結婚報告に、一緒に来てくれた時以来じゃない?」
「あぁ、そのベスマの妹ですよ。彼女が退職するから、新しく僕の直属部隊に入ってもらうことになったんです」
ハリーに促されて、ミズラは怖ず怖ずと進み出し、「初めまして、ミズラです」と頭を下げた。
その仕草に、彼女は思わず吹き出して「もう、とって食ったりしないわ。そんなに小さくならなくても」と笑う。
「そう、あの子の妹なのね…ということは、ジャックの義妹になるんだわ。
ということは、私にとっても姪っ子同然ね。初めまして、アガタよ。どうぞ宜しく」
笑顔で手を差し出されて、ミズラは緊張しながらもその手を取った。
細い指。よく見れば、顔も痩せているというよりは、すこしやつれているように見えた。
しかし、それ以上にミズラが気にしたのは、彼女の名前。
「アガタって、もしかして…?」
ハリーを振り返ると、彼は「先代の皇帝陛下だよ」と苦笑した。
改めて彼女の顔を見ると、「あら、今はただの一般人よ」と平然と微笑んでいる。