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あったかいふとん

ネコにしては人懐っこくて、犬にしては気ままな生き物はなーんだ?答えは栗原真来と言っておこうか。俺の担任している生徒のうちの1人。

眼鏡を掛けた真面目そうな格好は見た目だけで、実際はこれでもかというほど頭が悪く、相当な馬鹿だ。手のかかる子ほど可愛い、だとか言うけれどあれは嘘だ。手のかかる子ほど手のかかるが正解だろうと、栗原が何かやらかす度に痛感する。

いつも楽しそうで、口から先に産まれてきたんじゃないかと言うくらいの口減らずなお調子者……俺がそいつに対して知っている事はこれぐらいだ。何が好きで、何が趣味で、何が嫌いなのかすらも俺は知らない。

何にも知らない。でもこの知らない動物は猫のようにするりと俺の生活圏まで立ち入り、あまつさえベッドで寛いでいる始末だ。


「どしたの?せんせ」

レンズ越しの茶色い目が俺の視線を捉えた。手には俺が今日買ってきた暇つぶし用の雑誌。遠慮の え の字も知らないのかこいつは。

「なになに?ついに私の可愛さに気づきました?そんなに見ないで下さいよもう〜」

「ふざけた事いうな。何度も言ってるが俺の部屋に来るな。あと私物に勝手に触るな」

「はーい」

栗原は口だけ言うだけ言ってまた雑誌に視線を落とす。俺はなるべくあいつに聞こえるように深く溜息をついたが、あいつは耳に何か詰まっているのか、気にもとめない様子だった。耳をかっぽじったらどれだけの耳糞が出てくるのだろうか。それを取ったらもしかしたら俺の授業もちゃんと聞くのかもしれん。

寮生活になってからと言うものの、栗原は3日に1回のペースで俺の部屋へとやって来る。

数ヶ月前に一度、訳あって栗原を俺の部屋へと迎え入れた事があるのだ。それから栗原は俺の許可があろうとなかろうと勝手に部屋へと入り、消灯時間になったら勝手に帰る。

部屋に来ても何をする訳でもない。俺に一方的に話しかけたり、俺の仕事を静かに見るだけだったり、持ち込んだ本を読んだり、ビールの缶やゴミを適当に片付けてくれたり(これは少し有難いと思っている事は秘密だ)するだけだ。

それでも生徒、それも女の子が、男性の教師の部屋へ夜更けまで寛ぐのは如何なものだろうか。誰かに見られたら終わりである。

こいつもそれは分かっているのか、来る時はいつもベランダからだ。俺はこんな事の為にあいつの身体を鍛える訓練をさせた訳じゃないんだがなあ。

「先生、それじゃ、私そろそろ行きますね。おやすみなさーい」

栗原の声で我に戻る。どうやら消灯時間のようだ。栗原はベランダのさしに長い足を掛けた。俺も寮内の見回りに行かなければ。

「ああおやすみ。もう来るなよ」

「えーん連れないの。そんなに恥ずかしがらなくったって。」

「そうか、そんなに明日の課題の量を増やして欲しいのか」

「嘘です!!嘘ですおやすみなさい!!」

栗原はすっとんでベランダから壁をよじ登って帰って行った。出会った頃と比べたら随分と筋肉が付いたなあと実感する。例え壁から落ちても個性のお陰で怪我する事はないだろう。





寮の見回りが終わり、ようやく俺も寝床に着く。時刻は1時を回っていた。

本来ならばもっと早く寝るつもりだったのだが、上鳴達が共有スペースでトランプを未だにしていたので先程まで説教していた所だったのだ。なかなか決着が着かないから引き伸ばしたくなる気持ちは分からなくもないが、ルールを破る事は頂けない。明日奴らには反省文を書かせる。

睡眠を取ろうと深く息を吸う。途端にふわりと、嗅ぎなれない香りが俺の鼻を掠めた。俺の使っているシャンプーとは違う、女性物のシャンプーの香り。そういえば今日はここに栗原がいたなと頭の隅で理解した。俺の記憶が正しければ、ご丁寧に柔らかそうな短い金髪をしっかりと枕に付けていた。

まずいなあと思う。いくら教師と生徒の区別は付いていると言っても、俺はまだ30で、あいつは思春期真っ盛りの女の子で。いかんいかん間違った方向に思考が行きそうだと頭でブレーキをかけようとしても、俺の勝手な思考は数百年前ならもう結婚して子供を生んでもいい歳だという点を思い出させる。

何故あいつは平気な顔して俺の部屋に来れるのだろうか。別に俺がドキマギしているとかそういう訳ではないが、プライベートな時間まで俺の領域に踏み込む所はちょっとどうなんだろうか。

カタ、とカーテンの外から小さな音が聞こえた。

その音が単に風のせいだと思える程、俺はぬるくヒーローをやっていない。明らかに人の気配を感じる。そして、俺の部屋に窓から入ってくるような不躾者は、1人しかいない。

こちらに入ってくる様子が無かったので、ベッドから降りてカーテンをシャッと引いた。ベランダの柵に腰掛けていたのは、やはり柔らかい金髪をたなびかせたあいつだった。

「何をしている」

カラカラと引き戸を開けて問うた。栗原は俺の問いかけに少しびく、と怯えたように震わせたが、すぐにいつもの顔に戻る。

「わお、もうバレちゃった」

「プロヒーローを舐めんな。気配くらい分かる。もう消灯時間過ぎてるぞ。何しに来たんだ」

「相澤先生の可愛い寝顔を1枚撮りに来たんですよ」

「……」

俺は何も言わずに栗原を見据えた。なかなか真実を言わずに冗談を吐くこいつを冷めた目で見る。栗原は「あはは、はは……」と苦笑いをした後に黙った。

「何をしに来た」

今一度聞いた。栗原は言いづらいのか、口をもごもごとさせるばかりだ。

「何もないならもう寝るぞ。お前も早く戻って寝ろ」

数分くらいそうしていたのだろうか。俺は痺れを切らして部屋へ戻ろうとした。すると栗原は慌てて俺を呼び止めた。

「待って!」

鋭い声に俺は足を止める。栗原は顔を上げない。月が栗原を照らし、金色の髪の毛はキラキラと光っていた。

「……あの、さ」

やっとのことで栗原が切り出す。深く息を吸ったのが聞こえた。

「もうちょっと一緒にいたいんですけど……とか言ったらダメですか……」

最後は消え入るような声。寂しげな茶色い瞳が俺を写して揺れる。眼鏡をしていなかったから良く見えた。

捨て猫のような目をするなと叫びたかった。俺はその目に弱いのだ。小さな頃、そんな目をした捨て猫を拾って、ペット禁止の自宅のマンションに帰って母親にしこたま怒られた事を思い出した。

いや、そうでなくても、俺はあいつの寂しそうな瞳に弱いのだろう。普段おちゃらけているからこそ、時たまに見せる不安気な目に、放してはいけないと思わせられる。だからこそ、今まで部屋に勝手に来られても、本気で追い出さなかったのだろう。

俺は溜息を付いた。

「好きにしろ」

突き放した声で言ったその言葉に、栗原は顔を上げた。俺は黙ってベッドに入り、後は知らねえぞとでも言うように早急に目を瞑った。

「おい」

適当にそこら辺に座るだろうと思ったら、あろう事か栗原がベッドの中に入ってきた。遠慮のないやつだとは前々から思っていたが流石にこれはどうなんだ。

「だって、ベッド1個しかないじゃん?」

「狭い。あと普通男の寝床に女の子が入るもんじゃありません」

「失礼しま〜っす」

俺の拒否の声も聞かず、悪気のない声で無理矢理ベッドの半分を陣取られた。腹の立つ奴だ。あのシャンプーの香りがより一層濃くなった気がする。

「私、この部屋落ち着くんだよね。物が少なくて、でも誰かが生活している跡があって、落ち着く匂いがしてて……ベッドも、こんなに温かいし……」

そりゃ、俺がさっきまでそこにいたからな。という言葉は飲み込んだ。

「私のお父さんもお母さんも海外で仕事するのが多い人で。いっつも寂しい思いしてたんだ。そのせいか、凄く寂しがり屋なんですよね……自覚すると少し恥ずかしいけど。だから1人の部屋って私嫌いです……冷たいベッドも嫌い……それで、先生の優しさに付け込んで甘えてるんだ……なんだか、まだ居たいって思える部屋だもの……おやすみなさい……」


俺に背を向けて栗原は静かな声で言った。どこまでも身勝手なやつだ。

いっそここで押し倒してしまおうかとすら思った。両手の自由を奪って、覆いかぶさって、「分かったろう、男の部屋にホイホイ上がるとこうなるんだ、分かったらもう来るな」と、職権乱用よろしくあいつに身をもって教えてやろうかと思った。

けれど俺はしなかった。そんな事、いくらあいつが馬鹿でも多分分かってはいるのだろう。分かっててわざわざやって来るのだ。信用されているのやらどうやら。例え上記の事をやったとしても、先生だからホイホイ上がるのですと返されそうな気がする。

気づかないふりをしていたい。あいつの好意にずっと。学校生活でも隙あらば口説き、部屋にまで来てこの部屋が落ち着くと言う。あいつの気持ちに気づかないほど俺は鈍感な男でもない。

でも俺は気づかない鈍感な奴の振りをしていなければダメなのだ、きっと。そうでなければ崩れる、色々と。

何にも知らない。知らないはずだったのだ。知らないはずだったのに、どんどん知ってる事が増えていく。冷たいベッドが嫌いとか、一人の部屋が嫌いとか、俺の部屋が好きだとか、俺の匂いが好きだとか。





ふと目を覚ますと、まず目の前に、綺麗に整った顔が目に入った。思わずびっくりして飛び退きそうだったが、それが栗原だと分かった瞬間昨日のことが閃光のように頭を巡る。

壁に掛けられた時計を横目で見る。まだ5時にもなっていなかった。こいつを起こすのはまだ先でもいい気がするが、早めに起こして部屋に戻るよう促した方が良いだろう。

起こそうと、肩に置いた手を止めた。俺の視線の先にあるのは柔らかそうな黄金の髪。

魔が差した、というのが1番妥当な表現だろう。俺はそっとその短めの髪を人房取って弄った。前々から柔らかそうだなあと思っていたのだ。俺の考えはあっていた。猫の毛のように柔らかい。伏せられたまつ毛は未だに起きる気配はない。俺は弄る髪の量を増やした。

正直こいつの眺めるのはそれほど嫌じゃない。茶色のくりくりした目は好奇心に溢れ、ふわふわした髪は楽しげに揺れる。黙っていればそれなりなのだ、そう、黙っていれば。多分一生寝ていればもっと可愛かろう。

でもそれじゃあ栗原ではない。

「おい栗原、そろそろ起きろ」

肩を揺さぶる。栗原は眉を顰めて、う〜んと声を漏らした。寝起きは悪い方らしい。真っ先に起きそうな顔をしている癖に。

「おい。誰かに見つかる前にさっさと帰れ。今ならドアから帰っても誰もいないだろ」

「ええ〜眠いなあ……王子様からのキスがなければ起きれませーん」

と栗原がトントン、と自分の唇に指を当てたので、デコピンして起こした。こいつの個性はあらゆる衝撃を吸収して痛みを感じない個性なので、俺の目で個性を抹消させた。よって、あいつにはちゃんと痛みが襲いかかる。

「いぃったぁ〜〜っっ……」

「誰が王子様だ。いつまで夢見てるつもりた。ふざけた事抜かすともう1発やるぞ。起床!」

こいつの気持ちに対する決着は、まだ着けないままの方が良さげだ。絶対調子に乗るからな。




この後栗原は相澤先生に上鳴君たちと一緒にちゃんと反省文を書かされましたとさ。

またランニングから帰ってきた爆豪君に相澤先生の部屋から栗原が出てくる所を見られましたとさ。
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