序章―在位期間は、歴代最短の5年。 それでも人々は、彼女の名を語り継ぐか―
しかし、ミズラ帝の名前は意外なところから発見された。
それは、彼女より3代後の皇帝であるエカテリーナ帝の、日記の中からである。
「サバンナより、ハンターの代表としてオセイが到着。
彼は幼い頃、ミズラ元皇帝陛下の庇護下にあったという。
ミズラ陛下の機織りの技術は、現在でもサバンナの一部集落に残されているそうだ。」
エカテリーナ帝の時代、サバンナの代表者として、オセイというハンターがアバロンに滞在・士官していたことは、確かに記録されている。
エカテリーナ帝は、部下を分け隔て無く歓迎する人物であったらしく、度々城にあげて酒盛りをしていたそうだ。
おそらくは、オセイのアバロン到着時にも、歓迎会としてちょっとした酒宴が開かれ、その場で聞かされたことなのだろう。
残念ながら、日記にはその一言しか触れられていない。
読み取られるのは、すでにミズラ帝が故人であり、長らくサバンナで暮らしていたということだけだ。
このオセイは、士官当時20代の青年であったことから、既に無くなってから10年は経っていたのだろう。
すると、ミズラ帝が亡くなったのは、エカテリーナ帝の先代であるキャサリン帝崩御の数年前…おそらく、70歳程度だったのではないかと思われる。
彼女は30歳の時に、自ら退位している。退位後40年ほどの年月を、アバロンの人間には知られずに、生きていたことになる。
しかも、皇帝として過ごしたアバロンでも、自身の生まれ故郷であるステップでもなく、遠く離れたサバンナで。
ミズラ帝の退位の理由は、領地巡幸中に事故に遭い、左腕を痛めて弓を引くのが困難になったからだという。
戦えなくなったからといって、どうしても皇帝を退位しなければならない理由はない。
国の敵と戦うのは皇帝の務めだが、戦闘は部下に任せて、その指揮や国政に専念するという方法もある。
しかし彼女は、怪我を負った数ヶ月後には、いずれ自分が退位することを周囲に告げた。
そして、「これが最後の仕事」と言って、サバンナの慰霊碑建設に取りかかった。
かつて彼女が仕え、その志を継いだハリー帝と、共に散った仲間たちの名を刻んだ碑を、サバンナの南集落からほど近い大地に建て、そこに「世界一優しい皇帝と、その仲間たちの魂を讃える」と刻み、その完成を見届けてから退位した。
後継者は、武装商戦団の副頭目で、共にギャロンと戦ったマゼラン。
マゼラン帝は、フォーファーからコムルーン島までの航路を開拓し、その地を帝国領土に併合するなど活躍した。
しかし宝石鉱山を調査中、鉱山奥で発見された魔石の障気に触れたことが原因で意識を失い、若くして亡くなった。
どうやらミズラ帝は、その後も長く生きていたようだ。